昨日のコンサートは大成功だった…と、思ったのだが、 最後の演奏が終わり、ピアニストとすべての観客が帰路につき、先生を自宅まで送るためスタッフが一足先に1階の駐車場に下りた後、ギターの先生と奥さんの二人だけがホールに残った。“もうちょっと弾かせてもらってもいいかな”と言われ、友人と食事の約束があるから駄目ですとも言えず“はっ、はい…どうぞ”と答え、二人のやりとりを見ていると、“どうしたんやろ?このギター…演奏会が始まったら急に音が出なくなった。こんなことはじめてや。”かなり深刻な様子である。先生は物足らない音しか出なくなったギターを弾きながら“考えられることは、ギターがピアノの大音量の振動にさらされてビビッてしまったのかも知れない。”と眉間にしわを寄せながら言った。奥さんが答えた。“だから、ピアノの演奏中はケースに入れておこうと言ってたのにね。” 誰もいなくなり照明の落とされたホールの真ん中で二人はスポットライトを浴びながら話し合っていた。 先生が突然、私に向かって言った。“こんな時は、どうしたらいいだろ?”私は“何も考えないことです。どうせ、今、答えはでないでしょ…。” そしてやっと二人は駐車場に向かってホールを出た。 先生を送るため同じエレベターに乗り込んだ私は心のなかで思った。“先生!ビビったのはギターじゃなくて、先生のほうではなかったんですか?” 他にピアノとギターのコンサートが企画されない理由が演奏後に先生の肩にのしかかってきているように思った。 私は、大成功だと思ったこの試みは先生プライドの一部を砕いたように思った。 第二回目は11月18日(金)に予定されている。それまでに先生が復活することを祈る。 “先生、頑張れ!” |
私は、レンタル店で映画のDVDを借りることはあるが、ここ10年間で“アバタ―と松本人志の映画と第9地区”以外は映画館の大きなスクリーンで観ることはなかった。ところが急に映画館に行くようになり、最近2ケ月間で6本観ている。私は少々飽き性のところがあるから、もうすぐ行かなくなると思うが、今は大音量・大画面にはまっている感じ…。 私が観る映画はあまりお客様がいない。メジャーな映画を避けているわけではないが、いつも客席数の五分の一も埋まらない。 昨日、“世界侵略:ロサンゼルス決戦”を観た。土曜日だと言うのに、いつものようにガラガラの館内…映画が始まると最初から最後まで息つく暇なく戦闘シーンの連続で、大音響にさらされ続けたものだから観終わった後で頭にしびれを感じた。これぞ映画館で観る映画だと思い納得できないことはないが、緊張の連続で不思議な疲れが残った。 さて話は変わるが、昨日映画館に行って、ささやかな幸せを感じたことがある。それは料金が一人1000円だったこと…映画館にあまり行かない私は毎月1日が映画料金1000円だという事をお金を払う段にになって気が付いたのだ。 思ってもいない副収入が入ってきた感じで、とても幸せになった。 さて皆さんには昨日の映画は特にお勧めしないが、来月の1日にはだれかとご一緒に映画を観にへ行かれることをお勧めしたい。きっ昨日の私と同じように幸せになれると思う。 |
私の元部下が、今週の金曜日、10月7日に念願のオーナーシェフの店としてイタリア料理店をオープンさせることになり案内状が届いた。部下と言っても以前私が料理人であったわけではない。私は以前事業の一環として、イタリア料理・フランス料理・アメリカンダイナー・カフェ等を経営する立場にあっただけで料理人の直属に上司ではない。私の主たる事業は他にあった。 彼は私の下にいた数多くの部下のなかでも記憶に残る人物である。 料理学校を卒業してすぐに我々のレストランに就職したが、3年ほどで止め有名店で働いてみることを目的に点々と働く厨房を替えた。途中で一度我々の店に戻ってきたことがあって副料理長まで上ったが、自分の興味のある店から誘いがあると、すぐに去って行った。 これが独立を目指す料理人の典型的な生き方である。 店を持つ人間は若い時から働く姿勢が違う。 彼はちゃっかり数か月前に私のもとを訪ね、食器やら厨房器具をせしめて行った。 甘えられると応援したくなるものだ。 店を始めるには厳しい時期ではあるが、彼ならなんとかやっていくだろう。 自分の部下が独立していくケースはいくつもあったが、彼の出店が最後になるだろう。 私が飲食業から離れてすでに3年近くになるが、経営する立場ではなく、これから彼の店の一般客として末永く楽しませてもらいたいと思う。 |
