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SOLILOQUY

ひとりごと

 
January 12, 2013 11:21:12

体罰

カテゴリー: 日記
昨年4月に、小学校4年生の時の担任の先生の80才を祝う会があった。久しぶりに出会った同級生の半数以上は私の記憶から消えており、話をするうちに思い出す人もいたが、会が終わってからも思い出せない人も数人いた。
私の記憶から忘れ去られた同級生の一人から、“クラスの課外授業で耐寒登山した時に、町を見下ろす高台で、私に向かって雪を投げていたら、他の生徒と違うことをしている二人が担任先生の目にとまり、みんなの目の前で二人ともビンタをくらった。あの時は巻き添えにして悪かった。”と、告白された。でも、その時の記憶は蘇らなかった。

でもそれが真実だとしたら、それが体罰だったのだろう。そう言えばその時の担任の先生は悪い事をした生徒を、よく叩いていて、生徒から恐れられていたように思う。しかし卒業以来45年経って初めて行われた先生を囲む会ではクラスの半数以上が集い、先生が生徒から慕われた存在であったことが証明された。

校内や家庭での体罰はよくないことである。この考え方は分かる。分かるのだが…クラブ活動という強制ではなく自分の意志で参加する場で、体罰の規制云々の前に、いやなら辞めると言う生徒の意思が尊重され、辞めるという生徒の意思を指導者は文句なく受け入れるというシステムが作れていなかったことの方に問題があるように思えてならない。家庭でも学校でも子供が命を絶つという結論を出す前に、一旦ギブアップした人に対して再び起き上がることを支援するシステムや環境が必要に思えてならない。

私は、決して体罰賛成を唱えているのではない。度が過ぎた体罰は暴力以外のなにものでもないことは分かっている。
そのことはご理解いただきたい。