今から30年前…私が若かった頃、スペインを旅していた時、マドリードからバルセロナに向かう夜行列車のコンパートメントの客室で、一人のスペイ人の若い男性と同室になった。彼はスペイン語とフランス語とイタリア語を話した。私は日本語と片言の英語しかしゃべれないものだから二人の会話には少し無理があった。それでも話のなかにでてくる単語や互いの表情をみながらコミュニケーションをとろうとお互いが向き合った。 彼は“なにをしにスペインに来た?”と、聞いてきた。私は“観光”と、答えた。 “どこへ行った?”と、聞いてきた。私は“アルハンブラ宮殿とプラド美術館。”と、答えた。 “ゴヤの絵を観たか?”と、聞いてきた。私は“裸のマハと着衣のマハも観た。”と、答えた。 “ゴヤはスペイン民衆の英雄だ。それを知っているか?”と、彼は言った。私は、何も言えなかった。 “ゴヤは圧政に苦しむ民衆の気持ちを代弁した絵を描いた勇敢な作家なのだ。”と、彼は言った。私は何も答えられなかった。 “スペインのことを何も知ろうとしないで観光とはいいご身分だね!”と、彼は鼻で笑った。 私はこの時の会話を今でも鮮明に覚えている。言葉の通じない者同士の会話だが、内容に大きな間違いはなかっただろう。 当時長く続いたスペイン戦争の余韻が残る時代で、都市部から離れると治安が不安定だと聞いていた。 私は、偶然乗り合わせた名も知らぬスペイン人との会話で、芸術を理解するためには宗教や文化や歴史を学ばなければならないことを知った。 昨日観た“レ・ミゼラブル”も、私がフランス革命について造詣が深ければ、ビクトル・ユーゴ―の伝えたかった物語の本質に近づくことができたのだろう。 私が昨日の映画を理解できなかった理由が、その点にあるのは明らだと思う。 |