店や会社が10年続くと大したものだ…と言われる。 20年も続くと二流の上くらいだろうか、30年続くと一流の仲間入り、50年続いてやっと老舗と言うランク付けをしてみたがどうだろう? よほど読みが悪いか努力の方向が間違っていない限り、誰でも2年くらいはなんとかやっていけそうな気がする。 それまでは自分の勢いだけで突っ走っても倒れない。人生には山と谷が巡ってくるのだから、勢いだけでは倒れそうになる時が必ずやってくる。谷に入った時には支えが必要だ。親兄弟だったり、友人だったり、金融機関だったり、弁護士だったり、宗教家だったり、その人達は自分自身の人生の経験とともにより優れた専門知識と経験の持ち主へと広がっていく。 自分の力だけでは成長に限りがある。自分にないものを受け入れる器を磨くために自分の生きる理由があると知る者だけが、成長を継続することができるのではなかろうか? さて、今頃このことに気が付いた私は、これから、どこまで成長できるだろうか? |
今朝テレビを見ていると、登校拒否の子供を持った親子が徐々に普通の生活を取り戻す実話が紹介されていた。 私たち親子も、子供が中学生のときに同じ境遇で、二人だけで生活していた当時のことを思い出した。 あの頃、心を閉ざす…という事が、どんな状態か分からなかった。心を開け…と、抱きしめると子供は、かえって厚い殻を身に付けた。そのままの彼への私の姿勢が一切の好転を生まないことに気が付くまでに時間がかかった。 子供よりも私の心が委縮していることに気が付かなかった。 ある時、後退に入ったギアを前進に入れるには、ニュートラルの瞬間が必要だと気が付いた。 そう悟った時に、ゆっくり…ゆっくり…、進み始めた。 円滑な人間関係において、お互いが黙っている時間、好きなことをする相手を見ている時間、相手との距離をとる時間が大切だということを、あの頃に覚えたような気がする。 かけられる時間があるならば惜しみなく待ってあげたい。特に大切なひとには、そうしてあげたいと思うのだ。それが愛だと思うのだ。 |
浮気をするには、お金と頭の切り替えの早さが必要だ。 お金がなくてする浮気というものは、むしろ本気のように思えるし、ボーッとしている人よりも、忙しくて時間がない人のほうが浮気できるタイプのように思う。 私の周囲を見回しても浮気してる人は、一度に幾つもの仕事をこなしている。 できる人は、これから後は違う仕事…、ここまでは仕事…、ここからはプライベート…というケジメがきっちりしていて、趣味も本気でかかるから、かなりのレベルに達しているよな…。 私のように、一つのことにかかりっきりの人は、浮気なんてできやしない。 もう少し私も仕事ができたら浮気してただろうけれど、もう、しそうにないなー。 現役引退やし、いまさらなー。 今日は、なに言ってんだろう? |
私が30才代に出会ったクロアチア人の女性から、私があることでギブアップしそうになった時、流暢ではない話しぶりで“諦めちゃだめ!探せば道はあるのよ!”と、言われた事がある。そしてしばらくして、彼女の言ったとおりに、望む人との出会いが叶った。 それでも、その当時、彼女の…目を見開いて真剣に話す印象だけしか記憶に残らなかった。 15年後、私がもっと大きな壁にぶち当たった時に、震災の後、国へ帰った彼女の顔と言葉が再び思い出された。私は“諦めちゃだめだ。探せば道はあるんだ!”と、頭のなかで何度も呟いた。それでも自分の力では道は見つからなかった。そのうちある弁護士との出会いがあって急激に形成が変わり窮地を切り抜けることができた。 自分の力では、どうしようもないことは、他人の力を借りることも大切だと思う。 もし、本当に道が見つからず、全てを諦める時間しか無くなっても、ギブアップした時のダメージを減らすための努力は続けなければならない。 “諦めちゃだめ!探せば道はあるのよ!”というクロアチア人の言葉は、年を重ねるにつけ輝きを増す私の教訓となっている。 |
今朝は、通勤時にちょっと余裕をもって家を出たものだから、電車のホームの一番端まで歩いていった。すると、案の定入口付近に並ぶ人の列が短くて、なんと…座ることができた。いつも乗っている階段付近の車輛はまさに寿司詰めだというのに、天国と地獄のようである。 その代わり電車を降りてからは、いつもの改札口まで遠くなった。ホームを歩きながら、どのくらい余計に歩くか計ってみた。だいたい1分半ほどである。乗るときは1分ほど歩いたから、合わせて2分半余計に歩けば電車のなかでゆったりできることになる。 私は、これに味をしめて、これから毎日ホームの端まで歩くことにした。 私のように、他人と違うことをやりたい人間ばかりが一番空いているところに固まるように思う。 一般人は込み合うところが好きに違いない。 電車だけではなく学校や就職先も同じようなものだ。私の価値観は多数派とは違うと思い知る。 いっそのこと、もっと空いている時間に電車に乗ろうかしら…。 |
