数日前、巷を賑わした愉快犯が、大坂御堂筋沿いの銅像20数体のうち17体に一夜にして赤い洋服を着せたというニュースがあった。銅像の採寸を丹念に行い、しかも動かない体に着せやすいデザインとかの工夫がされていた・・・と言うものだ。この件につき大坂市長も県知事もコメントを出していたが、犯人が見つかってもどちらも寛大な処置をとると言っていたように思う。ともかくこの事件で誰かが本気で怒ったという話は聞かなかった。 この事件を聞いて、一昔前のオリジナルとオリジナルをもとに新しい作品(笑い)を作るパロディーとの関係を思い出した。パロディーは良く知られているオリジナル作品があって成り立つもので、わが国でも昔はオリジナル作成者がパロディー作家を盗作だと訴えた時代があったけれど、今では日本におけるパロディーに対する認識は、かなり成熟したように思う。 これが、今の中国だとミッキーマウスやどらえもんやガンダムなど、パロディーなんて認識以前の問題で・・・、お金になるなら黙ってそっくり真似すりゃいいんだ・・・なんて感覚なんだから、そういう意味での日本や欧米との文化度の違いは、30年以上はありそうな気がする。 実は、一夜で銅像に服を着せてしまうというアイデアは6~7年前に、私も考えたことがあったもので・・・、実際には当時は忙しくて実行はしなかったけれど。自分が考えたアイデアを、誰かが実行してくれることは“やられた感”はあるけど、心の片隅には小気味良さが残る。この程度のアイデアなら、私はまだまだ頭の内にあるし、もし良ければ・・・あなたやってみません?アイデア提供しますよ・・・うまくいったら有名になりますよ・・・。 |
昨日、マダムのお店で知人の病気の全快祝いをした。料理は知人の好きなコムシノアのほうれん草のキッシュ以外はマダムが全て一人で作った。マダムはフランス料理のオーナーとして30年以上店を女傑として束ねてきたが、当時料理は料理人(シェフ)がいたから、マダムが包丁を握ることはなかった。だから素人料理かと思うが、昨日の料理はなかなかたいしたもので、下手なレストランよりずっとましな料理が提供された。店のなかに業務用のオーブンを持たないマダムは、5~6cmのキューブ上の肉塊を表面だけをローストして、しばらく放置し余熱で中心部まで桜色にするという・・・ある意味低温調理の技法を駆使して牛肉のメインディッシュを作り上げた。レストランをやっていた時に、シェフの作る様子を見ていたということもあろうが、やはり料理は頭だと思う。頭が悪い料理人には素材を組み合わせたり、調理法を自分で生み出したり、お客を満足させる料理を作るなんてできないと思う。二人はマダムの料理にすこぶる満足した。 いつもマスターズの水泳大会に出場する知人は病気の間に開催された大坂で開かれた全国大会(いつもは横浜でおこなわれるが、今年は震災の影響で関西か・・・)を棄権したらしく、珍しく悔しさを露にした。次にこの間終わった水泳の世界大会の話になった。急に熱を帯びて話し始めた彼女は、自分と同じ競技種目の200m平泳ぎの北島の大ファンである。今回決勝の175mを過ぎてから北島の泳ぎが変わったと言う。それまで誰よりも大きな泳ぎをしていた北島が、追い上げてくる選手が視界に入った途端にあせって、小さな泳ぎになり失速したという。私の目にはそこまでは見えなかった。やはり同じアスリートだからこその視点なのだろう。彼女は、北島は来年のオリンピックまでに今回の欠点を修正できるだろう・・・と言った。北島は、今回の大会で大きな手ごたえを得たと言うのだ。 私は最近人生において勝負することはなくなったが、もし戦うべきことがあって負けたとしても、私も次につながるなにかを得たいものだと思う。でも、私の年で負けたら次に生かすためのチャンスは巡ってこないかな・・・。北島 頑張れ・・・ |
今日は、東京からやって来た知人のために、市内を車で案内した。最近あまり観光ガイドをすることなどないのだが、ありきたりのルートではなく、さすがいい町だ・・・と思ってもらえる場所を案内しようと悩んだ末・・・、どうしても外人墓地は外せないと考えるなかで(神戸の一般の観光ルートには絶対に入らない)、その前に1800年代後半の居留地の立体模型を見てもらおうと市立博物館に向かった。おりしもジプリ作品の背景画でも有名な山本二三展を開催中であり、はっきり言って知人は居留地模型よりずっと満足したようだ。続いて百貨店の食料品売り場で弁当を買い外国人墓地に向かった。弁当を買った理由は、神戸の外人墓地は山のなかにあり、2年前までは食堂が一軒あったが昨年撤退し、今では飲み物の自動販売機がかろうじて一つあるだけの、町の機能の全くない辺境の地となっているからだ。 途中、神戸市街が一望できる展望台を二ヶ所を案内した。