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SOLILOQUY

ひとりごと

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August 21, 2011 13:36:24

映画

カテゴリー: 日記
今日の三面ニュースのなかででSF映画の金字塔と言える“ブレードランナー”を前作と同じ監督…リドリー・スコットがリメイクすると言うニュースが目に付いた。

原作はフィリップ・K・ディックのSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」という難解な小説であるが、原作を実に分かりやすく映画化しており、機械が人間の心を持てるか…という大きなテーマを扱った四半世紀経過してもSF作品として色褪せない秀作だ。

映画のリメイクは、数多くあるが同じ監督が再度チャレンジするという話はあまり聞かない。同じ監督がリメイクする理由はいくつかあると思う。原作の理解の仕方や映画作りにおける見せ場のポイントが変化した…特殊映像の技術が進歩し、前作では描ききれなかった映像が撮れるようになった…今、使ってみたい登場人物に相応しい俳優がいる…他にも理由はあるだろうが、それら全てが揃わないと同じ監督でのリメイクはあり得ない。ヒットメーカ―…リドリー・スコットの真価が問われる。

先日、映画館で“モールス”(アメリカ版原題は“Let Me In”)という映画を観た。この映画の原作者はスウェーデン人で、2008年にスウェーデンで映画化されている。2年後にハリウッドで“クローバーフィールド”の監督によってリメイクされたわけだが、この短期間でのリメイクはいかに原作が映画監督のイマジネーションを刺激するものであるかを伺わせる。

観た感想は“おもしろい”だ…。観終わってすぐに、いつも松本人志の映画をいっしょに観に行く友人に推奨のメールを送った。すると「あの、マニアックな映画ですね…」と返ってきた。そう言えば、上映中の観客は10人ほどしかいなかった。私の気に入る映画は一般の人には受け入れられないのだろうか…

取り敢えず、お奨めしておく…“モールス”
でも、もうすぐ上映打ち切りになりそうだ…
August 22, 2011 13:24:25

遺品

カテゴリー: 日記
昨日、知人から当時18才の宮沢りえをモデルに1991年に出版された“Santa Fe”と言う写真集を見せてもらった。出版当時…気になっていた本であるが、個人で買うほどのこともなかったし、周囲に持っていますよ…と公言する人や見せてやろうと言ってくれる人もなかったので、結局当時話題になったヌード写真集を昨日初めて見たわけだ。

感想は“美しい”…人が衰えるものだと知った私は、人が最高に美しい体を持った瞬間に写真集としてその美しさを定着させた行為に感激した。

当時、おそらく宮沢りえ本人は、その美しさの本当の意味を知らなかったに違いない。衰え…ということを知っている…彼女のマネージャー的存在だった母親の考えによるものだと思うが…究極の美というものは、その対局を知ったもののほうが、価値を見いだせるに違いない。

出産後活動する宮沢りえの芸能活動を見ていると…彼女が死んだ後に彼女を偲ぶ形ある遺品として“Santa Fe”が最も光を放つように思える。

さて、あなたはすでに、あなたの美しさを焼き付けたなにかをお持ちですか…あなたはすでに、あなたの美しさを知る人に出会いましたか…

私は、これからも私がこの世で生きた証を作っていきたいと思う…。
August 23, 2011 12:35:47

宿題

カテゴリー: 日記
facebookの宿題の“夢”というテーマでの作文は…まだ書いていない。さすがに出題者だけは投稿を終えているが、他のメンバーは誰一人書いていない。様子を伺っているのか、忙しいのか…本来facebookでの意見交換は、全員が揃って会議に出席することが難しいからfacebookを有効利用しようという意図があるものだから、多くの人が、活発に投稿し、それに対して意見交換がなされないことにはfacebookを利用する意味がなく、我々の会の次なるステップが踏み出せない。
かなり低いところで足踏みしている…。出題者と一度会って話をしようと思うが、その前に“夢”についての書き込みは、やっておこう…。

さて。私の夢はいかなるものか…この日記をご覧いただいている方々はすでにだいたいご存じだと思うが…“小説を書いて映画化したいとか・シンガポールに住みたいとか・今住んでいる町を出るだろうとか・散骨して私の骨を入れた壺を作ってほしいとか・生きた証を形あるものとして残したいとか…”今までいろいろ書いてきたから…

それにしても、現実の私の周囲にいる人たちはみなさんほど私の夢を知らない。おそるべしこの日記…今ご覧いただいている方はお一人の方を除いて、全くどんな方か分からない。勿論どなたにもお会いしたことがない。

グループの発起人である私が“実は、私は若い人たちで運営する新しい考え方の会が作りたかっただけ…はやく身を引きたいと思っています。”なんて夢で語ったら、みんななんて思うだろう。

無暗に言わないほうがいい夢もあると思うな…。
August 24, 2011 10:14:27

返事

カテゴリー: 日記
昨晩facebookに投稿した。残念ながら“夢”というテーマではなく、“マージナルの文化”という作文を書いたのだが…、早速メンバーの一人から夜中にメッセージが返ってきていた。

・雄弁ですね(笑)
・この度の内容は当会のなかだけではなく、もっと公の場に発表すればいいのに…
ネットとの係りの深い私として…言わせてもらいますが…
・長文過ぎて私は、見ただけで読む気がしない。
・だいたいネットでの記事は10行が限界ですよ!

