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SOLILOQUY

ひとりごと

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April 12, 2012 15:58:48

騎士

カテゴリー: 日記
私のあだ名は“ドンキホーテ”…
昨晩のマダムの会で私の隣に座った病院の院長夫人が、私のことを“ドンキホーテ”と何度も呼んだ。
ドンキーホーテの物語を詳しくは覚えていないが、確かスペインの騎士の物語で…、どちらかと言うとかっこいい人物ではなく、目の前のことに真剣に向かっていくが、どこか間抜けで愛すべきおっさん…というイメージがある。
院長夫人は、どういうつもりで私のことを“ドンキホーテ”と呼ぶのだろう?

昨年の6月頃マダムの店の薔薇の会で初めて彼女といっしょになった。その時もし仮装パーティーをするとしたら、自分が何になるかと言う話になり、その時私が“壁になります。”と言ったらしい。すると彼女が“あなたは、壁と言うよりドンキホーテよ…壁よりドンキホーテの方がずっとあなたらしくていいでしょ…”と言われ、それ以来…私は“ドンキホーテ”になった。壁とドンキホーテを比較しようとは思わないから、どっちが良いか問われても答えられないが、彼女のパワーには逆らえなかった。

同じテーブルに、今年71才になる一年のうち半々を日本とフランスで過ごすシャンソン歌手がいた。肌の艶をみるとどう見てもそんな年に見えず生気がみなぎっている。彼女の同伴は、30才半ばの、頭が坊主刈りのゲイ風イタリアンである。どうみても彼女のアクセサリーだ。

スポットライトに当たり慣れたシャンソン歌手は、病院の院長夫人がテーブルの話題の中心になると面白くなさそうな顔をしている。また逆の場合は院長夫人が面白くなさそうな顔をしている。
一つのテーブルのなかに、女王様が二人いると、目に見えない主権争いの火花が散るようだ。

私は、適当に二人の話に相槌を打ちながら、終演を待った。

私は、間抜で愛すべき、大人のナイトを演じていた。
April 13, 2012 15:31:33

戦士

カテゴリー: 日記
戦いにおける指揮官の資質の一つに、どれだけ味方の損害を軽微な状態で勝利するかを、戦う前に想定できるかどうかがあると思う。
逆に言えば、味方の損害を想定できずに戦う指揮官の下で、私は戦いたくない。

と…言っても私がこれから徴兵にとられ、戦いにいく訳ではないのだけれど…。

経営が戦いであるとすると、残す部分と切り捨てる部分を明確に持たなければならない。
ますます速くなる時代の流れのなかで、何かを残すために、何かを切り捨てなければならない。
全てを残そうとする企業は、確実に淘汰される。

日本の企業のほとんどが、今必死で戦っているように思う。
うまく患部を切り捨てた企業だけが存続するだろう。

私の会社は、トップの私が優柔不断であったために、淘汰された。
切り捨てる部分の想定ができなかった私の責任である。

切り捨てられる側も必死だが、切り捨てる側も必死で戦っていることが私には分かる。

将来、両者に幸せが訪れることを祈って、企業戦士にエールを送りたい。
April 14, 2012 10:43:10

国防

カテゴリー: 日記
朝起きると昨日からの雨がまだ上がらず小雨が降っていた。私の家は有名な温泉の近くにある。市内でも最も電波状態の悪い山中にある。
いつもはテレビのNHKニュースをラジオ替わりにつけているのだが、今朝は雨が降っていて画像と音声が途切れて何を言っているか分からないので、仕方なく民放の“みのもんた”の番組に切り替えた。

そうすると、昨日の北朝鮮のミサイル発射の情報報道が米韓に比べ日本が遅かったことに対する釈明のために防衛副大臣の渡辺周氏が出演していた。そのなかで彼は“昨日の朝7時に登庁し、午前中は大臣と政務3役で地下3階のオペレーションルームへ3度足を運んだ…”と語ったのだが、どうも私には解せない。
地下3階のオペレーションルーム…という場所があまりにも具体的過ぎないか…イージス艦でも館内にあるオペレーションルームの場所は極秘事項になっているはずである。ましてや防衛相内にある国防に関するオペレーションルームの位置を特定するような発言が、こんなにあっさり朝の民放番組のなかであっていいものだろうか…。

日本の国防は、こんなにもオープンでいいのだろうか…と一人でぼやいている。

私は朝から、こんなにしょうもないことを考えてはイライラしている。

日本は、今日も平和な国だ。
April 15, 2012 14:25:45

傘寿

カテゴリー: 日記
昨晩、小学校4年生の担任の先生の傘寿を祝って同窓会があった。当時1クラス45名だったと思うが、20名の生徒が集まった。それにクラス以外の参加生徒が3名…総勢23名。いかにこのクラスの先生がみんなの記憶に残る先生であり、まめな幹事が揃ったかがお分かりになるだろう。