うち一ヶ所は地元の人もあまり知らない山の頂きからの眺望で、(ここからの景色は私に言わせれば神戸で最高の景色だ。)後で六甲山の山頂からの眺望スポットにも案内したが、思惑どおり三ヶ所の景色のうち、やはり真ん中が最高だと私の案内ルートのチョイスを絶賛してもらった。私が思うに日本で最も美しい外人墓地も感激してもらえたし・・・、今日の私の観光ガイドは大成功に終わったと自画自賛する。 それから、何故最初に博物館に連れて行ったかと言うと、外国人墓地に行く前に、墓地に眠る人たちの生きていた時代背景を模型を前にして語るため・・・、わざわざ話さなくても分かっていただいていたかしら・・・この配慮・・・ オゾンいっぱいの湖のほとりで弁当を食べる間、一匹の蜂が知人の着ていた黒い服に惹かれて服に止まるものだから、食事の場所を移動しなければならなかったこと以外は、最高の観光ガイドだった。 次に誰かを案内する機会があれば、弁当はやめて、しばらく走ってでも、どこかレストランに予約を入れるようにしようと思う。 |
神戸の歴史研究家が7月末にオーストラリアから帰って来た。すでにその後私たちは2回出会っている。その際、私は彼の次のミッションにも協力するよう依頼された。居留地時代に開業した由緒ある名前を受け継ぐホテルが我が町に昨年近代的なホテルとして新しくオープン(勿論経営母体は何代か変わっている)した。そしてその現経営陣から、ホテルマンとしての士気高揚、社員教育の一環として、明治時代から現在までのホテルの歴史的変遷をまとめ、講演してほしいとの依頼を受け歴史家は奔走している。実は彼がこのたびオーストラリアに出向いた理由の一つには、国立図書館に保存されているウィリアムズコレクションのなかに1890年頃に当時のホテルのメインダイニングで実際にメニューとして出された品書きが保管されており、そのメニューを自分の目で確認し、コピーして持ち帰ることがあった。そんなことなら、わざわざ出向かなくても面識のある研究員に頼んで送ってもらえばいいのにと思うかも知れないが、歴史研究家にとっては自分の足と目で確かめることが大切なのである。渡航費用が講演料より沢山かかろうとも、彼は気にせず飛行機に乗り込むのだ。そんな損得だけではない彼の生き方に共感して私は、次のミッションも快く手伝うつもり・・・。さていつか100年以上前のホテルのメニューが現在同じ名前を受け継ぐホテルのメインダイニングに登場する日はやってくるのだろうか・・・。 歴史研究家は、存在さえ知らなかった私の欲する情報を持ち帰った。そのなかには1800年代後半に撮影されたGriffiths氏の子供の頃の写真、20才代の写真、姉の写真、墓地改修の際の公文書等多数あった。現在全く日本で忘れ去られた英国人の生きた証が、私のなかでまた一つ明らかになっていく。 そろそろ資料も増えてきた。物語の作成に没頭しなければ・・・と改めて思う。 |
昨日ギター教室に行った。先生は一人ソファーに座り小説を読んでいた。先生は少し眠そうな目をしながら、私に語りかけてきた。「木曜日のこの時間はレッスンに来る人が少ないはずなのに、この間のリサイタル以後、やけに多くなってね・・・木曜日のこの時間はゆっくりレッスンするつもりなのに・・・でも今日はきっと静かだと思うから急いでなかったら話をしない・・・」先生の話を聞きたいから、話をすることに同意した。「最近ふと気がついてね・・・セゴビア(先生が師と仰ぐ1987年に亡くなったスペインのギタリスト)がどうして、あんなふうに演奏したのか・・・彼には指使いによって演奏の法則があって、その法則がふと分かったのよ・・・そう思うと今まで雲の上の人だったのに、急に距離が近づいてね・・・晩年に同じ曲の演奏が変わった理由も分かるような気がして、今まで思わなかった年代の彼の演奏が良くなってね・・・」かなりレベルの高い話だ。楽譜も読めないギターを習い始めて一年の新米に話す内容ではない。だが、私は音楽というジャンルではなく、物づくりを中心とする一般芸術と捉えて自分の考えを先生に話をする。すると先生は刺激を受けてもっといろんな思いをしゃべり始める。先生は続けてこんなことを話した。「去年あなたが習いに来出した頃から、50年間弾いてきたギター演奏に関して、新しい扉が開いてね。そんな時に、あなたは始めてのタイプの生徒で、自分の考えをはっきり言うのよね・・・他の生徒は私の話を聞くだけだけど・・・」そういうことだ。私の話は先生にとって良い刺激材料になるようだ。これはあるレベル以上の作家間で成立する感性と経験がなし得る対話術だ。私は、100%先生の話に答えているわけではない。むしろ音楽的には1%の内容も答えていないと思う。しかし、先生のインスピレーションを広げ、先生自身の考えをまとめていくための刺激は充分に提供している。結局みんな、自分の考えをまとめるための、最後の一押しの刺激が欲しいのだ。 普段働かせていない頭のある部分が活性化する実感を得ながら、あっという間に2時間が経過した。レッスンはほんの20分・・・それにしても、どうして先生は、今日は静かな教室だとわかったのだろう(予約制ではないのに)? 先生は授業料を受け取ってインスピレーションを得た。私は授業料を払って、インスピレーションを得た。私はいつも払ってばかりだ。 先生にとって、私は、間違いなくいい生徒に違いない。 |
