“釦のかけ違い”とはよく言ったもので、世の中にはよくあることだと思うが、結局同じシャツやブラウスを着るうえでのちょっとした間違いであって…、一度全部外して最初からやり直せば、問題が問題ではなかったことに気付くものだが…。 かけ違いというものは、第三者の目で見ると明らかにおかしなことなのに自分では気が付かないことが多く、他人の目が先に気付いていたと分かると恥ずかしくて自分の非を棚に上げて誰かのせいにしたくなる。 たかが釦とホールの間の簡単な問題が他人の目を気にすると引くに引けない大問題に発展する…なんてことになるんだろう。 権益を表立てて戦争が起こることは理解できるが、私の常識では考えられない宗教戦争なんてものは、私の神が正しく、お前の神は偽物だと言ってるわけで…私の神が強くて、お前の神は弱いと両者が言い合っているわけで…。 第三者の私にすれば、どっちもどっちだと思うし、もともと神は同じじゃーないの…と、言いたいけれど、敵を作りたくないノンポリの私としては、公の場で“宗教の話・応援する野球チームの話・支持政党の話・天気の話?”をするなと言うから、この話はここだけにしておこう。 今日私は、町のボスと行政担当者の間に入って、ボタンの掛け違いを修正しようと奔走した。 先ずは両者の言っていることが互いに間違いではなく、どちらも正しいのだと考える事が原則である。そこからスタートし直して一つの着物をうまく着るためにはじめよう…と伝えることができたなら、うまくいくと思うのだけれど…、それこそ、そうはうまく事が運ばないのが世の常か…。 間に入っている私だが、例え事前工作がうまくいかなくても、自分ががっくりこないように、心の覚悟だけはしておこうと思う。 私は弁護士ではないし…。私の権益には関係ないし…。 |