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SOLILOQUY

ひとりごと

 
November 02, 2012 14:48:16

指導

カテゴリー: 日記
昨日、ギター教室へ行くと誰もいないレッスン室で先生は机に向かって書き物をしていた。“ちょっと待ってね。もうすぐ楽譜書き終わるから、たまに写譜するとね…、新しいひらめきが生まれるの…。”と、しばらく待たされた。

書き終わってレッスンが始まるかと思えば、“あなたが言っていたことよく分かった。”と神妙な顔で話し始めた。

“この1週間で、よくできる生徒3人にアルハンブラの思い出の最初の第1音を弾かせてみたら、みんな私の普段話していることを理解してなかったことが分かったんだ。一人くらい分かってくれている人がいるかと思っていたんだけど…、全滅でね!教えることに自信なくしちゃった…。あなたが言うとおり私のいう事をみんな本当は理解していないのね!”と言われた。

私は、いつものようにすかさず“先生それは違います。教えたことをどう吸収するかどうかは、教えられる側の問題です。教える側は、生徒に閃きのきっかけを提供し、教えられる側は、先生の演奏や話したことを閃きのきっかけにする。この度、試された生徒には先生の言われたことをきっかけに閃きを得る能力が、全員なかったという事です。要は教えられる側の感受性が先生の思う事を理解できるレベルにあるかどうかです。これはギターの経歴やテクニックの問題ではありません。先生は、全ての人が自分と同じ感受性を持っていると思って…あるいは持つべきだと思って、教えられているのだと思いますが、それは間違いです。感受性の違いは言語の違いと同じで通じない者には通じない。だから教える側は、同じ感受性の者だけを相手に教えるか、さもなくば相手の言語(感受性)レベルに合わせ、それぞれに教え方を変えるかどちらかしかない。先生は、今その壁にぶちあったたのだと思います。”と、また分かったようなことを話した。

先生は、いたく納得されたようだった。そして先生が過去に指導を受けた恩師が自分に話したことの意味が今やっと分かったと言って、恩師の話したことを幾つも私に聞かせてみせた。

かわいい先生だと思う。純粋な方だと思う。

結局、私は昨日もほとんどレッスンを受けることなく、次のアポイントメントに向かって教室を後にした。
月謝袋に月謝だけは納めた。たまにはちゃんとギターを教えてもらいたいものだ。