一昨日、同窓会のあった日の午後居留地研究会があり参加した。NPO法人になって初めての総会が開かれ、続いて二題の研究発表があった。そのうちの一つに、一昨年に実施された居留地内の一画での建築物の建て替え工事に伴う埋蔵物調査について市の教育文化財課の担当者からの発表があった。その内容はたいへん興味深いものであった。 私の町は、居留地時代の百数十年前に、横浜に次ぐ日本第2の茶の輸出港であったのだが、現在は当時の面影は町のどこにも見かけられず、市民の間でも昔話としても語りつがれることもない。 埋蔵物調査が行われた場所は、茶葉の輸出を業とする外国の会社が船積み前に葉を鋳物の鍋で炒った工場の跡地であり、そのカマド跡の煉瓦やモルタルの床跡の調査研究だった。その会社は現在も静岡に場所を移して営業していると言う報告があり、その話で終わりかと思ったのだが、そのあとがまだあった。 埋蔵物調査は、調査を進めるに従って上から順に構造物を取り去っていくらしいのだが、全ての人口構造物を取り払った後で数十センチにわたって堆積物調査を行った結果が研究発表の最後に発表された。 その結果、過去500年以内の特定できない年代に居留地があった場所に津波が襲った痕跡が認められると言うのだ。このことは昨年研究発表に伴う新聞発表があるまでは誰も知らない事実であり、その発表後に東北での大津波があったことになる。 居留地としての開発が進むまでは、この地は農家が数十軒点在する閑散とした土地だったわけだから、津波の記録も残っていなかったのだろう。人がいかに昔は住まなかった土地に過去の自然災害を知らずに密集生活をするようになったことだろう。数百年前のことも、私たちは何も知らずに生きている。 地球規模の歴史からみれば、私たちは本当に薄い表皮の上に生活していることを実感させられた。 |