今年の7月、小学校4年生の担任の先生を囲む会があったが… さきほど半世紀ぶりにお会いした先生の顔が思い浮かんだ… すると当時の記憶が蘇った。 持病の喘息の治療と称して私は水曜日の5時限の合同体躯の時、毎週学校を抜けさせてもらい、一人で当時布引にあった市民病院に市電を乗りついで行き、内科の病室で腕の静脈から血を採って、その血をただ単にお尻に入れるという治療をしてもらっていた。 いつもは婦長さんが注射してくれていたのだが、ある時新人の看護婦さんが担当した。後で婦長さんが「どお…痛くなかった?」と私に聞いてくれた。私は気遣いに答えようと思い「大丈夫です。いつもより痛くなかったです。」と答えてしまった。 婦長さんは、そのまま黙っていた。 子供の私が、はじめて大人を傷つけたと思った瞬間だった。 今、思えば、どってことない会話のように思えるが…その時は、えらいことを言ってしまったとさんざん後悔した。 喘息の少年は神経質過ぎるかもしれない。この時のことを、今でも思い出す私は、いまでも繊細過ぎるところがあるかも知れない。 当時、喘息を治すために、藁をも掴む思いで、いいと言われることを、いろいろ試したものだ。 ところで、あの治療は、いったいなんだったんだろう。今でも分からない。 |