私の知人が、今日“オフィスDO”という会員性のオフィスをオープンした。 このオフィスのキャッチフレーズは“仕事をするオフィスではなく、仕事を生み出すオフィス”である。 その知人には5年半前に我が社の代表をお願いし、1年半前まで引き受けてもらっていた。私は社会的に表舞台に出ないことを誓ったので、彼にはいつまでもその役職についていてもらいたかったのだが、先祖から譲り受けた財産を一代で失くしてしまった彼は、思った以上に経済観念が乏しく、そのままほっておくと会社を潰されてしまうように思い、他の人に役員を替えずにはいられなくなった。 彼との関係は、今でも悪いわけではない。このたび私もオフィスDOの会員に誘われたが断った。私には会員性というシステムがどうも納得できない。それに、彼は入会していない私がその会に全面的に協力的姿勢だと周囲の人に言って回っていたので、会員に対する責任を私には負うことはできないと考え一線を引くことにした。 本日オープニングパーティーが、行われている。今この時間も行われている。 私は、他のメンバーが顔を出す前に、少しだけ顔を出して退散した。 彼の“オフィスDO”がうまくいってほしいと思う。しかし、うまくいくとは思えない。どうして彼にはそれが見えないのだろうか… 彼は、他人の本音が分からない。そのことをこの5年半の間に私は理解した。そのことを本人に伝えることのできない自分に歯がゆさを覚える。 複雑な気持ちの続く一日だ。 |
以前から気になっていた藁ぶき屋根の蕎麦屋を訪ねた。家から高速道路で1時間ほどの田んぼのなかにポツンとある古民家の一軒屋である。正午を少し過ぎた頃に近くまで行くことができた。 今まで走ってきた舗装された道路には道標や看板類は何一つない。車一台がやっと通れるあぜ道に折れ、200mほど進むと、突然数十台の車が止まっている空地を利用した駐車場が現れた。田んぼの中の別世界である。 外から建物のなかの様子を伺うと、どうやら満席のようで、扉の内側にも数十人の待合の客がいるように見えた。それどころか停車している車のなかにも大勢人がいる。 昼の蕎麦屋のことだから、回転が早くて、どれだけ客が多くても1時間も待てばうまい蕎麦にありつけるのだろうが、私は待つことが大の苦手である。それで、待合客の冷たい視線を浴びながら蕎麦屋を後にした。 地元の人が昼に、こんなに込み合う蕎麦屋に来ることはめったにないだろうから、ほとんど都会からやって来た観光客だろう。ここで食べる蕎麦も都会で食べる蕎麦もあまり味に変わりはないと思うのだが、都会の人がいかに田舎や自然や古民家やらに憧れを持っているかが伺える。 以前私は、やはり住宅地のなかに忽然と店を構えるロールケーキ屋に1時間以上並び、買って帰ったことがある。待ったもんだから、その時間の元でも取るように、ほとんどの客が10本単位で購入し大きな紙袋を抱えていた。きっと“おいしいロールケーキのお土産”と言って、配り歩いたのに違いない。 私には、冷静に考えて並ぶことに費やした時間以上に美味くはなかったと記憶している。 そう思い起こして、蕎麦を食べずに帰る自分を正当化した。 とは言っても、あの蕎麦屋の蕎麦の味は気になるところだ。 今度生まれ変わったら、もう少し辛抱強く待てる人間になっていたいものだ。 |
昨日、日本海の港町を発って帰る途中で、山間の盆地に広がる…昔から京都とその西域を結ぶ要衝の町に立ち寄った。この町は、やはり私が新入社員の頃、大阪本社に配属される直前の1週間ほど研修でお世話になった町である。かれこれ35年ぶりである。 町なかに城があることを知り、行ってみた。すると思っていたより立派な城が目に飛び込んできた。近年復元されたようで、おそらく私が研修中には石垣だけしかなかったのであろう。 休館日で中へは入れなかったが、広場に掲げられた説明文を読んでみると明智光秀が建立し、その子が主となったことがわかった。 この地は、京都以西を納め監視するため、また中国攻めに、絶好の立地であったようで…天守閣からは、四方の敵軍の動きを掌握できる。 私の祖先は、信長の命により、この城から出兵した明智軍に滅ばされたのかもしれないわけだ。その明智光秀が信長を討ち、秀吉に討たれ、戦国時代は今日の友が明日の敵とか言うが、その時代に私の祖先も戦に負けて落ち延び、地方に散って行ったことに違いない。 そんなルーツをもつ私が、旅の途中に、この城を訪ねていることに感慨を覚えた。 このあたりの戦国時代の歴史を、少し調べてみたいと思う。 爽やかな秋晴れの一日だった。 |
