私が、6年前に突然の背中の痛みを覚え入院し、あまりの痛さに数日間眠ることができず、痛みに耐えていた時、世の中には今自分が経験している痛みより、さらに大きな痛みに耐えている人がいるのだと分かった。 経験とは、自分自身の喜怒哀楽の許容量を増してくれるもので、新たな経験をするためのステップだと思うのだが…。 世の中には、経験した自分の痛みを忘れてしまう人がいる。腰の骨が崩れ寝込んでいた人が、手術を行い痛みは残ったものの、まがりなりにも歩けるようになったが、完全回復しないものだから手術が失敗だったと言って回っている。分けあって手術前の説明に本人の隣に立ち会った私は、執刀医が痛みを和らげる手術であり、完治を目指すものではないと、しっかり説明を受けていたのだが…。 どうして、歩けなかった時の苦しみを忘れてしまえるのだろうか?どうして、今歩けることの幸せを噛み締められないのだろうか? そのことを、いくらその人に言っても通じない。 そんな人は、新たな経験が巡ることなく、不平不満をもって人生を終えていくのだろうか…? 今からでも、執刀医への感謝の気持ちをもってほしいと願う。 |