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SOLILOQUY

ひとりごと

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December 01, 2012 16:55:40

洒落

カテゴリー: 日記
全快とは言えないが体調もほぼ回復した。
毎日やっていたストレッチや体幹トレーニングやら…その他諸々のことをこの3日間全て休止していたが、明日から徐々にもとにもどしていこうと思う。

今日の午後、マダムの店でコーヒーを飲んでいると、いつものようにニコニコ顔で例の謎の京都人が現れた。
しかし、マダムの顔を見るなり“心のなかは、どしゃ降りですわ…。”と、表情を崩さすに呟いた。本命の彼女にふられたようにも思ったが、敢えて聞くわけにもいかず“今日のジャケットの色はいい色ですね!”と、話題を変えてみた。“あっ…そうですか…いい色ですか…。”続けて“シャツの色もいい色ですね。ジャケットの色と良く合っている。”と、褒めちぎったら“こ、これですね。私のお薦めの伊勢丹のシャツコーナーのカッターシャツです。”と同じ笑顔で返してきた。
彼は急に立ち上がって“ちょっと、外で靴を拭いてきます。雨が、ちょこっと降り始めたので…。”戻ってきた彼に“濡れたらすぐに拭かないといけない靴は、私はあまり持っていないもので…。おしゃれですね…。”と、言ってみた。すると“心は、ずぶ濡れなんですがね…。”と、言った。

マダムの店に来る前に、彼に何があったか分からないが、今日は彼の事がよく分かった。彼は、おしゃれである。そして、苦しいことがあっても笑っている。(笑っているように見える。)
“あなたは周囲に幸せをまき散らすおしゃれさんですね。”…と、思ったことを彼に言ってみたら、“幸せまき散らして、自分にはやって来ないのです。”と、笑いながら言った。

謎の京都人は、素敵なやつだ。
December 02, 2012 11:56:26

記憶

カテゴリー: 日記
記憶というものは、曖昧なもので昨日食べたものも思い出せないことがあるし、3日前とか1週間前とかになると、なにか特別の日だったとか、サバーンのように記憶力の優れた人でない限り蘇らない。
おそらく人の記憶も、パソコンのデータのように一度五感や直感で感じたことなど記録された全ては、頭のなかのどこかに蓄積せれているのだろうが、データを引き出す能力が人によって異なる。機械でいうところの“性能”だ。

人の性能には、生まれ持って兼ね備えているものと、経験・学習によって開発されるものがある。ひと昔前の機械には学習機能がなかったから、製品として完成した時の能力が最高でその後経年劣化を待つしかなかった。しかし、パソコンが登場してからは、機械がデータの蓄積を始め、最先端の機械は自分で学習するようにプログラムされ始めた。今までは機械が人に追いつくことを目指したが、数年前から人が機械の整理能力や引出能力に依存する時代がきたように思う。

性能の良い人間とは、記憶する能力より記憶を引き出す能力が高い人だと言って良いだろう。
性能の悪い私には学習が必要だ。私なりに…、毎日記憶を引き出す訓練をしている。食べたものを翌日以降に思い出して書き留めていることや、なにより毎日ここに、なにがしら思いついたことを書き綴っていることだ。
記憶の掲示板に、自分が思いついたことを押しピンでとめているような感じなのだ。自分の全ての記憶をすべて引き出すことは不可能だと認識が出来ている。しかし、感じたこと思いついたことを毎日1枚〃〃掲示しておくことは、私の日常会話の話題の幅を広げ、感受性を高め、自分を戒めるために大きな役割を果たしているに違いない。

これが、私が毎日書き続ける理由の一つである。

今朝会社に来る途中、例の山道から紀伊半島がきれいに見えた。いつものように車を置いて、高台に上ってみた。例によって空気の澄んだ大阪湾が見渡せた。
私の町は、美しい。
December 03, 2012 15:49:40

空気

カテゴリー: 日記
今朝も、いつもと同じ山道を抜け町へ出た。
木間から見える大阪湾には靄がかかっており紀伊半島は見えなかったので、大阪湾を一望する高台には寄らずに一気に町へ下った。昨日から1時間ほど遅れて高台の横を通り過ぎたこともあるが、1日違いでまるで様子が違う。
天気というものが、そういったものだと言われれば確かにそうなのだろうが、幾つかの条件が揃わないと昨日のような景色は拝めないようだ。

奇しくも昨年の12月3日に同じ場所から撮影した写真を引っ張り出してみた。昨日が12月2日だから、同じ時期に空気が澄み渡る瞬間があるのだろうか…?
2枚の写真を比較してみて思い出した。おそらく昨日より1時間早い7時頃の撮影だろう。同じ景色のようだが、昨年の景色のほうが感動的だったことを思い出した。

一昨年のちょうど今頃、重なりあった落ち葉でアスファルトの見えなくなった山道を走っていると、木漏れ日に照らされ、きらきら煌めきながら、ゆれ落ちていく木の葉の舞にすっかり見とれてしまったことを思い出した。
あの日と同じ光景を、1年後に再びみられるものと楽しみにしていたが、昨年の冬にはみることができなかった。今年もあのシーンには出くわせそうにない。