当時先生が32才…。この年、東京オリンピックが開かれた。話しているうちに名前を思い出す人もいたが、それ以上の日々の交流の記憶が私には思い出せない。  48年前の日々の記憶…。

一人の男性が私のエピソードでこんなことを語った。
“○○は(私のこと)、クラスの番長のワンタンに右の頬を殴られた時、○○は左の頬も殴れって言った。こいつは、すごい奴やと思った。”なんて言われたが…この話どこかで聞いた話ではないか…。私は子供の頃は聖人やったとでも言うのか…? 自分には、全く覚えがない。

幹事の最後の挨拶で“○○君は、来年の初めに絵本を出版するそうです。次回はその出版記念パーティーでお会いしましょう。”なんて〆られた。
担任の先生からも“作ったら連絡くれ…”
これは作るっきゃないな…作らないと、次回の同窓会に参加できない…なんて考えた。
どちらにしても、もう参加する気にはならんのだれけれど…。正直言って、他の人達はこれから人生の終焉に向かって寂しい人生を考えているようだが…、私は、まだまだ青春進行中だから…。

会が終わって、レストランの外に出た。夜景の有名なこのレストランの前の広場には何組もの若い二人ずれが肩を寄せ合っていた。

青春が目の前にあった。

久しぶりで見る我が町の夜景は、やはり美しかった。
April 16, 2012 15:28:54

津波

カテゴリー: 日記
一昨日、同窓会のあった日の午後居留地研究会があり参加した。NPO法人になって初めての総会が開かれ、続いて二題の研究発表があった。そのうちの一つに、一昨年に実施された居留地内の一画での建築物の建て替え工事に伴う埋蔵物調査について市の教育文化財課の担当者からの発表があった。その内容はたいへん興味深いものであった。

私の町は、居留地時代の百数十年前に、横浜に次ぐ日本第2の茶の輸出港であったのだが、現在は当時の面影は町のどこにも見かけられず、市民の間でも昔話としても語りつがれることもない。
埋蔵物調査が行われた場所は、茶葉の輸出を業とする外国の会社が船積み前に葉を鋳物の鍋で炒った工場の跡地であり、そのカマド跡の煉瓦やモルタルの床跡の調査研究だった。その会社は現在も静岡に場所を移して営業していると言う報告があり、その話で終わりかと思ったのだが、そのあとがまだあった。

埋蔵物調査は、調査を進めるに従って上から順に構造物を取り去っていくらしいのだが、全ての人口構造物を取り払った後で数十センチにわたって堆積物調査を行った結果が研究発表の最後に発表された。
その結果、過去500年以内の特定できない年代に居留地があった場所に津波が襲った痕跡が認められると言うのだ。このことは昨年研究発表に伴う新聞発表があるまでは誰も知らない事実であり、その発表後に東北での大津波があったことになる。

居留地としての開発が進むまでは、この地は農家が数十軒点在する閑散とした土地だったわけだから、津波の記録も残っていなかったのだろう。人がいかに昔は住まなかった土地に過去の自然災害を知らずに密集生活をするようになったことだろう。数百年前のことも、私たちは何も知らずに生きている。

地球規模の歴史からみれば、私たちは本当に薄い表皮の上に生活していることを実感させられた。
April 17, 2012 13:22:55

絵本

カテゴリー: 日記
今から歴史研究家に会いに出かける。
我が町の居留地時代に英国人によって描かれた一枚の絵からインスピレーションを得た絵本作成のための打ち合わせである。もとの絵は歴史研究家がみつけたもので、3年前に研究会で発表を終えているが、研究会内部でお披露目されただけで、他には公になっていない。

発表資料として数枚のコピー配布で終わるところであるが、一枚の絵にスポットライトを当てて歴史を読み解くという手法に痛く感激し、私が絵本出版のためのプロデュ―スを申し出たものである。

私は、歴史には興味があるが、研究家ではない。
そもそも研究家という部類の人種は、研究に没頭することに興味があっても、それを一般に知らしめる能力に欠けている。
“龍馬がいく”のような小説を作る者もいる…研究家と言うものは、研究の延長にある推測の話はしない。従って司馬遼太郎は作家であって純粋の歴史研究家と言えないのである。

この度の絵の解読に関しては、幾つかの推測が成り立ち、それが私にとっては面白い。
研究家ではない私が、研究家に変わって出番があるわけだ。

来年には出版予定である。その時には話題になって、私が誰か分かってしまう。

まぁっ いいか…
April 18, 2012 13:33:11

予定

カテゴリー: 日記
昨日、歴史研究家に、私の認識の間違いを指摘された。
我が町の港が居留地時代にお茶の日本一の輸出量を誇ると思っていたのだが、横浜に次いで二番目 (これについては、数日前の日記を訂正しておいた)だったこと…。
もう一つは、当時日本のお茶を輸入した国の人達が、少し不思議に感じつつ日本茶を飲んでいたと思い込んでいたのだが、、どうも茶の葉という物は、火の入れ方によって緑茶・紅茶・ウーロン茶等のお茶に変化するもので、欧米人が我々が普段飲んでいる日本茶を愛飲していたのではない…という事。