先日雨が上がって急に気温が下がった日、久しぶりに港に行った。土曜日だと言うのにそれほど人出がない。潮の匂いの薫る海沿いの公園を歩いていると、震災のメモリアルとして岸壁が崩れた状態をそのまま保存しているモニュメントを見つけた。そこを見下ろす海にせり出したブリッジを歩いていると当時の記憶が蘇ってきた。 考えてみれば町の中でここ以外に震災当時の情景をそのまま残している場所なんて、思い当たらない。 ほとんどすべての場所は“早期復旧”という旗印のもとに、まるで間違ったところを消しゴムで消去して、新たな文字を書くように生まれ変わってしまった。 だから、このモニュメントはとても大切な場所に違いない。 自然災害や戦争は50年経てば語り継ぐ人がいなくなり、百年経てば遠い昔の物語になってしまうに違いない。 私は震災の時、埋立地の高層マンションに住んでいた。電気が切れ電話がつながらず、すべての情報が絶たれた時、現状を把握しようと非常照明の灯る階段を下り、地上に下り立った。その時、目の前で“液状化現象”が起きるさまを見た。 いまでこそ“液状化現象”は一般の人にも知られた現象だが、当時は誰も何が起こっているのか分からなかった。理解を越えた現象が起きると人は黙ってしまうことを、その時知った。 私も震災の語り部に違いない。私がこの話を人にすることができるのはあと何年だろう。20年だろうか、30年だろうか… 東北の人たちは、今から自分が語り部であることをひと時も忘れず生きてほしいと思う。百年後の子孫のために。 |
私は学生時代を東京で過ごし、卒業後初めて入社した会社で大阪本社に勤務した。 それ以外の人生のほとんどの時間を今の仕事場で過ごしている。 北面の山と南面の海に挟まれ、地中海型の気候と言われ雨が少なく、一日のうちに山風と海風が入れ替わり空気によどみのない“住まうこと”で言えば全国でもっとも人気のある町に生まれ、育ち、生活してきた。 そんな私は、小さい頃から、いつかこの町から出て、もっと自分に適した土地で生活するだろうと考えていた。 私の先祖はおそらく2000年前に山口県を生活圏とし、いつの時代かに関西に移り住み戦国時代には合戦に参加し、破れ、逃げ、住まう土地を転々と変えたように思う。 曽祖父は150年前に、江戸や長崎に遊学し、祖父の時代に今の町にたどり着いた。 周囲の人達は、私がこの町を離れたいと思っているなんて考えられないと言うが、私には、より自分に適した土地に向かって住まいを移してきた先祖の血が流れている。 そう思うと私が近いうちに新天地を求めて旅立つことは必然のように思えてくる。 この考え方は私だけのものではなく、おそらくあなたにも、そんな血が流れているに違いない。 人はすべて旅人のはずだから… |
私の友人がfacebookで、最近人生で最もエキサイティングなことが起こった…と書いていた。見てみると9月23日付のgooのニュース記事が引用されており、 “名古屋大などの国際研究グループが23日発表した、ニュートリノが光よりも速いという実験結果。光よりも速い物体が存在することになれば、アインシュタインの相対性理論で実現不可能とされた“タイムマシン”も可能…。” 友人はIT・CP業界に詳しく、また近々自分の学校の生徒募集をニューズウィークに告知しようと言う国際派である。私より10才近く若いそんな彼が子供の頃からの夢の“タイムマシン”の実現の道が示されたことに歓喜した。 子供の頃の夢を忘れずに大人になっても夢に一喜一憂できる彼を素晴らしく思う。 私は子供の頃の夢なんて覚えていないかもな…。喘息で学校を休みがちなひ弱な少年には、人と同じことができることが夢だったかもしれない。しかし、いつの間にかその思いは実現し今では同年代の友人達より若く健康で過ごしている。 それにしても、科学の進歩はどんどんはやくなっていることは確実だ。 タイムマシンが完成するのは、まだ先の話だろうが…、 まさに現実が夢を追い越してしまう時代が、すぐそこにきているように思う。 私の好きな言葉 “人生に夢があるのではなく。夢が人生を作る。” 最近忘れていたこの言葉を、また思い出して夢をしっかり抱いて生きていきたいと思った。 |
