昨日、日本海の港町を発って帰る途中で、山間の盆地に広がる…昔から京都とその西域を結ぶ要衝の町に立ち寄った。この町は、やはり私が新入社員の頃、大阪本社に配属される直前の1週間ほど研修でお世話になった町である。かれこれ35年ぶりである。 町なかに城があることを知り、行ってみた。すると思っていたより立派な城が目に飛び込んできた。近年復元されたようで、おそらく私が研修中には石垣だけしかなかったのであろう。 休館日で中へは入れなかったが、広場に掲げられた説明文を読んでみると明智光秀が建立し、その子が主となったことがわかった。 この地は、京都以西を納め監視するため、また中国攻めに、絶好の立地であったようで…天守閣からは、四方の敵軍の動きを掌握できる。 私の祖先は、信長の命により、この城から出兵した明智軍に滅ばされたのかもしれないわけだ。その明智光秀が信長を討ち、秀吉に討たれ、戦国時代は今日の友が明日の敵とか言うが、その時代に私の祖先も戦に負けて落ち延び、地方に散って行ったことに違いない。 そんなルーツをもつ私が、旅の途中に、この城を訪ねていることに感慨を覚えた。 このあたりの戦国時代の歴史を、少し調べてみたいと思う。 爽やかな秋晴れの一日だった。 |