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SOLILOQUY

ひとりごと

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November 01, 2012 11:32:21

休息

カテゴリー: 日記
昨日、仕事の話を終えた取引先の専務と、ふらりと立ち寄った企画会社の社長に、私は同じアドバイスをした。二人の顔には精気がない…。おそらく仕事がうまく行かずに悩んでいることが推測された。どちらも寝ても覚めても頭を休めることなく考え続けているに違いなかった。
私も現役で仕事をしている時には、会社に出ない日が1年で1日あるかないかという生活を何年も続けていたことがあった。仕事場で、仕事をしているふりをしていないと落ち着かったように思うのだが…、今から考えれば、気の休まらない日々は作業効率悪く、新しいひらめきが生まれてこなかった。

私は、奇しくも同じ日に二人の人間に同じアドバイスをした。
“あなたは疲れているね…顔に出ているよ!1週間に一度休みとる必要はないと思うけど、思い切って休みをとって、頭を空にしたほうがいい!人間に睡眠が必要な理由は、新しい情報を入れない時間に頭のなかを整理するためなんだ。それと同じように、寝ても覚めても同じ問題に頭を使っていたら、新しく生まれてくるものがない。思い切って休んだほうがいい。休むことに勇気がいるだろうけど、問題の好転を望むなら先ず休む勇気を持つことやね…。”

二人とも、ほっとした顔つきになった。

さて、二人はその後、うまく休みをとるだろうか?
問題をかかえた人間が、一旦頭を空にするためには、本当に勇気が必要だ。多くの優れたトップはこのことを実践している。
あなたは、今なにか思い患っていませんか?もしそうなら、どんな方法でもいいから思い切って頭を空にしましょう。きっと、うまく休息できる人にしか訪れない閃きを授かると思いますよ。

もし、閃かなくても私は、責任をお取りできませんがね…。
November 02, 2012 14:48:16

指導

カテゴリー: 日記
昨日、ギター教室へ行くと誰もいないレッスン室で先生は机に向かって書き物をしていた。“ちょっと待ってね。もうすぐ楽譜書き終わるから、たまに写譜するとね…、新しいひらめきが生まれるの…。”と、しばらく待たされた。

書き終わってレッスンが始まるかと思えば、“あなたが言っていたことよく分かった。”と神妙な顔で話し始めた。

“この1週間で、よくできる生徒3人にアルハンブラの思い出の最初の第1音を弾かせてみたら、みんな私の普段話していることを理解してなかったことが分かったんだ。一人くらい分かってくれている人がいるかと思っていたんだけど…、全滅でね!教えることに自信なくしちゃった…。あなたが言うとおり私のいう事をみんな本当は理解していないのね!”と言われた。

私は、いつものようにすかさず“先生それは違います。教えたことをどう吸収するかどうかは、教えられる側の問題です。教える側は、生徒に閃きのきっかけを提供し、教えられる側は、先生の演奏や話したことを閃きのきっかけにする。この度、試された生徒には先生の言われたことをきっかけに閃きを得る能力が、全員なかったという事です。要は教えられる側の感受性が先生の思う事を理解できるレベルにあるかどうかです。これはギターの経歴やテクニックの問題ではありません。先生は、全ての人が自分と同じ感受性を持っていると思って…あるいは持つべきだと思って、教えられているのだと思いますが、それは間違いです。感受性の違いは言語の違いと同じで通じない者には通じない。だから教える側は、同じ感受性の者だけを相手に教えるか、さもなくば相手の言語(感受性)レベルに合わせ、それぞれに教え方を変えるかどちらかしかない。先生は、今その壁にぶちあったたのだと思います。”と、また分かったようなことを話した。

先生は、いたく納得されたようだった。そして先生が過去に指導を受けた恩師が自分に話したことの意味が今やっと分かったと言って、恩師の話したことを幾つも私に聞かせてみせた。

かわいい先生だと思う。純粋な方だと思う。

結局、私は昨日もほとんどレッスンを受けることなく、次のアポイントメントに向かって教室を後にした。
月謝袋に月謝だけは納めた。たまにはちゃんとギターを教えてもらいたいものだ。
November 03, 2012 16:46:09

