私の知り合いの歴史家と、ときどき歩いて町を散策するが、その時彼は絶対に赤信号での横断をせず、青になるまでじっと止まって待つ。 私一人の時は、自己責任において左右確認を行い、所謂…信号無視を決行するが、二人でいる時に、曲がったことが嫌いな尊敬する彼に“馬鹿正直に何故信号を守るんですか?”とか“だいじょうぶですから、渡りましょう。”なんてことを言う勇気もなく、いっしょに並んで待つことにしている。 正しい信号無視?の仕方について考えてみた。 交通法規上…赤色は止まれ。黄色は注意して渡れ。青は渡れ。…であるが、車が全く見当たらないのに、数分間待っているのも無駄な時間が過ぎるだけで、おかしな話だ。田舎とか都会でも早朝ならこんな状況の場合…、私は信号に関係なく自己責任において、渡っていいと思う。 問題は、昼間の都会での信号待ちだ。隣に小学生がいる場合がある。その状況で信号無視を決行すると、それを見た子供は自分が教えられたことと違う行動をする大人がいることに直面する。場合によってはショックを受けるかもしれない。 子供もいつか教えられた通りに世の中が回っていないと言う現実を知らなければならないのだから、自分がそのきっかけを作ることになったとしても仕方ないことかも知れないが…、ただ、子供の心を傷つける可能性があることを知って渡るべきだろう。 子供より問題なのは、自己判断云々の前に、つられて渡る人間だ。例えば以前こんなことがあった。遠くからこちらに向かってくる車の距離とスピードを計算して私がゆっくり横断歩道を渡る信号無視をした。渡り切る直前に後ろでクラクションが鳴ったので、振り返ると私の後をついてきた若い二人組に向かって鳴らされたのだと分かった。彼らは私につられ、てっきり青だと思って渡りはじめたようだ。自己確認せずに生きている人達はやっかいだ。もし私がきっかけとなって事故でも起こされたら寝覚めが悪い。 だから都会の昼間に信号無視を行う場合は、自分の安全確認だけでなく周囲の状況も確認したほうが良い。 そうして、渡るときには小走りに渡るようにすべきだろう。法律違反をして引け目を感じながら渡る姿を演出したほうが良い。 できれば、途中で後ろを振り返り、確認せずに渡ってくる馬鹿な人達に対して、場合によっては、一言注意してあげた方が良い。 正しい信号無視には、結構細かい神経を使う必要がある。 そう考えると、歴史研究家のように、じっと青になるのを待っているほうが懸命と言えるだろうか…。 |