さすがに、歴史研究家である。お茶の火の入れ方については、詳しくは知らなかったが、なんでも良く勉強していて、おかしなことにはすぐ訂正が入る。恐るべし…研究家。

日本の茶葉が本当に紅茶になるのか、興味があるので別の機会に調べてみようと思う。

今日はこれから、私は研究家の車の運転の仕方を習うことになる。あることで私は研究家の運転手を務めなければならない。
このことについては、来週書こうと思うので、またその時…。

そうそう…昨日書いた絵本の構想については、研究家もよく理解していただき、できれば夏頃に、遅くとも秋には原稿をあげてくれることになった。

予定どおりに進んでいきそうだ。
April 19, 2012 09:05:10

姓名

カテゴリー: 日記
今日は、今から京都まででかけますが、以後日記を書く時間がありません。

あと2分でここを出なければならないので、いつものような内容が書けそうにないのです。

だから、馬鹿話を書いておくことにしました。

昨日思いついたことです。



桃太郎の姓名はなに?




・・・・・・・・・


姓は“桃”

名は“太郎”




浦島太郎の姓名はなに?




・・・・・・・・・


姓は“浦”

名は“島太郎”



お粗末でした。
April 20, 2012 14:29:01

草喰

カテゴリー: 日記
作日は、京都にある日本料理のお店“草喰なかひがし”を訪ねた。ミシュランで一つ星をとっている。昼なら手頃な価格だから気楽に暖簾をくぐることができる思い、以前から行きたかった店の一つであったが、なにせ予約がとれないとのこと…。3ヶ月前の月初の1日から予約を受け付けるらしいのだが、いつも話中でつながらないと聞いた。(自分では試したことがない。)
この度は知人が今年の1月に食べに行った時に、食べ終わったその場で予約をとってくれたもので、念願叶うことになった。
もともと私は京都を食べ歩いているわけではないので、他の店との比較はできないが、店の構え、内装も際立って豪華ではなく、屋号の前に“草喰”と入れているだけあり、店主が野山で摘んだ草があらゆる皿にうまくあしらわれており、わびさびの料理とでも言えるように思った。

おかみの許しを得て、生まれてはじめて、出された皿椀の順番に料理写真を撮らせていただいたのだが、迂闊にも最後のデザートの皿を撮り忘れた。悔しい限りだ。

ここで、いちいち撮った分の写真をお見せするつもりはないが、途中に出された皿に、わさびをオリーブオイルで煮たてた透明な液体のなかに、潰した甘草をあしらった小さな桜の花びらの形をした小皿が出てきたのだが、それを一口で飲み干してしまったら、直後に出されたあまごの塩焼き(因みにあまごは各部位によって焼き方が変えられていた)のつけ汁だったと説明を受け、慌ててオイルを入れ直してもらった。その時の笑い話のような写真を載せておこう。


















それと、もう一枚は、店主お勧めの赤ワインの写真。日本人の作り手によるものだそうだ。
店主は、こう勧めてきた。ワインは不味すぎてもだめ、美味すぎてもだめ、料理を越えるワインはだめ…と、酒は料理を引き立たせるものでなくちゃー…と、説明した。

店主の人柄と話が、この店の料理を引き立たせていると納得した。





それと、やっぱり、撮り損ねた悔いの残るデザートの残骸も載せておこう。
April 21, 2012 14:00:57

空気

カテゴリー: 日記
私の子供の頃、光化学スモッグや煤煙という言葉が日常会話のなかで飛び交っていた。昨年できた新語で“電気予報”なんて言葉もあったけれど、当時は“光化学スモッグ注意報”なんて今では忘れ去られてしまった言葉もあった。その警報が出たら運動場に出られなくて、体躯の授業も講堂のなかで行われたように思う。

それに雨粒には放射能が入っていて、直に皮膚にあたると毛が抜けるなんてこと言われていたから、あの頃はちょっとした雨でも絶対傘をさしていたな…。
中国がその頃バンバン核実験やっていたんだと、今になってよく分かる。

原発事故で、それまで縁のなかった新しい言葉をいっぱい聞かされて、今では日常語になった言葉も沢山あるけど、そんな言葉が忘れ去られる新しい時代が、早く来ればいいのに…と、ふと思った。

写真は昨日の早朝、大阪駅を望む高層ビルの窓越しに撮影した風景である。小雨がけむり、遠方のかすんだ町並みを見ていると、晴れた昼間でも陽が差さなかった煤煙で汚れた子供の頃の風景を思い出した。

きっと、現実の中国では、以前の日本のような空気の汚れた景色に違いない。

日本という国の、危機に際しての改善能力の高さを信じたい。
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