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SOLILOQUY

ひとりごと

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April 30, 2012 23:19:41

建築

カテゴリー: 日記
ゴールデンウィークに、今まで出かけることが無かったのだが、今年は初めて旅に出た。昨日も書きかけたが、旅と言っても21世紀美術館と加賀料理を体験することが目的だった。どちらも取り敢えず自分のなかに一つの答えを見つけて帰ってきた。そこのところは、この度は触れずにおいて…昨日も書きかけた美術館内の空調の吹き出し口について写真を見て頂いてお話しておきたい。

ガラス張りの建物なので昨日の気温だと空調が無ければ館内は暑くてたまらないはずなのだが、あきらかに館内温度は22℃前後にコントロールされているようであり、吹き出し口が見つからず不思議に思った。
そうしたら、総務担当者がわざわざ出てきてくれて説明を受け感激した。

吹き出し口は床と壁の接点の細い溝だった。

建築のデザイン性を重視した、とても上手な始末だと思う。

おそらくこの美術館の来館者のなかに、国内外から多くの建築家がいるのだろう…建築家なら気になって当然だと思うが、私は単なる好奇心から人に物を尋ねるいつもの悪い癖がでてしまったようだ。
総務の人は私を建築家だと思ったかも知れない。

昨日は、スマホで撮った写真データの縮小の仕方が分からず、掲載できず申し訳ありませんでした。さきほどやっと家にたどり着き画像処理することができました。

旅に出た…と言う日記で…2日間に渡って空調の吹き出し口のことだけしか書かないのもおかしなことだろうが、金沢の旅の話は、これで終えることにしたい。

2日間で4万歩歩いた。
疲れている。
おやすみなさい。
April 29, 2012 17:18:57

旅行

カテゴリー: 日記
金沢に来た。

以前から気になっていた21世紀美術館を訪ねた。

空調の吹き出し口が、どこにあるか分からなかったので、

スタッフにたずねたら、答えられず、総務の担当者を呼び出してくれ、丁寧な説明を受けた。
写真をここに載せようと思ったが、普段PCで書いているので、携帯での載せ方が分からない。

諦めて、地元に帰ってからにしようと思う。

今から、酒を飲むので、これ以上書けない。

皆さんも、楽しい夜をお楽しみください。
April 29, 2012 17:18:57

金沢

カテゴリー: 日記
金沢に来た。

以前から気になっていた21世紀美術館を訪ねた。

空調の吹き出し口が、どこにあるか分からなかったので、

スタッフにたずねたら、答えられず、総務の担当者を呼び出してくれ、丁寧な説明を受けた。
写真をここに載せようと思ったが、普段PCで書いているので、携帯での載せ方が分からない。

諦めて、地元に帰ってからにしようと思う。

今から、酒を飲むので、これ以上書けない。

皆さんも、楽しい夜をお楽しみください。
April 28, 2012 12:29:54

電気

カテゴリー: 日記
私の子供の頃の記憶に…氷で冷やす冷蔵庫があったことを覚えている。当時、扇風機はあったけれど冷房機はなかった。白黒テレビは、もの心ついた時から家にもあったが、カラーテレビはずっと後になって我が家にやってきた。電話は有線のダイアル式だったし、ちょっと田舎に行けばトイレは“ぽっとん便所”が普通にあった。東京オリンピックに間に合わせるため高速道路が開通し、関西から東京まで車で移動するのにオーバーヒートしてボンネットを開けて冷えるのを待つ光景がけっこう見られたものだ。もちろんオートマティック車やパワーハンドルの車なんてなかった。
はじめて新幹線を見た時“夢の超特急ひかり号だ!”と叫んだ瞬間を鮮明に覚えている。

どんどん生活様式が洋風化し、電気製品が普及し生活が豊かになっていった頃…その頃の大人は、“世の中便利になり過ぎだ。最近の子供は苦労を知らん。戦争がまた起こったら生きていけないだろう。我々のように戦争を経験して芋の蔓や粟ひえを食べて、しのいだ者は、どんなことしても生きていけるけれど…”と自慢そうに話していた。

今は、その大人たちも、多くが死に…、生きている者は医学や科学の進歩が生み出した便利な器具や薬にどっぷり浸って生きている。
もう、戦争を乗り越えた経験を自慢するものはいなくなった。
もう、生活が便利になっていくことに苦言をさす者がいなくなった。

世界はどこまで進化し、人類は生き延び、神の領域に近づくのだろうか…。

囲炉裏で焼いた山女魚やマキで炊いたご飯を美味いという人はいるけれど…

少し昔にもどろう…電気がなくても生きていけるよ…と言う人は、私の近くにはいない。

人類は、一度手に入れた魔法の杖を、二度と放さない生き物かも知れない。
April 27, 2012 11:35:13

赤城

カテゴリー: 日記
You Tubeを見ていた。そうすると私と同じくらいの年齢のおじさんが、おもむろに舞台の端からギターを抱えて出てきて“アルハンブラの思い出”を弾き始めた。曲名が分かったのは、タイトルにあったからで、演奏だけ聞いていると私の知っているアルハンブラの思い出だとは分からなかった。

