今朝テレビを見ていると、登校拒否の子供を持った親子が徐々に普通の生活を取り戻す実話が紹介されていた。 私たち親子も、子供が中学生のときに同じ境遇で、二人だけで生活していた当時のことを思い出した。 あの頃、心を閉ざす…という事が、どんな状態か分からなかった。心を開け…と、抱きしめると子供は、かえって厚い殻を身に付けた。そのままの彼への私の姿勢が一切の好転を生まないことに気が付くまでに時間がかかった。 子供よりも私の心が委縮していることに気が付かなかった。 ある時、後退に入ったギアを前進に入れるには、ニュートラルの瞬間が必要だと気が付いた。 そう悟った時に、ゆっくり…ゆっくり…、進み始めた。 円滑な人間関係において、お互いが黙っている時間、好きなことをする相手を見ている時間、相手との距離をとる時間が大切だということを、あの頃に覚えたような気がする。 かけられる時間があるならば惜しみなく待ってあげたい。特に大切なひとには、そうしてあげたいと思うのだ。それが愛だと思うのだ。 |