“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”と言うことわざがある。 坊主が憎くなれば、着ている衣もなにも、その関係する全てが憎くなるという言う意味だと思うが、こういうことは一般には多々あることだ。 好きだった時にはなんとも感じなかった相手の話し方や体臭、口臭やオーデコロンやらが、鼻につき始めると全てがうざとくなっていった…と、言う話を良く聞く。 大抵の場合、その問題の兆候はずっと前からあったはずなのだが、相手が騙すつもりで、よほどうまく隠していたか、それとも自分が相手の気になる部分を見ようとしなかったからに違いない。 私はと言うと、ひょっとすると誰かから憎くなった坊主のように嫌われているかも知れない。しかし、私には誰一人として袈裟まで憎くなった人はいない。 それは、どんな人にも良い部分と悪い部分を見出すことができるからだろうと思うのだが、誰でも両面を持っていて、概してそれは背中合わせの事も多い。人間なんてそんなものだと思いながら、誰に対しても深い関係にはならないようにしている。 自分を傷つけないための防御手段だと言われればその通りだろう。他人を恨んで生きていくよりずっとましだと思うのだが…どうだろう? |