目標

カテゴリー: 日記
私のギターの先生は、アンドレス・セゴビアという…1987年に亡くなったスペインのギタリストを崇拝している。そして先生は、実際には会ったことのないセゴビアに少しでも近づくことを目標にギタリストの道を歩んでいる。

ある時、私は先生に日頃思う疑問を投げかけた。“先生は、セゴビアを追い越そうとは思わないのですか?”すると先生は“それは…、考えたことがない。あまりにもセゴビアが偉大過ぎて…。”私はそれ以上何も言わなかった。しかし、先生が偉大なセゴビアを追い越すことを目標に生きてほしいと心のなかで思った。

それにしても、目指すところが乗り越えられない目標というものは、その人にとって生きがいになるのだろうか?そもそも人生の目標がはっきりと定まっていない私には、不思議でもあり、羨ましくもある。

アンドレアス・セゴビア…いったい、どんな人間だったのだろう?

アンドレス・セゴビア(Andrés Segovia, 1893年2月21日~1987年6月3日)は、スペインのギタリスト。音楽史研究所やギター奏者から、「現代クラシック・ギター奏法の父」とみなされている。彼の尽力なしには、クラシックギターがコンサート・ホールに不似合いの、田舎の楽器と見られていただろうと見る向きは多い。彼はギターを、ピアノやヴァイオリンと同じような地位に引き上げようと努力し、世界的に演奏され、音楽学校で学ばれるような楽器にしようとした。また、自ら演奏技巧の上達に励んだだけでなく、教育者として、後進のギター指導にも力を惜しまなかった。(ウィキペディア)
November 04, 2012 19:00:10

経験

カテゴリー: 日記
昨晩、友人の家に食事に誘われ、会社に車を置き駅に向かうために繁華街を抜ける道すがら、十代後半か二十代前半の女の子の二人組に…多分風俗店のチラシを差し出され“いかがですか…?”と、声をかけられた。所謂キャッチセールスだ。
私は、二人の顔を見ることもなく無視して通り過ぎた。すると後ろから“うざ…。”と言う女の子の声が聞こえた。
はじめて言われたその言葉に、かなりショックを受けながら振り返ることなく駅に向かった。
一言…言ってやりたかった。おじさんも“うざい…の意味を知っているで!どうせ言うなら聞こえないように言うてえーなぁー。”

今日は生まれて初めて“京劇”を観に行った。酒を飲んでから会場に入ったこともあるが、途中…半分は寝ていた。それにしても観に来た人の年齢層がやけに高く思えた。私は今日、京劇を見たという経験値を一つ手に入れた。

昨日出会った女の子に、一言もの申さなくて良かった。そんな経験値は、あとで自分をみじめにするだけに違いない。

いろいろな演劇があるものだ。いろいろな音楽があるものだ。いろいろな学問があるものだ。いろいろな仕事があるものだ。いろいろな人がいるものだ。
まだまだ、この世界には私の知らないことがいっぱいあるに違いない。

さて、私の明日には、何が起こるのだろうか…?
“うざ!”と、言われても、私はもう動じない。笑っていられるように思う。
November 05, 2012 15:23:13

繰返

カテゴリー: 日記
スポーツクラブの週一回の水泳教室に通い始めて1ヶ月が過ぎた。教室のない日も1週間に2~3回通っている。しかし、現在のところ…自分で納得できる進歩を見いだせない。呼吸法や手のかき方よりも、ともかくバタ足で進めるようになりたくて、練習方法をH.P.で調べたりしながら、毎回テーマを決めて練習しているのだが、思うようにいかなかった。
ところが先週の金曜日のプールの解放時間が終わる直前に、足首の動きが少し身に付いたためか、少し前に進む実感を得た。土曜日は酒を飲んで行けなかったし、日曜日はプールが6時に終了で間に合わなくて、二日間練習できずにいた。
今日の9時過ぎに、プールに行くつもりだが、先週うまくいきかけた感覚が残っているだろうか?
今まで頭で考えてきた。頭で考えている段階はあまり進歩しない。これからは、体に覚えさそうと思う。そのためには繰り返ししかない。思い出してみると、二輪自転車や、鉄棒の逆上がりや蹴上がりや大車輪や、支持なしの倒立や、跳び箱や、車の運転も…他人の目に触れないところで、他人よりたくさん繰り返して自分のものにしてきたように思う。
プールに来ている私より上手く泳げる人達に、私が泳げないことを晒しながら繰り返すしかないのだ。プールは家にはないものなぁー。