先日居留地時代のジオラマを見に行った時に開催されていた山本二三展について、少し書いておこうと思う。山本氏は、日本のアニメを世界に通用するレベルに押し上げた作家の一人である。精緻で美しい画は、ある意味セル画より価値がある。老若男女多くの人が観に来ていたが、ほとんどの人が感動とともにどうして、こんなふうに描けるんだろうと思っているようであった。私の実力を見ないで信じてくれと言っても難しいと思うが、私は描けないことはないと思った。最近画を描かなくなったから正確に言うと以前の私になら描けたと言うほうが正しい。だから、一般の人とは明らかに観かたが違う。私と山本氏との大きな差は完成するまでに要する時間・・・同じ画を描くのにおそらく私は描き始めから完成までに彼の5倍の時間がかかるだろう。そして、資料収集力・・・一枚の画を描く前に必要な情報を得るために費やしている労力が半端ではない・・・というところを観た。 すべての作品は、氷山の一角であり、普通の人には見えない隠れた部分のほんの少しの頂き部分に過ぎない。私は作品そのものより、作家がどんな人格で、作り上げる途中でいかにもがき、何を考えたかに興味がある。ある人が“作品は作家のウンコだ・・・”と言った人がいたが、ある意味正しい捉え方に違いない。以前私は名の知れた建築家に質問をした。「今までに設計した建築物で自分でもっとも納得できるものは何ですか」即座に答えが返ってきた。「今、つくってるやつ・・・」 作品を通じて人間としての作家そのものを感じることが私には有意義に思う。 さて、私の実力がどんなもんだと疑問を持たれた方もおられると思うが、もし知りたい方がおられたら、なんらかの手段でお見せしたいと思う。 私は、大嘘つきかもしれませんなぁー はーっはっはっ・・・ |
仕事の出来を評価する判断基準に同じものを作り上げるのに、どれだけ早くできるか…という基準があるが、もし同じ絵を描くのに私が山本二三氏より5倍時間がかかったとしたら、明らかに山本氏が私より優れている。さらに、資料なしでイメージを伝えられ自由に描け…と言われたら、20倍の時間をかけても彼の足もとにも及ばないに違いない。要するに昨日の話は私自身の能力を自慢しただけのように思われたかも知れないが、それだけではなく彼の能力を認め、彼の才能を称賛していることをお分かりいただきたい。 私が作品を評価するときの基準があって… 一つは 技術のレベル 一つは 感動のレベル 一つは 探究のレベル これら三つである。 技術は、効果的な習得方法で根気よく続ければ大抵のことは師の80%くらいまでは到達できる。それ以上は根性と持って生まれたなにかだ。 感動は、周囲の人たち・生活空間・生活環境等感情を解放できる条件が揃うことで育つ。技術のように学習によっては身につかない。おそらく普段の生活で身につくものだ。 探究は、世間の常識に疑問をいだき自分自身のなかに光を求めて、自問自答し、実験し、繰り返し、ぶつかっていくことだ。資料取集もこのなかに入る。 私にとって、技術は大抵のことに関して誰でも80点まで到達できる…と、本当に思っている。 感動は、人生経験も含め、積み重ねるものだから、意識して急に変化させることは難しいと思う。 私が最も興味あることは探究であり、これこそ知的レベル…正解のない答を求めて彷徨う人間の本来の姿のように思う。 そんなことを考えながら、山本氏の作品を思い返してみる。10点満点で技術点は8.5点、探究点は8点それらに比べると感動点は5点…従って、優れた背景画は、そんな得点が妥当である。 このように作品を評価することを、どう思われます。なに…?点数つけるような見方は面白くないって… 分かってくださいね。普段私も点数はつけてませんよ。私の見方をお教えするために砕いてお話ししただけだから… 今日の話…あなたが、これからなにかを評価される時にお役に立てば幸いです。 |
