“勢い”の意味 ・ 他を圧倒する力。 ・ 社会を支配する力。 ・ 自然の活動力。 ・ 盛んな意気。元気。 ・ 物事が動くときに加わる速さや強さ。 ・ 余勢。もののはずみ。なりゆき。 とある。 生きていくうえで、“勢い”は大切だと思う。 考えないのも良くないが、あまり考え過ぎると勢いは低下する。 直感を信じるということは、勢いを感じるという事だろうか…。 自分に勢いがない時には、誰かの勢いに巻き込まれてもいいものだろうか…。 私は勢いで結婚したが、離婚した。後悔はない。今は幸せだ。 最近自分に“勢い”がないのが分かる。 考えすぎているわけではないのだが、動けない。 少しあせり気味…。 心が満たされていると“勢い”はなくなるのだろうか。 私には、まだ“勢い”がコントロールできない。 そう思うと、満たされていない自分が見えてきた。 今日は昼から“勢い”にのってみたい。 |
昨日行きつけの美容院でカットを終え、メガネをかけてみたら、ちょうどその時黒色のタートルネックを着ていたものだからスティーブ・ジョブズに似ていると思い、口に出してしまった。今から考えれば年齢が同じであることと、外見において髪の毛が短く、髭を伸ばしてメガネをかけているところは共通点と言えるが、欧米人と東洋人との骨格に大きな違いがあるし、なにより私は彼に比べ頭脳の明晰さ加減と眼光の輝きが劣っている。私と彼とは似て非なるもの…大それたことを言ったものだと直ぐに反省した。 カットしてくれたオーナーは、私が口を滑らせた世迷言を聞いて、さすがに客である私に全否定はできなかったのだろうが、“ジョブズより村上隆に似ていると以前から思っていたんです。”と、返してきた。 村上隆なる人物を私は知らなかったので尋ね返してみると、ちょうど店においている雑誌に写真が載っていると見せてくれた。 すると確かに骨格も髭の形もジョブズより村上隆のほうが似ている。さすがにオーナーは他人の髪を触るプロフェッショナルで大勢の頭の形を見てきただけのことはある。うまく話の流れを変えてくれた。 さて村上隆なる人物…ポップアーティストとして世界的に有名な人物のようで、彼の作品は数千万円で取引されるほどの人気作家のようだ。 成功者に似ていると言われているのだから、喜ぶべきであろう。 ただ、私の本音を言うと、私は痩せてはいないが彼ほど太っておらず、彼より男前だと自賛する。このことはオーナーには話さなかったが…。 いずれ、私の作る作品も一点数千万円で取引されるようにしたいものだ。 |
私の町に、ミュージシャンや大学教授や同業者やら、遊び人達やらが集うGood Barがあって、私も1年に一二度は訪ねる店であったが、昨日人づてに聞いたところによると2月に店を閉め、マスターは同時に豊中にある大きな店のバーテンに雇われて行ってしまうと聞いた。 私がまだ20歳代の頃から続いた店だった。当時は私にとって大人の行く店に思え、敷居が高かったが、私がチョコレート屋をやっていた時には、マスターが酒の肴にチョコレートを買いに来てくれていたこともあり、たまに覗いてみると、当時の町のそうそうたる客がタバコやシガーを吹かし、寛いでいた様子を今でも思い出す。 思い返してみれば昨年の暮れに訪ねた時に、10時頃だと言うのに我々以外にカウンターに客は1組しかおらず、しばらくして彼らが帰って行って、その後誰も入って来なかった。 だから景気が悪いのかな…などと、その時思ったことを覚えている。 酒への価値観が変わったと言うか、マスターが年をとったのか、客が年をとったと言うか…時代は変わったんだ。 オーナーの顔が見える店で“大人の店”と言われることには、落とし穴があるように思う。若い客をどう取り込んでいくか時間をかけ真剣に取り組んでいかないとならない。 若い人が“大人の店”と思うのは、店ではなく、そこに来ている客の顔ぶれを見てに違いない。だから店ではなく常連客が若い客を拒絶してしまう。 ともかく、近々店が閉まってしまうまでに、マスターに会いに行って…、新しいステージに立ったマスターに、近くのビジネスホテルに予約でもして、会いに行きたいと思う。 だが、それはどちらも一度限りになるだろう。 |