演奏者が上手いことは分かる。私ごときが及びもつかないテクニックの持ち主である。ところが聞いていて風景が浮かばない。スペインのグラナダの丘にそびえるイスラム様式の城塞都市…その中庭に響く水が落ちる音…夕日に染まっていく城壁…霧のなかに埋もれ姿を消していく宮殿…あの曲を聴けば、そんな景色が見えてくるはずなのに、おじさんの演奏からは何のインスピレーションも湧いてこない。

あまりに自信たっぷりに弾いているもので、音楽に対する自分の理解が間違っているのかと思い、ギターの先生にメールして見てもらった。

先生から返信があった…。


今、見てます。

アルハンブラに似た曲…のような…お経のような…自信タップリ!

一種の…天災…です。

無心で…次の曲はさらにスゴイ!

うーむ………この心境なら大地震がきても…

恐るべし人物!


安心しました。自分がまともなようで…と、返事した。
世の中には、いろんな人がいるものだ。
それとも、先生と私だけが他人からずれている…という事もあるのかな?
April 26, 2012 17:31:46

輪郭

カテゴリー: 日記
山などが空を区切って作る輪郭をスカイラインと言う。
風景を描くときにはこの線が大切になる。山を描く場合、一般には数本の曲線の重なりによってスカイラインを表現する。ところが山の頂近くまで登り見上げるとスカイラインは樹木の枝や葉や岩の形だということが分かり、単純な曲線はどこにも見えなくなる。

遠くから眺めるとおおまかな流れをつかむことができるが、実はその流れは、一つ一つ形の異なるものの集積で作られていることを知ることは大切ではなかろうか…。

私は、30年前に絵を描いていて、スカイラインを良く見ると、ギザギザなんだと気が付いた。空と山とのせめぎ合いによる複雑な形が見えるようになった。

絵を描くときには、そのことを知って描いた方が良いのではなかろうか…。
大きな流れのなかに、それを構成する幾つもの個性ある愛おしいものが含まれていることを…。

音楽もきっと同じだろう。一音一音を大切にした演奏が人の心を打つ…。
同じ曲の演奏での良し悪しは、それしかないのではないか…。

死ぬまでに一度でいいから、大切な人の心を打つ…一音を大切にした演奏がしてみたい。
April 25, 2012 21:58:55

子孫

カテゴリー: 日記
昨夕、歴史研究家から連絡が入り、依頼されていた今日の運転手の役目がキャンセルとなった。
実は、1891年に我が町で設立された英字新聞社の創業者の子孫が、我が町を初めて訪ねるにあたり、キャンベラの国立図書館から彼女の案内役を依頼された歴史研究家が、私の書こうとしている小説に参考になると思い、運転手という立場でオーストラリアからやってきた彼女と一日を過ごせるようにとの配慮だったのだが…。

その新聞社は1940年に日本人の主宰する新聞社に合併された。おそらく迫りくる戦争の足音を聞いて、英国人が日本を離れていったためだろう。

彼女が、やってくることを地元新聞社にリークしたら、地方版に大きく取り上げられるだろうが、あくまでも静かに祖先の足跡を辿りたいという個人的な理由を尊重して、周囲の人は公にはしないと決めているようだ。

何故、運転手がキャンセルになったか、腑に落ちない点がある。
だが、これからも納得のいく答えには出会えないと思い、忘れることにしよう。
最後に一言  “残念!”

すっきりしない思いを胸に…パスタを作った。
美味かった。
食べ過ぎた。
April 24, 2012 10:35:17

兆候

カテゴリー: 日記
今月封切られた映画で“バトルシップ”というのがある。まだ観ていないが、人類対宇宙人の戦いのようだ。前宣で朝野忠信が準主役級で出ていると知って興味もあるのだが、そもそも私の映画の好きなジャンルの一つに頭を使わないで観れる…というのがあり、“バトルシップ”はまさにそれにはまりそうなのだ。宇宙人が侵略者で悪者で、人類が地球を守る正義の勇者という構図は非常に分かりやすく、ともかく打って打って打ちまくるわけで、観ていて頭を使う暇がなさそうで良い。
少し前に封切られた“地球侵略ロサンゼルス決戦”と言う映画があったけれど、同類の映画だと踏んでいる。

最近のメジャー映画の傾向として、“宇宙人との戦い”と“アメリカンヒーロー物”と“バンパイア物”が多くなっているように思う。このことは、アメリカ軍のイラク進攻後しばらくして顕著になったように思う。すなわち地球人同士の戦いのなかでは、正義の味方が存在がしなくなったのだ。
情報社会と言いながら間違った情報で戦争を始めるし、戦争のなかでは非武装の婦女子の殺戮が起こる可能性があることが分かり、兵士の精神障害が社会問題になる。遠く離れた戦地の出来事を今まで知らずに済ませた人々がネット社会では、戦地とほぼ同時に戦いには悲惨な現実があることを知るようになった。
現実の戦争のなかでは、もうヒーローが生まれない世界が到来したのだろう…。