今日、私が学校を卒業し、初めて就職した会社の新入社員研修で、お世話になった工場のある港町を訪ねた。数年前に高速道路が直結したので、私の町から2時間半で行けるようになった。以前に比べれば近くなったと感じるが、それでも瀬戸内海から日本海へ抜けるわけだから、ちょっとした旅行気分には違いない。 町に着いて、駅前に向かって車を走らせていたら、見覚えのある店構えの料理屋が目についた。35年前の研修当時…仕事が終わって先輩や同期の仲間と酒を酌み交わした若き日の記憶が蘇った。その店の名物は、“あさりの酒蒸し”だったように思う。 一昨年も6年前にも、この町を訪ねたがその時には、この店の記憶は飛んでいた。 懐かしかった。 残念ながら昼飯時で満席だったもので、国道沿いの“魚定食”と看板を掲げた店の暖簾をくぐった。なんと正午過ぎだと言うのにノーゲスト…。店主がすかさず“いらっしゃい”と言うものだから、引き返すこともできず、1種類しかない魚定食をオーダーした。 私が店主に、この町でもっとも大きな会社(工場)で研修を受けたことを話すと、主人は語りはじめた。「町で一番大切な会社だけれど、最近は景気が悪いようで人員削減しているみたいですわ。以前はこの店も接待で使ってくれていたけれど、最近は接待なんて全くありません。ここと違って接待だけで景気良かった店は、やって行かれへんようになって無くなりました。厳しい世の中です。」 私を社会人として育ててくれた上場企業にも、時代の流れが押し寄せ、地元の経済に影響を及ぼしているようだ。 いつもの教訓が頭に浮かんだ。 “幸せはいつまでも続かない。辛いこともいつまでも続かない。なにが起こるか分らない。なにが起こるか分らない。” 私を育ててくれた会社が、盛り返し、いつまでも続いてくれることを祈った。 |
昨日、家に帰ろうと思いながらマダムの店の前を通ったら、ガラス越しにバラのおじさんがいるのが見えたものだから、コーヒーでも飲みながら少し話をして帰ろうと店の扉を開けた。そのおじさんは、私より10才年上で5年前ほぼ同じ時期に私と同じ病名の大病を患い、私は手術をしたけれど、そのおじさんは手術しないで食事療法と薬の加減で生き延びた。 明らかに今では私のほうが元気である。おまけに彼は今年になって前立腺の手術をしたようだから、風邪をうつしてはいけないと思い、マスクをしたままで話をした。 彼は、私がマスクをしているにもかかわらず、「調子良さそうだね!」と、言うものだから、調子にのって「今日は、今まですっきりしないでいたものに光が見えた日で…解決したわけではないんですが、なんとかうまくいきそうなことが幾つかあって、ホッとしているんです。」と言ったら、いつものように笑いながら「それは、良かったね!」と言うから、私は「幸せのお裾分けをしますから、持って帰ってください!」と、調子に乗って答えた。 そのまましばらく談笑して別れ、一人になってから“うまくいくぞ!”と、自分に言い聞かせた。 今朝起きて犬の散歩をしていたら、今日の午前中にホールでコンサートがあったことを、すっかり忘れていたことを思い出し、散歩も中断して、あわてて引き返し大急ぎで身支度して会社に向かった。何事もなく今、コンサートが行われている最中だが…、 こんな私が、他人に幸せを振る舞うなんて、とんでもない。 油断してはいけない。人生なにが起こるか分からない。平穏におもえる時にやってくる災難というものもあるのだから…。 だけど、守ってくれているなにかもあるのよね! 感謝! |
一月ほど前の朝、車で会社に向かおうとした時、エンストしていてJAFを呼んでチャージしてもらった。 バッテリーも、まだすぐに替えるほど悪くないとJAFのスタッフに言われ、そのまま家を出たが、ラジオとCDのチューナーが全くダウンしており、うんともすんとも言わないものだから、数日後にディーラーに行って調べてもらうと、デッキのメーカーに送ってチェックしてもらうのに1週間かかると言われ、デッキ部分だけを取り外して不細工にも穴のぽっかり空いて配線が見える状態で乗り続けていた。 1週間過ぎても連絡がないので、こちらから電話して尋ねてみると、CDが動かないので修理に3万円弱かかるといわれた。私にとって3万円は予想外の高額だったから、「修理せずにそのまま戻してくれ。さらに装着しないままで構わないので、ラジオさへ聞ければいいから…。」と言って、取りに行って、そのまま電気製品に詳しい知人に見せてチェックしてもらうと、全くすべてにおいて異常がないと言われた。まさかと思ったが、確かに装着すると普通に作動した。 ディラーかデッキのメーカーのどちらかが、素人相手にぼろ儲けしようとしたことは明かだが、私は大人だから誰にも何も言うつもりはない。 腹も立てずに、世の中ってこんなものだ…と、思った。 せめて、壊れていないものを壊れてると言って請求するなら、今回の場合であれば請求額を1万円以内にするか、私の車にまだナビがついていないことを見越して、今回を機にナビの装着を勧めるくらいの営業すればいいのに…全く…。 最近、世間では手間のかかる電気製品のまともな修理なんて、どこもしてくれなくなったものだ。 本当に…全く…。 |