私は同時に複数のことを身に付けられるほど自分が器用ではなかったのだ。今晩、もし前回のバタ足の感覚が残っていたら、私の考える次のステージ…呼吸法の練習に移れるのだが…。

年内にクロールを身に付けるという目標は、今のところまだ生きている。
今日も練習に出かけることが楽しみだ。
自分が器用ではないことを思い出せたから…。
November 06, 2012 11:33:09

主賓

カテゴリー: 日記
現役で仕事をしていた頃、社員の結婚式の主賓挨拶を何度か頼まれた。300名を超える来賓の前で緊張し、話す内容を忘れたこともあるし、話が長すぎて後からとおまわしに嫌味を言われたこともある。格調高かったとお誉めいただいたこともあるし…いろいろあった。
会社を廃業してから、元社員の結婚式に招待され、挨拶はなしと言われていたのに、突然司会者にマイクを向けられ、その時に話した内容が、自分としては気の利いたものだったので…今でも鮮明に思い出すことができる。披露宴から2年経って子供連れの彼女が挨拶に来た時に、当時の私のスピーチの話をしてみたら、彼女の頭からはその時のことは全く消えていた。
少しがっかりしたが、結婚式とは本人も舞い上がっていることだし、そんなものかと自分を納得させた。

先月もう一人…元社員が結婚式を済ませた。さすがに私は招待されなかったが、私の倉庫にまだ保管していた挙式関係の備品とかを、もらいに来た。勿論お祝いも渡した。彼女は頭もよく明朗快活だ。ちゃっかり5歳年下の男の子と結婚した。つい先ほど御礼にと言って、バカラのグラスを持ってきてくれた。私の好きそうなものをよく知っている。しっかりものの可愛い娘だ。

私の人生で、もう主賓の挨拶がないのは少し寂しいけれど、部下たちがいまだに訪ねてくれることは嬉しい限りだ。
彼女達の幸せを祈りたい。
そして、自分もこれからもっと幸せになりたいものだと思った。
November 07, 2012 17:56:54

世界

カテゴリー: 日記
昨晩、昼から知人の家に行った。彼女の姪の学校のバザーに出品する御菓子作りを手伝うためだ。ケーキ2種とクッキー3種焼き上げた。お菓子作りは科学の実験に似ているように思った。7時前にひと段落し少しだけ味見して、酒を飲みに外に出た。初めて入った焼鳥屋は駅から少し離れたビルの地下にあり、機械室の並びにある店の入り口には見えない扉を開けて、なかに入った。常連客が二組カウンターにいるだけでテーブル席には誰もいなかった。若いスタッフにお勧めメニューを聞いてみたら数種勧めた後で“うちはどれもハズレはありませんよ!”と自信ありげに言った。
この一言で、初めて来たこの店が、結構おいしい店だと確信し、食べてみて裏切られなかったと納得した。

気分よく店を出て知人と別れ、家に帰るのも面倒で、ホテルに泊まる気もおこらず、会社にもどって物置から私以外誰もあることを知らない布団を引っ張り出してひと眠りした。朝の5時頃、館内から機械の音が聞こえ、ゴミ回収車がビルに入っていることが分かった。6時半頃にビルの清掃人が仕事を始めたことが分かった。7時前に中央市場から飲食店に魚が届けられた音が聞こえた。
私は7時半頃にコンビニに行き朝飯のパンと紅茶を買って車に乗り家路についた。
曲がりくねった山道を通った。町へ向かう通勤者の車が、えらくスピードを出して連なって走っている様子に驚いた。
私はいつものように、エコ運転で家に帰った。