同じように思えても、同じではない。忘れまいとしても消えて行く…二度と戻ることのない目の前の出来事が、たゆまなく過ぎていく。そう考えると、今生きている一瞬一瞬を、その一瞬を、楽しく、悔いなく、感動して、感謝して生きていけたらいいな…と思うのだが…。

そうできたら、今目の前に起こる出来事をすべて受け入れられるようになるだろうか?
December 04, 2012 13:13:05

検査

カテゴリー: 日記
今日は半年に一度の自分の体の定期検査に行った。血液検査・胸部レントゲン検査・ABI検査を行ったが、すべてに異常なし…水泳も続けられそうだ。

“先生に1300件(胸部血管手術の数)は越えられましたか?”と聞いた。“今年の7月に1350件越えていたからね…。”と先生が答えた。“2000件は行けそうですね。”と言うと“当然いくやろね。”と先生が答えた。
今度は先生の方から“知ってる?私…この間、国際的な団体から実績が認められて表彰されたって…。日本人ではまだ10人しかもらえてないらしくて、ほとんど大学の教授で現場の医師は国立循環器センターの医師と私の二人しかいないんやけどね…。”と、自慢そうに話した。
“そろそろ、引き抜きありますね…。”と、私が言うと“そうなんよね…今でも、あることあるんだけど、これと言ったのがなくてね…。私も52才だし、そろそろステップアップ考えなくちゃ…と、思ってるところなんだけど…。”私は、すかさず“外国からのお誘いがあるんじゃないですか?”と言うと“そうなのよ…。アメリカから誘われたら行きたいね。アメリカは厳しいらしいけど…勝負してみたいね。”と、意欲をのぞかせた。
私が“そうなると思います。”と言ったら、先生は微笑んだ。
私の主治医は、ICHIRO級である。

さて、先生がアメリカに行ってしまったら、私の定期検査は誰が診てくれるのだろう?先生に聞いたら“アメリカまで来たらいいじゃない。診てあげるから…。”と、言うに違いない。
それもいいかもしれんな…。

私の心(心臓)を生で見た人なんだもの…、ちょっとやそっとじゃー離れられない。
ついていきます。どこまでも…。
December 05, 2012 16:06:04

怨念

カテゴリー: 日記
今月は、ギター教室を休むつもりでいた。

教室は休んでも自宅で、好きな曲だけ思う存分弾いていようと思っていたのだが、今朝起きて朝ごはん前に、ケースから引っ張り出して音を出してみると、とんでもない音が鳴った。調律を試みるがどうもおかしい。
第3弦のペグが空回りしていた。私のギターは、1974年製造のスペイン製だが1昨年から2年間かけて、ギターの先生が自分のギター理論に基づいて改造を加え、勿論ペグの部分も先生お手製のものに交換されている。先生でないと直せない。

このままでは、全く弾けない。気が向く時まで先生の教室の門をくぐることはないと思ったが、ともかく明日教室を訪ねてみようと思う。

これぞ、先生の怨念に違いない。
まだまだ私を放さないというのだろうか?
December 06, 2012 13:35:33

浸食

カテゴリー: 日記
朝の散歩時に心の中で真っ先に唱える言葉の一つに、“漏水・雨漏り・水漏れがないように…。”というものがある。三つとも同じようなものだが、敢えて同じことを繰り返すには意味があり…、水に関わることは、大きな問題につながるという教訓があるからだ。
水は、普段気が付かない壁や天井の隙間を縫うように入ってきて災いを引き起こす。全く気配をみせず災いが忍び寄ってくるのだ。そんな経験を何度もした。

問題が起こった時に、すぐには原因がわからない。目の前の対応に追われる。災いが過ぎ去ったように思えても、原因が分からない。
目に見えないところが蝕まれているからだ。見えないところの原因をつきとめるために多くの時間と労力とお金を費やし、結局分からないこともあった。

私は、この水に対する経験を、人間関係にも当てはめて教訓としている。
悪人とは思えないからと言って…友達だからと言って…常識がある人に見えるからと言って…他人を自分の懐深くに入れすぎないようにしたほうが良い。あなたも振り返ってみたら、悪い人に見えない人…友人だと思っている人…裏切りそうにない人が、知らぬ間にあなたを苦しめていたことがなかっただろうか?

水の道は、なにも起こっていない時から徐々に引かれる。目に見える災いが起こるずっと以前から浸食が進み始めている。
水は防備の弱いところを突いてくる。人生に対する甘さを嗅ぎ分け近づいてくる。

平和な関係、幸せなひと時の裏で浸食がはじまっている…その気構えを持って生きていることが、災いが起こった時のダメージを小さくするに違いない。

私は、明日も“漏水・雨漏り・水漏れがないように…。”と唱えるだろ。
December 07, 2012 15:47:51

命日

カテゴリー: 日記
父が逝ってから早いものでもうすぐ10年が経過する。

私の父は、終戦間際に人間魚雷“回天”の操船訓練を受けていたと聞くが、戦中のことを話したがらなかったから、あまり詳しくは知らない。戦後、親戚一族の面倒をみなければならないこともあり、母と共に自営の道を選んだ。会社に勤めたことのない父は、あまり他人に頭を下げることはなかったように思う。
私が苦境に立たされた時に、特攻の訓練を受けた父が“命まではとられんは…。”と、言った言葉に重みを感じた。
別れの時に、絶対に振り向かないで真っ直ぐ歩き始める姿は、子供ながらに男を感じた。
しかし、癌になりホスピスに入った際…、病室を去る私の後姿を見送っている視線を感じたことは、かえって悲しかった。