と、返ってきた。彼は現在大学の講師で、直近まで東京で大企業のオフコンのシステム設計をしていた。ある意味…超エリートである。ともかく、頭はすこぶる良い。

今朝、私は当たり障りなく、これから短くするとの返事を返した…。
彼の言わんとすることは分かるような気がする。ネットを通して思いや考えのキャッチボールをするためには、短文でないと相手に飽きられてしまう。私は試みていないがツィッターやミクシーは、プロの卓球選手のように思いが飛び交うのだろう。

世の中が、ますますネット仕様に変化していく…と、思った。
だが、しかし平安時代の蹴鞠のような、情緒が通うやりとりも…私は好きだな!

これからも、この日記では10行以上書かせていただこうと思う。
August 25, 2011 14:57:32

上海

カテゴリー: 日記
昨日の午後、“Shanghai”を観た。午前中に早めにチケットをとった時、込み合いますので15分前には入口付近に集合してください…と言われ、渡辺謙も積極的にテレビにゲスト出演して宣伝しているから、満席に違いないと思い館内に入ってみたら、半分位の空きがあり、少し肩すかしをくらった。平日の昼間ということもあるが、ビジネスマンは誰一人おらず、若者は全く見かけず…9割近くの人は80才に近い…。ひょっとすると私が一番若いのではないかと思うほど観客の年齢層が高い。考えてみれば、太平洋戦争と青春時代が重なった人達には切実なる思いのある題材なのであろうか…。十代の人に“ニイタカヤマノボレ”なんて言ったってなんのことか分からないだろうしなぁー…、日本も米国も太平洋戦争を題材にした映画を今でも作っているけど、日本の映画はヒューマン的過ぎる。その点Shanghaiは、歴史感(Shanghaiでは歴史の拡大解釈はあるようだが)がベースにしっかり挿入されていて、隠されていた史実を紐解く姿勢がサスペンス感を際立たせていたように思う。さすがハリウッド…。

物語が終わり、エンドロールが終わって、館内が明るくなるまで誰も席を立たなかった。年配の方は映画の余韻を楽しむ余裕があるのだろうか…それとも暇なのだろうか…

今日は、日本が高齢化社会に向かっているさまを、痛く感じた。
そして、そのなかに私自身も、もうすぐ足を突っ込むんだという予感を、まざまざと感じた。
August 26, 2011 14:22:07

鉛筆

カテゴリー: 日記
いつものように会社にコピー機のメンテナンス会社のスタッフがやってきた。挨拶代りに「最近、コピー機、売れてる?」と聞いてみた。すると案の定「いやぁー駄目ですね…」額に皺を寄せて「大会社では、書類保管のために、いまでもコピーの需要はありますが、小さい会社はパソコンのプリンターで済ませるようになったから、縮小傾向です。それに紙の需要が減ってきてますし…。」と、思った通りの答えが返ってきた。

私の周囲の人たちも最近ではパソコンで書類の保管を済ませるようだし…、FAXからメールに情報伝達の方法が変わって紙を使わなくなったようだし…、コピー機だけを見ても急速に世の中がエコ化しながら変化している様子を見て取れる。

CDショップが少なくなってきているけれど、そのうちに本当に新聞や本屋が無くなり、SFの話みたいに思ったけれど、そのうちに教科書が紙ではなくなり、ノートが無くなり、鉛筆がなくなり、手で筆記具なんて持てなくなり、人間の手の原型が変化してくるかも知れないなぁー。

私が作ろうとする小説も、紙媒体で考えないほうがいいかも知れない。
段落と段落の間には空間をとらないとだめで、10行以上は長すぎて読めないと言われ、いったいどうすりゃいいんだ…。
電子書籍で毎日10行づつ連載にしろってことかなぁー…。
分からん。
すでに、私の常識は化石化を始めているのも知れない。
August 27, 2011 11:53:20

記帳

カテゴリー: 日記
「痩せない…痩せない…」と、ぼやいている83才の老人がいる。(最近の老人は自分が老人だと思っていない)「食べてないのに、どうして減らないんだろう」と、またぼやく。

彼女は、1年半前に脊柱の骨の一部が砕け腰が曲がり、神経を圧迫して強い痛みのため家の中でも動けない状態になった。そのため、昨年の秋に外科手術で脊柱を削り神経の通り道を確保し、おかげで腰は曲がったままだが痛みは薄れ、普段の生活は支障なくできるようになった。しかし、完治したわけではない、外科的応急手当を施しただけ、実際彼女の骨は今でも砕けたままだ。彼女は今、体重の増加による体の負担を軽減する必要に迫られている。

骨が砕けるまでの骨密度は同年齢の平均より、かなり良かったという。
人生何が起きるか分からない。骨が砕けたことは本人も医者からレントゲンでの説明を受けるまで分からなかった。