今日の午前中、小説の挿絵の件で歴史研究家の女性と打ち合わせをした。もともと小説家志望である彼女が書いた研究論文をもとに自身で書き上げた、居留地時代に実在したあるドイツ人貿易商の物語が、タウン誌の編集長の目に留まり、次刊から連載されることになった。 以前から面識のあった研究家と編集長の思いが一致して、私に描いてほしいと声がかかったもので、今日が最初で最後の彼女との打ち合わせである。前日にメールで原稿を送ってもらって目を通していたとはいえ、締切が10日であるから、かなりの急ぎの仕事だ。 彼女に指定だれたドイツ菓子屋のカフェの一番奥にある‘家族の肖像の間’で打合せを無事終えた。 彼女は、原稿料がでないかもしれないと申し訳なさそうに言った。私は“だいじょうぶです。いいチャンスをいただいたと思っています。タウン誌の挿絵作家は町では有名な人ばかりですから…、これは私が目指す仕事を成し遂げるとめに、今やっておかないといけないことだと思っています。”と、言った。彼女は“ありがとうございます。そう言っていただいたらほっとします。”と、頭を下げ、“ここのコーヒの代金は、お支払いさせてください。”と申し出たが、私は“いえそれはダメです。自分の分は払います。”と遮った。すると“そうですね。そうしないと会えなくなりますからね…。”と彼女は納得した。 私が歴史研究者と付き合うようになった初めの頃、“おごり、おごられ…の関係になってはダメだ。割り勘にしないと次に会えなくなるから…。”と、ある年配の研究者から教えられた研究者同士の掟である。 やはり彼女も、この掟を実行する研究者であると分かり、今までよりも親近感を感じた。 私は研究者ではなく、絵描きでもないけれど、研究者同士と話していると、いつもほっとする思いがするのだ。 |
昨年12月1日に、私の職場の隣にベルギー人のオーナーが作るチョコレートショップができた。普段は二人で店を切り盛りしている。落ち着いた感じで販売している日本人の女性は多分に奥さんだと思う。 今の季節…私はギフトに手頃だから、よく店を訪ねようになった。 いつも領収書を頼むから顔を覚えられた。先日他に客がいない時、奥さんと話をした。私が以前ベルギーの高級チョコレートの販売をしていたことや、バレンタインデーが大変忙しかったことなど話しをした。 彼らは自分達の話をした。昔北海道で店を始め、そこから東北に移って頑張っていたら震災・津波で店を失い、悩んだ挙句この町に移ってきたと言うのだ。 日本のチョコレート屋は、バレンタインデーで年間売上の3~4割を売り上げる。12月オープンでは雑誌取材が間に合わない。なんとかテレビの取材が入ればいいと思っていたら、数日前に店のなかにテレビ関係者の姿を見た。ほっとした。 日本では6月から9月は暑くて溶けるからチョコレートは売れない。彼らもその間アイスのチョコレートドリンクに力を入れるようだ。 四季のある日本では手づくりチョコレートは難しい商材だ。 私は、そう実感している。 こんどこそ彼らがこの町に根をおろせるように、私もせいぜい売上に協力したいと思うのだ。 |
私は8年前、大動脈に一瞬にして亀裂が入る大動脈解離という病気になり死にかけたことがある。生存率12.5%を生き残った。今では、走ることや水泳もできるし、いたって普通の生活をしている。ただし血圧が上がると命取りになるということで降下剤を飲み続けなければならない。それと、動脈硬化にも気をつけた食事を心がけている。 血管を再生する食べ物だと聞き、昼は出汁のきいた蕎麦を食べに出ることが多いのだが、最近少し忙しかったものだから体にいいのかどうかと思いつつ、カップそばなるものを食すことが多かった。その時、いつも塩分が強すぎることが気になっていた。 今日スープを一袋の三分の一だけ入れてみた。すると…とても頃合いのいい味になり、どうして今までこうしなかったのか悔やまれた。全部入れてしまわないともったいない…という固定観念に囚われていたことは間違いない。自分の頭の固さがいやになった。 近くのコンビニには、てんぷらそばしか売っていない。塩分も気になっていたが脂っこさも鼻についていた。今度カップそばを食べる時には、乾燥てんぷら?の量を半分以下、いや入れずに食べてみようと思う。 私は、カップラーメンの食べ方に目覚めたから、必要のないものは思い切って捨てて、自分に一番いい状態のものを食すのだ。 捨てることも大事だと、カップそばから学んだ。 |