私のホールで毎週一回練習していたコーラスグループの練習が、今日が最終日だ。指導する先生の都合で、来週から駅前に新しくできた会場に移ることになった。 今日の練習前に、私はみなさんの前に引っ張り出されて、御礼を言われた。菓子折もいただいた。 “今日は皆さんの卒業式ですね。おめでとうございます。新しい会場に移られて、さらに高みを目指してください。数年間皆さんの歌声を聞かせていただきましたが、日に日に上手くなって行かれたように思います。先生が良かったから…ピアノの先生も良かったから…そして皆さんが頑張ったから…そして練習会場が良かったから…。皆さんにお願いがあります。これからも町で会ったら挨拶しましょう。有難うございました。” 即席の挨拶にしたら、なんとかそつなく言えたかな…? だけで、ちょっと寂しいな。 |
私の元部下だった男が、一昨年の秋に独立してイタリア料理店のオーナーシェフになった。なんとか1年頑張ってやってきた昨年の秋に、やはり私の部下で、訳合って故郷の山口に戻った男がもう一度都会で働きたいと言ってきて、シェフのレストランに働きにやってくると聞いていた。 今日、ランチに行って、その店の扉を開けたら、6年ぶりに会う元部下が私を迎えた。彼は今日から働き始めたようである。私も久しぶりに店を訪ねたので、まさに偶然だ。しかもランチの時間が終われば私に挨拶にくるつもりだったと言うのだ。 シェフを前にして、山口から出てきた部下に“シェフが、あなたが働きに来るから、頑張って売上倍にするぞ…と言ってたよ。”と言ったら、シェフが“本間に頑張らなあかんのですは…。”と口をはさんだ。 店を出る間際に“ここへ来る回数を倍にせなあかんな…。”と、私が言ったら、“本間…頼みますは…。”と、二人の視線が語っていた。 扉が閉まった後で、“でも、二倍は来れんなー。”と心のなかで呟いた。 偶然という必然のひとときだった。 ともかく、今日もいい一日のようだ。 |
昨晩家に帰る前にマダムの店に寄ってコーヒーを飲みながら話をした。 “人間…誰にでも未来の人生に対して不安や恐怖があって怯え萎縮して生きてしまうことがあるけれど、その不安や恐怖が訪れる前に明日交通事故で死んでしまうこともあるのだから、あまり先のことをくよくよ考えずに生きていったほうがいいですね。”…と、マダムに言ったら、“私は、風と共に去りぬ…の、スカーレットの最後の言葉が好き…『タラに帰ろう!』…どんな苦難に出会っても、最後に自分の戻る場所があると信じ前に向かっていく姿に憧れる。”と、言った。 私は残念ながら“風と共に去りぬ”を読んだことも観たこともない。 しかし、私の考え方が後ろ向きで暗く、マダムの考え方の方が肯定的でまともだということは分かる。 これから、他人に対して、くよくよせずに生きよう!と、話す時には、マダムの言い方を借りることにしよう。 |
自分が他人と違う考え方や感じ方をもっているということは、決して悪いことではないだろう。むしろ事業家にとっては必要な特性だ。他人と同じレベルで考え、同じレベルのことをやっていては、抜きんでることはできないだろうから…。 私の場合、他人の思いつかないことを考えつき、それが正しいと信じ行動を起こすところまではできたのだが、次の段階で、いっしょに同じ方向に突き進む部下を育てることができなかった。 社長(私)は、変わっているから…とか、進み過ぎているから…とか、現場を知らないから…とか言われ、その後で凛として未来を語れなかったから、部下を手足にすることができなかったのだろう。 結局、私は他人を動かすための、重要なファクターだと言われる飴も鞭も使いこなせなかったようだ。 だから、過去にやっていた事業を全て止めてしまうことになった。 昨日書いたfacebookで書いたコメントに対して、みなさんの食いつきがやけに悪い。素晴らしい情報を載せたのに、いつもより読む人が少ない。何故なんだろう。みんなには、この情報価値がわからないのだろうか?不思議でもあり悲しくもある。 そんな状況に直面して、私がいろいろ事業をしていた頃の思いが蘇った。 二度と繰り返すことのないことで…、今が幸せなのだから、もう後悔することもなかろうに…。こんな風にいつまでもウジウジしているところもリーダーに不向きなポイントなのだろう。 この当たりで自分の器を納得する。 |
私の知人のパン屋の主人の店が、このところずっと休んでいる。 彼と私は、妙に話が合って…、一ヶ月に一度はお互い訪ねあって小一時間ほど話をすることが慣例になっている。仕事上でも接点はないことは無いのだが、互いに金銭の絡む関係になることを避けて敢えて同じ仕事の土俵には乗らなかった。 ところが、昨年の秋ごろから疎遠になり、先日久しぶりに彼のカフェでコーヒーでも飲もうと思い訪ねてみたら、店内の備品はそのままだが、人の気配がなく閉まっていて、普通なら休みの報せの出ているはずの入口の扉にもなんの告知もなく、彼らしくなく、変だなと思ったことを覚えている。気になって、それから数日経って店の前を通ったがやはり人気がなく、裏の工場にも人の気配がない。 それでも毎年ちょうど今頃、ヨーロッパに遊びに行っていたから、きっと今年も彼女といっしょにバカンスに出かけているのだと思い込もうとした。 ところが、昨日企画屋の社長が、“パン屋の主人が夜逃げしたって聞いたんですが、知っていますか…?”と、話しかけてきた。私に答えられる由もなく、黙っていたが、言われてみれば、店の気配からしてその可能性のないこともなく息を飲んだ。どんな事情があるにせよ彼のようにスマートに生きてきた人間が、最後まで立ち向かわず逃げたと思うと辛いものがこみ上げる。 彼に対して最悪の結果を予想している自分が嫌で昨日は電話できずにいたが、さきほど思い切って電話してみた。しかし呼び出し音が延々と続くだけで応答がない。 他人に迷惑をかけることも、迷惑をかけることもあるのだろう。人生いろいろあると思うが、そのために利害関係のある付き合いはしなかったのだから…。いつか彼から電話がかかってくることを待ちたいと思う。1時間後か1年後か分からないが…。 |
私の知人の大学教授がfacebookにコメントを寄せていた。私は“いいね!”をクリックした。100%賛同するわけではないが、日常、武装警備員の警護が必要であったと言う事は、関係者にとっては、この結末は充分想定内だったのだろう。 知人のコメントを紹介させていただきたい。 『勿論、社員は会社の被害者だ、という考え方もありますが、意識していたかどうか、五十歩百歩でしょう。子供じゃないんだから。 アルジェリアの事件の被害者は、所謂「自己責任」です。「自己責任」はだいぶ前に流行った(?)言葉ですが、あの時、国中が彼ら/彼女らを責めました。今回も、いや、今回の方が自己責任だと僕は思います。 奇しくも日揮の部長さんが口を滑らしました。「こことは友好に…」と言った直後に「ここは大きなマーケットだから…」。 そうなんでしょう、まずは「マーケット」なんでしょう。』 この度、地の果てで命を落とされた武器を持たない企業戦士のご冥福と、そのご家族の方々に日常での平穏がはやく訪れることをお祈りいたします。 |