昨日、ギターの先生のご機嫌がどんな具合か気になりつつ、コンサート後初めてギター教室に行った。 すると昼過ぎだったせいもあるが、先生はいつものように少しとぼけた顔でレッスン場へ現れた。予想通り、他に誰も生徒のいない二人だけの部屋で前回のコンサート“ちょっと贅沢なピアノとギターのコンサート”の話がはじまった。 先生は、のっけから、コンサート後の落ち込み?から完全に立ち直ったと話し始めた。 私は、先生に元気がなかったらどうしよう…と少し心配しながらやってきたものだから…一安心。 先生曰く、あのコンサート後1週間で自分が数段レベルアップしたと言いながら以前との音に違いを私に弾いて聞かせた。しかし、私にはかろうじて音の違いは判別できるが、どちらが良い音かは分からない。 私は、先生が思うほど聴力に関する感性は高くない。 しかし、鋭い感覚を持った人の感じ方を、頭で理解することは大好きだ。 先生に、一言だけコンサートの感想を言わせていただいた。 “コンサートの最後の曲で、先生はピアニストと戦っていたように思うのですが、戦わないほうがいいのではありませんか。” すると“そう、そのとおり、戦っていたと思う。次からは少し姿勢を変えてみるようにするは…。” 私の先生は、感覚がそれほど鋭くはない私の言葉に耳を傾けることができる。 私は、そんな先生が好きである。 次回11月18日(金)のvol.2のコンサートで、復活した先生の演奏に出会えることが今から楽しみだ。 またまた、ギターのレッスンはほとんどなく、次の生徒がやってきて私は帰り支度を始めた。 しかし、私はいつものように幸せだった。 |
自分の目の前に常に選択肢を複数持って生きることは大切なことで、この道しかないという事になると、最悪行き詰った時に自分を抹消するという道に向かうこともあるから要注意。 逆にこの道しかないと信じて死ぬつもりで頑張った結果、望んだものを手に入れる人もいるだろうから…。 両極だけを抜き出して考えると、生き方としてどっちがいいとも言えないなぁ。 大抵の世の中の人は、死ぬ気の努力なんてしていない。失敗を回避するための中途半端な選択肢をいくつかもって死ぬ気まではいかない程度に努力しながら生きている。 安定志向の選択肢だけもって、中途半端な努力をしたことしかない教師が教壇にったって世の中のことを教える現在の教育だから、中途半端な人間を量産してしまうに違いない。 しかし、そんな教育が私は悪だとは思わない。私が生きている一般社会はそんな教育を受けた人でなりたっているのだろうから。 ギャンブル性を兼ね備えた強い信念をもって死ぬ気で生きると、私たちの目の前には他人より抜きんでることができるラッキーな世界が目の前に広がっている。 このくらいの広い視野で生きたらスティーブン・ジョブスになれるかな… でもジョブス氏は、きっと自分と同じような人間は嫌いだろうな…。 ジョブ氏は死ぬまでに何度も死にそうな思いをしたんだろうな…。 |
今日は朝から、いい天気…。どこかにピクニックへでも行きたいところだが、午後から東京から取引先の社長がやって来る。 先月中に面談する予定であったが、その当日台風で新幹線がストップし半日待ちぼうけして、とうとう会えなかった。以後先方の社長が忙しく、こちらへの連絡が途絶えたものだから、二日前に私のほうから12日(水)に東京本社に伺いたいというメールを送ったら、遅くなった詫びとともに今日行きたいが、予定はどうかという返事が返ってきた。そういう事情で、ピクニックには出かけられない。 気がかりなのは社長が何時にやってくるかの連絡がないこと。私が現役で今でも忙しかったらこちらから電話でもして、早めに確かめ昼飯でいっしょにどうだ…くらいのアクションを起こしただろうが、最近は時間がいっぱいあるし、午後からならいつやってきても対応する心の準備はできている。私の体内時計はかなりゆっくり動くようになったものだ。 ともかく、今日の面談で、かねてから進まずいらいらさせられていた契約の一つがクリアーする。私の心は今日の秋空のように澄み渡るに違いない。 明日、爽やかな心でピクニックにでかけることにしよう。 あなたも、今日きがかりなことがクリアーできて幸せになれますように…。 |
今日はピクニック日和で、今頃、山の木立の下を歩いているはずなのだが、神様は私にささやかな試練を与えた。昨日契約は無事終了したのだが、その契約に関連して思いもよらなかったことが判明して絶句した。そして契約終了後に、信じられない提案を受け、またまた絶句…。この年でいろいろ経験したつもりだが、まだまだ世の中には私にとっての未知の出来事がたくさんあるようだ。 ご心配なく、今のところ私が不利益になるようなことではない。今後問題が発生する可能性はなきにしもあらず…だが、どちらかと言うと今は呆れている…という状態だ。 最近平和過ぎて、刺激のない日々を送っているから、呆れて終わるくらいの出来事があったほうが人生楽しい…と、自分に言い聞かせるのだが、結構昨日は帰ってからも疲労感が残り、普段家では飲まないビールを飲んで爆睡した。 さて、まだ陽はあるし、気分転換で、今からピクニックに行ってみるか…それとも最近オープンした、元部下の店で今日も酒を飲もうか… 詳しくは言えないが、昨日の絶句で今日も、気分が晴れない私である。 |