仕事の関連で私が信用した人から、思うような対応がなく、昨日メールで極めて事務的に問い合わせてみた。すると間髪入れず丁重な詫びと今後の予定について書かれた返信が届いた。 私の年齢で信用できる人物かどうか見誤ることがあるだろうか…。 もう少し静観することにした。 今日マダムの店に行き、今までに人から裏切られたことがあるかどうか…と、唐突に切り出した。すると臆面もなく、昔いっしょに住んだ彼氏が事業に失敗し、店の手形を知らないうちに勝手に切って、行方不明になり、おかげで沢山の借金を背負ったことがあると語った。 私はマダムに辛い記憶を思い出させて聞かないほうが良かったと思った。 マダムは続けて話してくれた。あのことが商売(レストラン)が厳しくなるきっかけになってしまったが、今は恨んでいない…と。レストランを閉めることが新聞に載り、彼から十数年振りに電話がかかってきた時にもなにも言わなかったそうだ。その時でもまだ好きだったかも知れないと言った。 彼氏には悪意はなかったのかも知れない。マダムに隙があったのかも知れない。お互いが惹かれあうように、弱い心と心の隙は、いつの間にか忍びよるものだろう。 私には、他人から裏切られた記憶がない。と言うよりも裏切られたと思っていないだけかも知れない。そう思える私は幸せだと思う。 そして下手に、他人のプライバシーに踏み込む質問は、慎もうと思った。 |
毎週週末になると京都からマダムの店にやって来る客がいる。名前と大体の年齢以外は謎が多い独身男性で、どうやらIT関係の仕事らしい。聞いても分からないから教えないのかも知れないが出会って4年になるのに誰に聞いても仕事の内容は詳しくは分からない。 時間は自由に作れるようだから会社に勤めている風ではない。 英語の読解力は優れており、2年ほど前から米国制のタブレット型電子書籍を手に入れ持ち歩いてはダウンロードして英語の小説を読んでいる。 一見して無邪気である。 面白い話だと思うと瞳を思いっきり開き、耳を大きくして、首を伸ばして食いついてくる。 彼には好きな女性がいるらしいのだが、その彼女のことをマダムに相談しにくるということも京都からわざわざ新幹線でやってくる理由の一つに違いない。 無邪気と言う表現をしたが、いまだから言うが最初に出会ったときは、少し頭が足らないかと思った。それが、“天才”の印象に変わった。 彼に年賀状を書いた。すると小学校低学年の子供が描いたような線画と下手字の返信賀状が届いた。“あっちゃん”を尻尾で縛り上げた“タツ”を“ニカウ”さんが槍で突き刺しており血が出ているという絵である。私にはなんのことか分からない。 天才は他人から自分のことを上手く…良く…見られたいという気持ちがないに違いない。 天才は、失敗することを恐れないに違いない。 天才は、恐るべきマイペースに違いない。 改めて、彼の天才ぶりを思い知った。 改めて、天才に気に入られるマダムの懐の深さを思い知った。 彼をみていると、他人とは違うことをやりたいと常に思っている自分が恐ろしく普通に思えてくる。 |
この数年、心に余裕ができたせいか、今までやりたくて、やれなかったこと等、新しいことに手を付けてきた。英会話やクラシックギターや海外旅行(近隣だけれど)、家での禁酒やら、新しい町の会を作ったりとか…。今年は、さらに絵本作成とかも盛り込んで、さらにそれぞれに深く踏み込んでみたい。 その思いを現実のものとするため、一日を4分割した時間割を作ってみようと思う。大ざっぱに“午前中”と“午後を二分割”と“夜”という具合に分けて、さらにその時間帯のなかでしか手を付けない事項を当てはめるつもりだ。決めたことが時間を外れた場合はやらない。やるならその時間に済ませる…と言うことだ。そうすると自分の時間が貴重になるのではないか…。 やりたいことが複数ある場合、一日の生活のなかに区切りをつけたほうが、作業効率が良いように思う。 さて、今年の年末に、どれだけのことが実現できているだろうか…。 この日記でも、たまに経過をお話しさせていただきながら、自分への励みとして書かせていただこうと思う。 これまでのように、たまに覗いていただければ嬉しく思う。 しかし、この日記…年末まで続けられるだろうか? 人生何が起きるか分からない。 |
年の暮れも押し詰まった12月30日に歴史研究家と昨年最後のミーティングを行った。 最初に彼が我が町の老舗ホテル名を受け継いだホテルの歴史資料作成を私が手伝った御礼ということで、ホテルからの謝礼の半分を渡したいと言われたが、今後私もお世話になることもあるという事で丁重に断った。そもそも謝礼と言ってもたいした金額ではなかったが…。 その後、彼の研究テーマを私がプロデュースして絵本にすることについて本人の最終確認(了解)をとり、これまでの私の作業状況の報告と意見交換を行った。彼は真剣に質問を重ねてきた。自分が10年近く時間を費やして調べた成果を。ある意味他人に託して公にするわけだから、当然と言えば当然だ。 打ち合わせ終了後、この度の研究の最も重要な元英国領事の描いた絵の風景の現場を彼の説明を受けながら歩いてみた。150年ほど前は波止場であったところは埋め立てられ、高速道路の橋脚が並び当時とは全く違う風景のなか寒風を受けて散策した。さすがに彼の思いが強いせいだろうか、私にもその絵の描かれた状況が今でよりはっきりと見えてきた。 彼から、新年のメールが届いた。「今年、私の感性に触れることを楽しみにしている。」云々と書かれていた。 私にとって、最も力強いエールである。 印税が入れば、相談しましょう…と合意した。 お互いにとって良い一年にしたいものだ。 |
