私は、月末に日本酒を抱えて神社を訪ねる。もちろん神社の境内で酒盛りをするためではなく、毎月一日の早朝に氏神様の宮司が月初のお祭りをする際のお供物にしてもらうためだ。 この習慣はかれこれ20年近く続いており、このままだと私が死ぬまで通い続けるように思う。 外国で信仰がなにかと尋ねられ、無宗教だと答えると信用されないと聞くが、そこのところを考えに入れると私は仏教と答えるだろう。家に仏壇があり、盆に祭りごとをし、寺に先祖の墓があるからそう答えることになるが、私は墓や仏壇に手を合わせることのない形式上の仏教徒であって、多くの日本人がそうであるように無宗教と答えたほうが正しいかも知れない。 ところが、私は毎月氏神様にお参りをし、毎朝この世の創造主と世間一般に言う神と、ご先祖様と家族と、そして私に関わるすべての人々に感謝している。毎朝毎朝同じように感謝している。 感謝することが信仰であるとするならば、私は良き信仰者に違いない。 今日も神社の近くの酒屋で酒を買った。もっと安く酒を手に入れるところはあるが、氏神様に供える酒は氏神様の近くで買うべきだという私なりの哲学があり、値段だけには釣られない。 この発想で日本人が国内生産物をしっかり購入すれば、内需は拡大するに違いない。 良き信仰者の私は良き日本人のあり方を考えている。 それはそうと、お供えした酒は、その後誰かの胃の中にはいるのだろうか? 全部お神酒になるのだろうか…? 余計なことを考えるのはやめておこう。 |