もう10年が経過した。
この間に父が経験しなかった多くの経験をし、楽しいこともあったけれど苦難にも遭遇した。

“父の言葉や生き方は、今でも好きだ。”
私も、これからの人生…誰かにそう思われるように生きていきたい。

住職が早めの月命日で家の仏壇に経をあげにきた今日…ふと、思った。
December 08, 2012 12:56:08

寿命

カテゴリー: 日記
100才まで生きたいかどうかと問われたら、どう答えよう。

7年前に生死の境をさまよった私は、その後…あまり長くは生きられないものと思って生きていたが、今年になってから70才を越えるくらいまでは生きていられそうに思うようになり、70才で消滅する生命保険の見直しをおこなった。
一時は60才までは絶対に生きられないだろうと思っていたから大きな変化だ。
大病を患って余命○○年なんて宣告された人が、その後の生き方が変わると言う話を聞くが、まさにその通り…私も死を前提に物事を考えるようになっていたものが、数年経った今、もう少し生きていられるように思いが変わってきた。だからと言って100才まで生きていられるとは到底思わない。うまく生きられたとして70才を少し越えたところくらいに思っている。

高齢化社会に向かう現代…寿命が延びて平均寿命が90才を越えて100才に近づくのだろうが、私には別世界の話だ。
私も70才位なら、他人の世話にならずに生きていられるだろう。

その位生きたら、それでいい。それ以上はいい。7年前に術後ICUのなかで、自分ひとりでは何もできない数日を過ごした私は、心からそう…思う。

そんなことを考えつつ、明日なにがおこるか分からないことも肝に銘じて生きている。
December 09, 2012 10:16:40

練習

カテゴリー: 日記
イタリア人のバイオリニストの知人が私のホールで練習したいと言うので、今朝9時前に会社にやってきた。今、目の前で演奏が始まっているのだが、思ったのとは違って、知人の練習ではなく彼の生徒の練習らしい。知人のバイオリニストはホールの後で腕組みして歩き回りながら演奏を聴いて、曲が終わると奏者にアドバイスしている。
伴奏のピアニストはやはりイタリア人のベーゼンドルファーの選任アーティストだから、ピアノの伴奏は素晴らしいのだが、いかんせんバイオリンの音色が今一つである。使用しているバイオリンのレベルそのものがイタリア人のものとは違うのだろうが…、朝からイタリア人の素晴らしい演奏が聴けると思っていたから、少しがっかりした。

おそらく、今レッスンを受けている人は、これから今日どこかで演奏するに違いない。うまく行くように祈っておこう。

今日の昼には、フランスに40年以上住んでいる知人がやってくる。20年ぶりの出会いである…フランスに住んでいる彼女をフランス料理店に連れて行こうと思うが、日本料理にしたほうがいいだろうか?
彼女へのプレゼントに、昨日知り合いの真珠店でアクセサリーを買い求めた。フランスに残っている母親のものと二つ…。フランスでは真珠が喜ばれると思ったが、考えれば彼女は日本人であるし…喜んでもらえるだろうか?
日本人だがフランス人のハートを持つ彼女の心は量れない。

あまり、深く考えないでおこう。
December 10, 2012 14:23:30

趣味

カテゴリー: 日記
昨日、水泳教室の忘年会に行った。20人近く集まっていたが、先生と同じクラスの4人以外は初めて見る人達だ。仕事関係者がいない会だから気楽と言えばそうなのだが、おそらく私がクラスの一番新参者であるし、でしゃばらないように…目立たたないように…と、様子を伺いながらの参加であった。

それでも、一人が私に趣味はなにかと聞いてきたので“クラシックギターです。”と答えたところから、私に視線が集まりロックボーカリストの水泳のレッスンコーチとコラボを…とかなんとか、酒の席という事もあって無茶な話題が顔を出した。
私は適当に答えていたのだけれど、成行きで…小説家を目指していると、夢の話を持ち出したら、横にいたスキンヘッドの46才の男性が“今日集まった人のなかで、夢に向かって生きている人は、先生とあなただけです。と囁いた。
先生の夢と言えば、ロックボーカリストとして身を立てることだろうが、他人の夢は大変実現が厳しいように思う。しかし私が小説家として認められることは、それほど難しいことだとは思わないのだが…。

世の中“夢”に向かって生きている人は少ないということは分かるが…そんな人には、夢を追いかけてみたら…と、言うしかない。

“私は、楽観的で、自分に甘く、厳しい現実を見ることができていなかったのだ。”…と、言う納得を3年後にしないように、せいぜい精進努力しながら夢を信じて生きていきたい。
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