私は通勤で車に乗っているからいつも気になるんだけれど、信号待ちのため横断歩道の手前でスピードを落としながら、前を横切っていく人たちが周りを確かめずに信号(を信じて)が青になったことだけ確認して渡りはじめる様子を見て、なんて危険なんだろうと…いつも思う。いや、決して私が意図的に横断歩道に突っ込んでみようと思っている訳ではない。信号は、青は進めだから、彼らが間違っているわけではない。学校でも家庭でも青は進め…と教えているわけだから当然の行動なのだが、少なくとも誰かが“自分を守るのは自分しかいない!”と伝えたほうが良い。“人生、なにが起こるか分からない!”のだから… この日記を書き始めたころ、今日と同じことを書いた記憶がある。その際、こんな標語を作った。 青は 注意して渡れ! 黄は 注意して渡れ! 赤は 注意して渡れ! 今でも、我ながらよくできた標語だと思う。 ここまで書いてきて、はたと考えた。 しかし、待てよ…上記のような標語が社会全体に浸透したら、どんな世の中になるだろう? 人と話をするときは、背中を見せないように、みんな壁際に立つようになって…、給食は誰かが食べて、しばらく様子をみないと皆お箸をつけなくなって…、駅のホームでは、突き落とされないようにみんな線路を背にして立つようになって…、みんなが放射能測定器と毒物探知機を持ち歩いて…、しまいにみんな法律違反で拳銃やナイフを懐に忍ばせるようになって…、 想像してみたら、自分以外信じれなくなった世界も住みにくそうだ。 だから、上の標語はあなたと私だけの秘密にしておきましょう…。 世界はそのままにしておいて、私たちだけが生き方を変えたほうがいいかも知れない。 “人生、なにが起こるか分からない!”のだから… |
私が言い出しっぺでできた町の会がある。その会には理念はあるが、規約はない。そしてリーダーもいない。普通に考えたら“そんな会…会じゃない。”と言われそうなところだが、かと言って、単なる仲良し会とも言えない。地元出身の事業化の二世もいるし、学生アルバイトの時からこの町で過ごし、この町で店をもった者もいる。学校経営者もいる。この町だけでアパレル展開し店を増やしている者もいる。町をテーマに商品企画する者もいる。日本で最もJazzのライブハウスの集中するこの地域のライブハウスのとりまとめ役もいる。市長が接待で利用するレストランの社長もいる。町で最も坪あたりの売り上げ効率の高い(以前)和食の店のオーナーもいる。町の商業団体の会長の娘もいる…。平均年齢42~43才で男女比率は50 %…。お互いの通信手段はfacebookのグループだ。今まさに、会がこれから実現化しようとする目標を各自共通のテーマとするための作業が始まった。さしあたりメンバーの一人からの提案があり各自に宿題が渡された。“自分の本来の姿”というテーマでfacebook上に文章を書け!と言うものだ。 他のメンバーの書いた文章を読んで気が付いた。文章には書いたその人の個性がそのまま表れている。大人しそうな…この人が、と思う人が素晴らしい感性と表現力を持っていることに気が付いた。明朗快活で素敵な女性が、実に素直な文章を書く人だと分かった。 文章は、その人を映し出す鏡に違いない。 私が、ここで書いた文章を読んだ人は、私のことを素敵なおじさんだと思っているのだろうか…それとも悪乗りのきついおっさんだと思っているだろうか…はったりのきつい親父と思っているだろうか…気になるところだ。 リーダーのいない規約の無い我々の会が、これから、どこへ向かうのか楽しみだ。潜在的に優れた人たちの集まりだから…きっと素晴らしいことができるに違いない。 |
Yahooオークションを見ていたら、30年前に若かりし頃の私が心血を注いで出版した画文集(絵・文章・レタリング・装丁等すべて一人で作り上げた)がオークションに出品されていることに気がついた。しかも関連のオークションサイトは複数あり、海外(中国語)のものもあった。商品説明に“奥付に作者のペンによるサインあり”と、書かれていたので、思い返してみると…、出版当時確かにローマ字のサインをするために買い求めたモンブランの極太万年筆で何冊かに書き込んだうちの一冊なのだと思い当たった。直接手渡しできた方以外にはサインはしなかったと思うから、私の本を手放そうとしている人は私の知人かも知れない。オークションの現在価格は\800.である。2,000冊しか刷らなかったその本は¥3,000.の定価設定だったことを考えると、古書でもあるが、かなり安くはなってはいるものの、私自身の手元にも無くなってしまった私の作品が、私以外のこの世のすべての人から忘れ去られた訳ではなく、世界のどこの誰か分からない人が覚えていてくれて、どんな形にしろ表舞台に出してくれたことに感謝した。 形のあるものとして、自分の作品をこの世に残すことは、私にとって自分の墓石以上に大切なこと…、これからも、もっと人の心を打つ作品を残していきたいと…心から思う。 さて、オークション…私も参加して、手元に残そうかしら…。当時どんなサインをしていたかも気になるしなぁー。どんな金額で入札しようかしら…。手放した人の、なんらかの足しになってくれれば幸いだ。 |