もう人類の敵は人類ではない。

昨今の映画の傾向が、人間同士が殺し合わない世の中が訪れる兆しであることを祈りながら、近いうちに“バトルシップ”を観に行きたい。
April 23, 2012 16:16:15

信号

カテゴリー: 日記
私の知り合いの歴史家と、ときどき歩いて町を散策するが、その時彼は絶対に赤信号での横断をせず、青になるまでじっと止まって待つ。
私一人の時は、自己責任において左右確認を行い、所謂…信号無視を決行するが、二人でいる時に、曲がったことが嫌いな尊敬する彼に“馬鹿正直に何故信号を守るんですか?”とか“だいじょうぶですから、渡りましょう。”なんてことを言う勇気もなく、いっしょに並んで待つことにしている。

正しい信号無視?の仕方について考えてみた。
交通法規上…赤色は止まれ。黄色は注意して渡れ。青は渡れ。…であるが、車が全く見当たらないのに、数分間待っているのも無駄な時間が過ぎるだけで、おかしな話だ。田舎とか都会でも早朝ならこんな状況の場合…、私は信号に関係なく自己責任において、渡っていいと思う。

問題は、昼間の都会での信号待ちだ。隣に小学生がいる場合がある。その状況で信号無視を決行すると、それを見た子供は自分が教えられたことと違う行動をする大人がいることに直面する。場合によってはショックを受けるかもしれない。
子供もいつか教えられた通りに世の中が回っていないと言う現実を知らなければならないのだから、自分がそのきっかけを作ることになったとしても仕方ないことかも知れないが…、ただ、子供の心を傷つける可能性があることを知って渡るべきだろう。

子供より問題なのは、自己判断云々の前に、つられて渡る人間だ。例えば以前こんなことがあった。遠くからこちらに向かってくる車の距離とスピードを計算して私がゆっくり横断歩道を渡る信号無視をした。渡り切る直前に後ろでクラクションが鳴ったので、振り返ると私の後をついてきた若い二人組に向かって鳴らされたのだと分かった。彼らは私につられ、てっきり青だと思って渡りはじめたようだ。自己確認せずに生きている人達はやっかいだ。もし私がきっかけとなって事故でも起こされたら寝覚めが悪い。
だから都会の昼間に信号無視を行う場合は、自分の安全確認だけでなく周囲の状況も確認したほうが良い。

そうして、渡るときには小走りに渡るようにすべきだろう。法律違反をして引け目を感じながら渡る姿を演出したほうが良い。
できれば、途中で後ろを振り返り、確認せずに渡ってくる馬鹿な人達に対して、場合によっては、一言注意してあげた方が良い。

正しい信号無視には、結構細かい神経を使う必要がある。

そう考えると、歴史研究家のように、じっと青になるのを待っているほうが懸命と言えるだろうか…。
April 22, 2012 11:34:16

楽器

カテゴリー: 日記
ギターを習い始めてもうすぐ2年になる。

10代後半から20代前半の頃に独学でフォークソングや映画音楽を弾いていた。その当時からクラシックギターの名曲“アルハンブラの思い出”に魅せられチャレンジしてみた。学生の頃に行った海外一人旅でもアルハンブラの城を訪ねてみたものだ。しかし、その後途中で挫折し、以来私のギターは長い間、埃を被ることになる。

10年ほど前に姪が学生の頃、練習用ギターとして一時彼女の手元に渡ったが、いつの間にか彼女が新しいギターを買い求め、私のギターは再び使い手のないただの箱になった。
ギターを弾く心の余裕なく過ごした経営者の日々を終え、生活のなかに安らぎを求めた2年半前、姪からギターを戻してもらい、若き日に弾きたかった“アルハンブラの思い出”と“カバティーナ”を自分のものにするためにケースの蓋を開けることになる。

ギターを習って10ヶ月ほど経過した時、先生から“少し早いペースだけど、アルハンブラやってみる?”と言われ、間髪入れずにお願いした。半年ほど経って“分からん人が聞いたら、上手いギタリストと思われるところまでなったね…”と先生から言ってもらうえた。(微妙な評価やね…)

今“カバティーナ”を習っている。“アルハンブラの思い出”が、ギター曲としてはそれほど難しくなかったことが分かるようになった。“カバティーナ”も秋までには弾けるようになると思う。

その時が来たら、ギターを習うことを続けるか止めるか、いまだに分からない。その時考えればいいのだろうが、私も普通の人だから、どうでもいいことに頭を使う。

ギターを習い始めた頃に先生が“そのうちに1970 年代以前のラミレス(スペインのハンドメイドのギターのブランド)が欲しくなるからお金溜めといてね…”と言われたことを思い出す。

長い間埃を被らせた私の今のギターは、1974年制作のスペインのハンドメイドである。決して悪い楽器ではない。
しかし、もし来年もギターを弾いていたら、ラミレスを手に入れているに違いない。感覚は使えば磨かれる。
そうなったとしても、40年前に手に入れた思い出の詰まった傷だらけのギターは手放さないでおきたい。

その時になって考えればいいことを、少し悩んでみた。楽しい悩みである。
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