今日ギター教室に行って、レッスンを受けた後…突然先生から、自分のことを“ギタリスト”と言うのを止めようと思って…と言いながら、先生が次回のコンサートの最中に話をする原稿を見せられた。 そこには“ギターの好きなおっさん”と言う表題の草稿があった。例によってギター界ではアウトサイダー的存在の先生が、いろいろ考え悩んだ末に思いついた呼称だと悟った。先生なりに深い意味があるに違いない。 私ごときに意見をもとめなくてもいいのに…と、思いつつ私の考えを伝えた。 “私が自分のことを、絵の好きなおっさんと言う事はあります。でも、それは自分が絵のプロフェッショナルではないからです。 先生は、音楽を型にはまったものではなく、自由に楽しく演奏し、聞き手も同じように楽しんでもらいたい…と言う気持ちが強いのでしょうが、もしそうであれば言葉で説明するのではなく、演奏を通して感じてもらうことに力を注いだほうが良いのではないでしょうか…? 自分の思いを聴きに来た人達に言葉で伝えようとしても、聞いた人は先生の思いの20%も分からないでしょう。言葉にはならないけれど、先生の演奏を聴いた人達が、ギターという楽器や先生のことを少しだけ好きになって帰ってもらえたら、それで充分ではないでしょうか。” …なんて…また、分かったようなことを言ってしまった。生徒の言う話じゃーないよね…。 その後、次の生徒が来たので後の話はできなかったけれど、先生は私のことをどう思っているのだろう?先生にとってみたら年下の私のほうが、人生経験が深く映っていて、一目置いてくれているのだろうか? たいしたことないのだけどなぁー。あまり苦労していないのだけどなぁー。先生の周りに話を聞いて意見の言える人が少ないんだろうなぁー。 次のレッスンの時には、私からは今日の話の続きは触れないでおこうと思う。 |