一瞬にして人生が変わることがある。
ある日突然動けなくなること…、ある日大切なものを失うこと…、ある日自分が年老いたことに気が付くこと…、それらは、生きている限り、すべての人に巡ってくる。

そうならないために、今何をすべきか…、そうするために、今何をすべきか…、
そして、そうなった時に今何をすべきか…、それが、その人の生きる力に違いない。

今日、私は痩せない…と、ぼやく彼女に、小さなノートを渡した。そして毎日食べた物を全て書き出せ…そしてどれだけリハビリしたかも全部書き出せ…と、アドバイスした。
自分が変わろうと思えば、まず自分のことをもっと客観的に知らなければならない。

痛みと動けない辛さを知った彼女なら、そのぐらいのことはできるだろう…と、思ったのだが…
August 28, 2011 10:17:02

氏神

カテゴリー: 日記
今日は朝の6時20分からイベントホールの清掃をした。だから家を出たのが5時45分…。まるで旅行に出かける時のような、朝から慌ただしいスケジュール…。

道路にはほとんど車をみかけなかった。心なしか(いや、かなり飛ばしたかな)スピードが出て、まったく信号にひっかからない。いつもなら、片道50分かかるところ、35分で到着…ちょっと、近くの神社(氏神様)に挨拶に寄る。そぉ…私は、いつもなにかお願いに行くというより挨拶による。

そして、誰もいないビルに入り、空調を入れづに窓を開けて掃除を始めた。昨日のゲリラ豪雨のせいか、今朝の気温は幾分凌ぎやすい…。それでも掃除を始めると汗が噴き出てきた。ハンカチでぬぐっても追いつかない。額の汗が何滴も床に落ちる。下着もびっしょり濡れてしまった。だけど気分は爽快…まだ8時半だと言うのに、まるで今日一日が終わったような達成感が満ちてきた。

あまりに朝が早すぎて、いつもの清掃スタッフに依頼できづ、私が掃除するはめになったが、たまにはいいかも知れない。今月行きそびれていた氏神様にご挨拶できたし…

みなさん、たまに氏神様にご挨拶してます?
August 29, 2011 11:47:01

直観

カテゴリー: 日記
作日、世界陸上の100m決勝を見た。圧倒的強さで優勝するはずのボルトがフライングで失格し、アナウンサーが世界の誰もが予想しなかった結果…と話したが、私はスタートラインに着く前に映し出された彼の表情や仕草を見て彼の失格を予想した。私以外にも多くの人が同じように感じたのではないだろうか…。映し出された映像には、自信満々であるように装いながら、あまりに大きなプレッシャーに潰されそうな怯えた巨人が見えていた。

今の時点で想像するに…おそらくボルトは、今大会でのコンディション調整に失敗し、成長する同僚や決勝に残った各国のトップランナーの足音が今までになく、すぐ後ろに聞こえていたのだろう。彼の心中には、超人として臨んだ決勝という舞台から逃げ出したい…と言う気持ちが潜んでいて、フライングという結果を呼んだように思えてならない。

さて、私が彼のフライングを予想したことが、能力といえるかどうかは分からない。もし彼が順当にスタートし僅差でも優勝していれば、私自身が彼のフライングを予想したことは、すぐに忘れてしまっていたことだろう。

よく当たる占い師は、お客の微妙な表情や仕草の変化を見逃さないという。アメリカ映画でも容疑者の微妙な表情、仕草を分析する主人公によって事件が解決されるというものがあった。また優秀な営業マンも取引先担当者の隅々を観察して話を進めるだろう。

人の心のなかは、見る人が見れば完璧に見通されてしまうに違いない。

さて、ここまで好き勝手に書いたが、この度の私の直感の件…単なる偶然と納得しておこうと思う。これが確かな私の能力であったら、事業がもっと上手くいったに違いないから…。
August 30, 2011 13:51:07

治療

カテゴリー: 日記
今年の7月、小学校4年生の担任の先生を囲む会があったが…
さきほど半世紀ぶりにお会いした先生の顔が思い浮かんだ…
すると当時の記憶が蘇った。

持病の喘息の治療と称して私は水曜日の5時限の合同体躯の時、毎週学校を抜けさせてもらい、一人で当時布引にあった市民病院に市電を乗りついで行き、内科の病室で腕の静脈から血を採って、その血をただ単にお尻に入れるという治療をしてもらっていた。
いつもは婦長さんが注射してくれていたのだが、ある時新人の看護婦さんが担当した。後で婦長さんが「どお…痛くなかった?」と私に聞いてくれた。私は気遣いに答えようと思い「大丈夫です。いつもより痛くなかったです。」と答えてしまった。
婦長さんは、そのまま黙っていた。
子供の私が、はじめて大人を傷つけたと思った瞬間だった。
今、思えば、どってことない会話のように思えるが…その時は、えらいことを言ってしまったとさんざん後悔した。

喘息の少年は神経質過ぎるかもしれない。この時のことを、今でも思い出す私は、いまでも繊細過ぎるところがあるかも知れない。

当時、喘息を治すために、藁をも掴む思いで、いいと言われることを、いろいろ試したものだ。
ところで、あの治療は、いったいなんだったんだろう。今でも分からない。
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