私のあだ名は“ドンキホーテ”… 昨晩のマダムの会で私の隣に座った病院の院長夫人が、私のことを“ドンキホーテ”と何度も呼んだ。 ドンキーホーテの物語を詳しくは覚えていないが、確かスペインの騎士の物語で…、どちらかと言うとかっこいい人物ではなく、目の前のことに真剣に向かっていくが、どこか間抜けで愛すべきおっさん…というイメージがある。 院長夫人は、どういうつもりで私のことを“ドンキホーテ”と呼ぶのだろう? 昨年の6月頃マダムの店の薔薇の会で初めて彼女といっしょになった。その時もし仮装パーティーをするとしたら、自分が何になるかと言う話になり、その時私が“壁になります。”と言ったらしい。すると彼女が“あなたは、壁と言うよりドンキホーテよ…壁よりドンキホーテの方がずっとあなたらしくていいでしょ…”と言われ、それ以来…私は“ドンキホーテ”になった。壁とドンキホーテを比較しようとは思わないから、どっちが良いか問われても答えられないが、彼女のパワーには逆らえなかった。 同じテーブルに、今年71才になる一年のうち半々を日本とフランスで過ごすシャンソン歌手がいた。肌の艶をみるとどう見てもそんな年に見えず生気がみなぎっている。彼女の同伴は、30才半ばの、頭が坊主刈りのゲイ風イタリアンである。どうみても彼女のアクセサリーだ。 スポットライトに当たり慣れたシャンソン歌手は、病院の院長夫人がテーブルの話題の中心になると面白くなさそうな顔をしている。また逆の場合は院長夫人が面白くなさそうな顔をしている。 一つのテーブルのなかに、女王様が二人いると、目に見えない主権争いの火花が散るようだ。 私は、適当に二人の話に相槌を打ちながら、終演を待った。 私は、間抜で愛すべき、大人のナイトを演じていた。 |