自分の普段知らない世界を、たまに見てみるのも面白い。
November 08, 2012 15:28:17

終焉

カテゴリー: 日記
映画のラストシーンにハッピーエンドがよくある。その幸せがずっと続いていくように描かれるが、映画と違って実際の人生ではそれで終わりと言うわけにはいかない。実際に幸せなことが起こっても、決してそこがジエンドではない。
死んでしまわない限り、或いは忘れ去られない限りその後にも物語は続いていくわけだから、人生の一区切りが終わるだけのことなのだ。
ハッピーエンドを期待することは、占いを信じるようなものだと思う。

“彼と私は結婚して幸せになれるでしょうか?”と尋ねて、占い師が真顔で答える…。
幸せかどうかは、人生のどのスパンで、どうだと尋ねない限り、答は正解でも不正解でもないはずだ。
例えば、彼氏が死んでしまった後で私は結婚して良かったと思えるでしょうか?とか…、彼氏が浮気をして喧嘩した後に、彼が改心してくれたら、私達は幸せになれるでしょうか?
占い師の元を訪ねるなら、このくらいの質問はぶつけてみてもいいかもしれない。

映画のラストシーンでハッピーエンドを迎えた主人公が、新たな旅に出る…というものがあるが、この余韻を残すラストの方が、気が利いていて納得できる。しかし、現実の人生での続編では、あまりに平凡だったり、裏切られ最悪の人生を迎えることもありそうだ。

占いに正解も不正解もないように、人生にも正解も不正解もない。
経験できたことを素直に受け入れ、すべてに感謝して生きていく人だけが、この世を去る時に人生のハッピーエンドを迎えられると思うのだが、いかがだろう?

幸せはいつまでも続かない。辛いこともいつまでも続かない。人生なにが起こるか分からない。人生なにが起こるか分からない。
私はいつも、そう自分言い聞かせて生きている。
November 09, 2012 19:01:00

価値

カテゴリー: 日記
京都でシャガール展が開催されている。シャガールが好きかと聞かれたら好きだと答えるが、観覧順路を押し出されるように人に背中を押されて絵の前を通り過ぎるような展覧会を観に行く気にはなれない。

そもそも、シャガールの良さを自分で納得している人がこの世に何人いるだろう。ほとんどの人は、みんながいいと言うからとか、値段が高いから…いい絵だと思っているに違いない。
結局ほとんどの人は芸術に対する自分の価値観を確立できていない。他人の様子を見て追従するだけだ。

私は、世界一の名画と言われる“モナ・リザ”が、どうして世界一なのか分からない。35年前にルーブル美術館で観たモナ・リザは、ただのふくよかなおばさんだった。私のような感想を持った人は大勢いると思う。しかし私の知る限り誰一人声をあげない。“芸術の分からん奴だ!”と思われるのが恥ずかしいからだろうか?それとも、“分からないことはそっとしておこう。”と、思うからだろうか?

私には、自分の好みがあって、好き嫌いが言える。分からないことは分からないと言える。
私にとってシャガールの絵が好きな理由は、作者の目で見たものはなく、頭のなかに浮かんだことを表現しようとした行為に魅かれるからだ。絵そのものの価値よりも、ものの捉え方に魅かれる。
作品そのものに価値をもとめるのは画商とコレクターだけでいいと思う。何故作者がその絵を描いたかという動機に興味がわけば、その絵に対する自分の価値観が確立できる思うのだが…私の考えをあなたはどう思われるだろう?

モナ・リザが、ただのふくよかなおばさんにしか見えない私の言う事など、聞き流しておいたほうがいいかも知れない。
November 10, 2012 16:54:40

関係

カテゴリー: 日記
物事にはなんにでも裏がある。正反対の意味が存在する。一人の人間の内には普段には見えない人格が存在する。

そのことを理解せずに接近すると、一方のどちらかが違う一面を見せた時に亀裂が生じ、それが大きくなって深い溝に発展する。見えているものがすべてだと思って接すると、概してそんな落とし穴に落ちることがある。

突然、違う一面に直面した時に、今まで見ていたものを全て否定してしまうことなく、どちらもがそのものであるとの見方…常に目の前に見えているものが、そのものの一部であるという見方をしておくことが、本質の違うもの同士が上手くやっていくためには大切のように思う。

恋愛でも、ビジネスでも、友人や家族との関係でも、この考え方をしっかりもって接することをお勧めしたい。
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