松茸の話が良く出る季節になってきた。今年はまだ、レトルトの松茸ご飯の元のなかに入っている松茸の小片しか食べてないなぁ…。 キノコで忘れられない事件がある。今から20年ほど前、私に家族という概念があった頃、家の中に置かれた観葉植物の鉢の根本に見慣れないキノコが生えていた。家族の誰もが前日には無かったと記憶している。不思議に思いながら仕事と学校とに全員が外出し、帰宅した時にはキノコの跡形もなく消えていた。 その頃近くに、自称“キノコ博士”と名乗る知人がいて、彼に話してみたら「キノコは不思議な生き物でね…そういう現象はよくあるものなんだよ。うまく説明できないけど…。」と言われた。 そんなもんだと思うしかなく、今まで生きている。 私の不思議な体験の一つである。 みなさん、“キノコの不思議”、経験あります? そう言えば、キノコの事件以来、なにかが壊れ始めたのかな。 あのキノコをもう一度見てみたい。 |
風邪がすっきりせず数日が経過した。一昨日は喉に痛みを覚え体がだるく…日記を書く気力もなくなった。 昨日朝起きた時にはしばらく声が出ず、このあたりが風邪のピークではないかと思った。 そんな日に限って打ち合わせが目白押しに入っていた。おまけに夕方には音響機材の搬出という肉体労働が待っていて冷たい汗をびっしょりかいた。夜には予約を入れていた髪の毛のカットに行ったが、疲労感からいつになくシャンプー時に一瞬寝てしまった。熟睡しようと思い家では飲まないはずのビールを飲んで、床に就き体温を測ってみると36.9°…私は普段35°代の体温だから少し高め…。 主治医が木曜日休診のため、家にあるありったけの薬を飲んで抑えようと試みたが、いま一つすっきりしなかった。 今朝の目覚めは、喉に痛みが残り痰がからんでいるものの、わりとすっきりしていた。朝、主治医を訪ね6種類の薬を渡され服用し始めたら、さすがに内科の主治医だ…。完璧な対処療法で残りの症状をすべて抑え込んでしまった。 風邪は治っていないのに、症状が消えてしまい、楽になったものの、今の体調は“?”がついた状態である。 これから風邪気味だと思ったら、葛根湯を飲むことにしよう。 錠剤やカプセルの服用過多の私は、そう思った。 風邪をひき始めてから、私は他人にうつさないようにマスクを着用しているが、町のなかにはマスクをしている人をほとんど見かけない。 豚インフルエンザの記憶は、日本国民の教訓にはならなかったようだ。 |
昨日の朝、高級住宅地にある百貨店のイベントホールでおこなわれるジャズライブのイベント会場の音響の仕事でJRに乗った。 新快速のほうが目的地に早く着くと思いつつ、通勤時間帯ですし詰め状態に違いないし、音響の先生との待ち合わせの時間にも余裕があるので、普通列車に乗りこんだ。 つり革につかまった私の目の前に座っている気の弱そうな小柄の会社員風の男性が口元を手で覆い隠しながら電話を握っていた。 指の隙間からら漏れてくる話の内容から相手にパソコンの操作方法を小声で指図していると分かった。 数駅が過ぎ、車内に空席が出始めた頃、会社員は立ち上がって扉の前に向かって歩きはじめ降車客の列に並んだ。ちょうどその前にアーミールックの長髪で大柄な男性が、まだ携帯電話を握りしめている会社員に「電車の内や、切らんかい。」とすごんで見せた。会社員はそれから間もなく停車し扉が開くと大柄の男が掴んでいた手を振り払って外へ出ようとした。するとその大柄の男は右足を見事に伸ばし会社員の背中にヒットさせて押し出した。会社員はそれでも携帯を話さず振り向きもせず改札口に向かって階段を下りていった。 大柄の男は「この野郎!」 と言って、会社員を追ってホームに降りた。 二人の間で合意できたものか、それとも会社員が二三発殴られ、警察が間に入ったか… その後の顛末は分からない。 車内で携帯電話を使い続けて話すことは良くないことだ。だが正義をかざして暴力を振るうことは、もっとダメだろう…。ここのところの道理を二人に誰が教えてあげるのだろう。 誰も他人事のように見て見ぬふりをしていた。私もその中の一人だ。 もし携帯電話を使用していた男性が、こわもてのプロレスラーであったなら、アーミールックの男性は注意できただろうか…などと考えた。そして、それ以上は考えないことにした。 |
風邪引いたようです 油断しました やすむことにしました みなさん おへそ出して寝ないように おやすみなさい |