元旦に兄夫婦とその家族がやってきた。市の都市計画課に勤めて2年経過しようとする秀才の姪がみんなの前で話し始めた。 年末に住人と行政が一体となって町づくりを目指す会の“町の活性化のための提案募集”の表彰式準備のために私と彼女がいっしょに活動した時のことだ。 姪は、“おじさん(私のこと)は、みんな働いている時に、全く働かなくて、ひやひやする。”と言い始めた。 一瞬笑って済ませようとしたが、私がなまけものだというような評価がひっかかって「おじさんは、人の見ていないところで、他人がやらないこと気が付かつかないことを、しっかり自分の判断でやってるぞ!みんなが、だんごになって同じことをやってたら効率が悪いだろ…そんなところを見ておかないとだめだと思う。」などと、大人げなく反論した。 今日町を歩いていたら、繁華街の歩道で知り合いの和食のおかみさんとすれ違った。その時彼女は「もう来てはったんですか?」と尋ねた。私は「そう、来ていました。」と答えた。 普通は「仕事はじめですか?」とかの挨拶だろうに…、彼女は私が、ただ仕事場に来ているだけだと思っているのだろうか…。 他人は私が何者か理解していないようだ。私自身も自分はたいした仕事をしていないと思っている。ただ、リーダーシップをとって、周囲を引っ張っていく器でないことは自他ともに理解するところだ。 私は今年も、ファインプレーはできるが集団行動が苦手なアウトローで1年間を過ごしていくように思う。 どうあがいても私は私のスタイルを崩せないだろう。 |
毎年1月3日に蕎麦屋で“たぬき”をいっしょに食べる友人がいる。彼とさきほど、やっと連絡がとれ、今年も2時に遅めのランチをいっしょにとることになった。 彼の奥さんは20年ほど前から強迫性潔癖症になり、一人で外出することができず、したがって買い物ができず、料理することもできない。食べるものは彼が作る弁当だけだ。奥さんは彼と娘以外の他人との接触ができない。一人娘は肝臓障害のため人工透析が必要で定職についていないから一人で施設に入っている。そのため彼は毎日午前中に家の用事を済ませ、昼を過ぎてから仕事をするため職場に出てきて、夕方には奥さんを散歩に連れ出すために家に戻り、その後、また仕事場に出て夜まで働くという日課を繰り返す。極めて質素な生活だ。 彼は、ここ20年近く休みをとったことがなく、家族と旅に出ることもなく、家族と外食することもない。それでも愚痴を言うこともなく生活しているが、一昨年に自分自身も心筋梗塞になり一時的に心停止になった。 生きかえって、煙草を止め、食べ物の制限をしながら普段の生活を取り戻したが、彼が死んだらみんなどうなるんだろう。 そんな彼と2時に正月恒例の“蕎麦”を食べに行く。 事情を知った私との食事が、彼にとって束の間の息抜きになってくれたらいいと思う。 人それぞれに、生きていくうえで重荷をかかえている。 彼が不幸なのではない。私が不幸なわけではない。あなたが不幸なわけでもない。 それぞれが自分を不幸だと思わない限り…。 |
毎年1月2日は、家にじっとしていることが多い。 私は神社には、氏神様しか参らないし昨日に参拝を済ませた。今朝はじめて雑煮で餅を二個食べた。子供の頃は元旦におせち料理を食べた後で白味噌自立ての雑煮を食べ、二日目からすましの雑煮に変った。何故作り方を違えたのかという理由が私には分からない。いつのまにか元旦からすまし雑煮になり、ついに今年は元旦に雑煮を食べなかった。そのうち日本の食卓には正月におせちも雑煮も無くなって、すべての家庭で中華料理やらローストビーフやらピザの皿しか、ならばなくなる日は近いかも知れない。 ものには謂れがあって、その謂れを知る者が若い人たちに伝え継ぐことも文化の大切なファクターだろう。日本の伝統行事や戦争体験も、それを知る者が語り継がねばならない。 こう言う年よりじみた話をするようになってしまったと、自分の年を感じた。 しかし、ふと今のうちに、私の周りの年寄りからは聞いておく話はないだろうか、若い人に話をしておくことはないだろうか…と、考えた。 いっぱいあるぞ。聞いておくことも話しておくことも…人生何が起こるか分からないのだから、思いついた時にやっておいたほうがいいかも知れない。 などと考えながら、私はこれからフィットチーネの生麺を使ってクリームチキンパスタを作る。 |