人生が“修行”とか“学びの場”と言う人たちがいるけれど、私はその考えに共感できない。一生一度の“生”を受けた私たち“人”が失敗の繰り返しを許されていると思うべきではなく、生きるか死ぬかの真剣勝負をするために“生”を受けていると考えたほうが身の為だ。間違いの繰り返しが許される私たちの体を占有している何者か(霊?神?)と(人)である自分を混同してはいけないと思う。少なくとも年をとって人生を振り返った時に“学びの場“であったと感慨にふけっても、未来に関しては真剣勝負で生きるべきだ。 私の周りの幾人かに、“人生を学んでいる人“がいるが、その人たちを見ていると同じ間違いを繰り返す。学びの場では失敗は想定内であるから仕方ないか・・・ 人生で“学び”や“修行”が不要だとは言わないが、“学びの場”に身を置くべきではない。 真剣勝負で生きたほうが、得るもの(学ぶもの)が大きいに違いない・・・ |