昨日、歴史研究家に、私の認識の間違いを指摘された。 我が町の港が居留地時代にお茶の日本一の輸出量を誇ると思っていたのだが、横浜に次いで二番目 (これについては、数日前の日記を訂正しておいた)だったこと…。 もう一つは、当時日本のお茶を輸入した国の人達が、少し不思議に感じつつ日本茶を飲んでいたと思い込んでいたのだが、、どうも茶の葉という物は、火の入れ方によって緑茶・紅茶・ウーロン茶等のお茶に変化するもので、欧米人が我々が普段飲んでいる日本茶を愛飲していたのではない…という事。 さすがに、歴史研究家である。お茶の火の入れ方については、詳しくは知らなかったが、なんでも良く勉強していて、おかしなことにはすぐ訂正が入る。恐るべし…研究家。 日本の茶葉が本当に紅茶になるのか、興味があるので別の機会に調べてみようと思う。 今日はこれから、私は研究家の車の運転の仕方を習うことになる。あることで私は研究家の運転手を務めなければならない。 このことについては、来週書こうと思うので、またその時…。 そうそう…昨日書いた絵本の構想については、研究家もよく理解していただき、できれば夏頃に、遅くとも秋には原稿をあげてくれることになった。 予定どおりに進んでいきそうだ。 |