私が通勤で乗る電車は山と海に挟まれた細長い市街地を通る。遠くのほうに山並みが見え線路沿いのマンションや商業ビルの合間をぬって山際に建つ学校や個人住宅を望む。 山に目をやると、自然界には、はぼ直線が存在していないことが分かる。スカイライン・木々の枝の流れ…すべて不規則(自然界の秩序があるのだろが…)な曲線から成り立っている。反して手前方に見える人工的な構造物は、ほとんどが直線をもとにできている。たまに曲線をみつけても、それは構造的必然というよりデザインした者の好み…意匠としての意味のみ持つと言って良い。建物に高さと気密性を求めた人類は直線構造を多用したのだ。」 ガウディは、直線でできた近代建築にうんざりしたに違いない。人間が安らげるところは曲線で囲まれた自然界だという信念を貫いたのだろう。 こんなことを考えていたら森林浴をしたくなってきた。 直線で出来上がった現代社会は、動物には気が休まらない世界に違いない。気を紛らわせに都会を出て一息つかれてはいかがだろうか…。 |
私の町に、日本におけるボランティアの祖と言われる英国人がいた。1800年代の後半に起こった国内の災害で、直ちに基金を募り救援活動にも赴いた。その功を讃え明治天皇から酒盃が下賜されたという。 17年半前の私の町でおきた大震災では多くの方がボランティアでかけつけてくれた。この時を日本のボランティア元年と言う人もいる。 私の町の震災の時にボランティアでやってきて講演してくれた小説家や、歌ってくれた歌手は、交通費として50万円を受け取って帰っていった。その人達の正規のギャラはもっと高額なのだろう。 50万円が高いか安いかを問うつもりはない。なんにでも経費はかかるし…、 それでも一円ももらわず、ただ自分のお金を使ってボランティアする人も大勢いるとしたら、ボランティアのランクをつければいいと思うな。ボランティアといいながら儲けている人や営業活動の一環としてとか、ファッションでやってる人もいるだろうし…。 難しい話だな。自己申告しかないだろうしな。やっぱりボランティアのランク付けは難しいな。 |
セレブの知人と話をしていて、彼女の事業家の息子が最近引っ越したマンションの話題になった。バブルの後半フランスの設計家が手がけた建築である。20年以上経過したが、いまも古さより風格がにじみ出る。 二世帯だけの最上階のフロアーへは直通のエレベーターが用意されている。共益費が月額20万円で、その分最高のコンシェルジュが24時間常駐する。 私の知る限りではメージャーで活躍した…そして現役で活躍する野球選手も数人いる。その他上場企業の社長クラスが住んでいる。 そういうところには、そういう場所に住むに相応しい人たちが集まる。そこには住めそうにないと思っている私はいつまでたっても住めないだろう。 身の丈で生きていくことを身に付けたことで楽に生きていけるようになったけれど、伸びていくためには背伸びしないといけないんだろうな。 すでに、心の面でも老化しはじめている自分を感じた。 |
数年前、自分のルーツを探す旅に出たことがある。徳島・四国を巡った。そして家系図ほど精度の高いものではないけれど、おおよそ450年の間に、一族がどのように住まう土地を変えたかを知った。 まさに戦の勝敗の結果で居所を変えたのだ。悪く言えば追手から逃げた。人里離れた不便なところに人が住んでいることがあるが、彼等にとってそこは、命がけで辿り着いた安全な場所なのだろう。 故郷を大切にする気持ちは大切だと思う。生まれた土地は特別だと思う。先祖の墓は守らなければならないと思う。 しかし、私が名乗る姓のなかに戦いの結果で居所を移ったという遺伝子があるとすれば、今住まう土地から将来離れることがあるかも知れないと予感する。 土地は私のものではない。国のものでもない。誰のものでもない。 そんな思いを持って、いつでも今の住家から移り住む心構えをしておきたいと思う。 |
昨日、以前いっしょに仕事をしたことのある花屋の主人からfacebookの友達リクエストがあった。5年ほど会っていなかったのだが、ちょうど二か月ほど前に彼の店の近くに住む大学教授を訪ねた際、彼の店からオリーブの苗を購入したと言う話が出たものだから、教授から共通の知り合いだと言う話が回って友達リクエストしてきたのだと思ったのだが、その予想は違っていた。 彼とは以前…気まずい別れ方をした。彼は私の頼んだ仕事の見積もりで大きなミスをおかし、納品後に詫びとともに大きく追加請求をしてきたもので だから、突っぱねたことがあり(私は甘い人間だから少しだけ追加で支払ったけれど…)、それ以来音信不通になっていた。 彼は、facebookで短いメッセージを送ってきた。 “ご無沙汰しております。承認ありがとうございます。私が今こうして花屋できているのもあなたのおかげです。今後とも宜しくお願いいたします。” “最近…教授のご自宅にお伺いすることがあります。あなたの話を聞きました。人にはいろいろな出会いがありますね。縁というのでしょうか。これからもよろしくお願いします。”と返事した。 彼とは、仕事抜きの関係を保ちたいと思った。 |
9月にアメリカに行くことにした。本土は35年ぶりだ。ニューヨークの美術館巡りと、私が作成した画文集のタイトルとなった田舎町を訪れることが目的だ。ミュージカルを観る予定はない。 前回の旅では、グレイハウンズ(北米大陸の各都市を結ぶ長距離路線バス)で旅をした。今回も簡単にバスで移動を…と思っていたら、今のアメリカ事情に詳しい知人から止めとけと忠告された。 バスの旅は治安が悪いから危険だと脅されたのだ。当時の私の風体ではアメリカ人にはお金を持っていないと思われただろうから、なにもなかったが、今の年齢の私はそうは見えないから他の交通手段を考えたほうが良いと言うのだ。 そう言われても鉄道の路線も通っていない場所だし、最寄りの空港もかなり遠い。仮に町と少し離れた飛行場に下り立って、そこからタクシーで向かうとすると交通運賃が馬鹿高くつく。かといってレンタカーを借りて自分で運転していくことは避けたい。 そこでいろいろ調べてみると日本人が経営するリムジンの会社があることを知った。そこに頼むと翌日の帰路も迎えに来てくれるし、おまけに日本語をしゃべれるドライバーを指名することができる。バスよりも高くつくが飛行機よりも格段に安い。リムジンと言っても芸能人が乗っているようなロングボディーの大型ではないだろうけど、ともかく目的地に辿り着ければいいわけだからと予約を入れた。ホテルからホテルまで送り迎えしてもらうことになった。 若い時の勢いでは生きていけない。お金を払ってでも危険は回避しようと思う。アメリカの治安の悪さは35年前と変わらないが、どうやら私のほうが変わったようだ。 さてあの時の町が、私をどのように迎えてくれるだろう? 今回、私は町をどう感じるのだろう? 今から、旅が楽しみである。 |
昨年9月、ゲリラ豪雨の時に私の知り合いのレストランに雨漏りがあった。それは半端な量ではなく屋根に一体型になった雨トユの排水管がつまって溢れ、建物の内側に水が回ったから大変だ。店の内は滝のように水が落ちていた。 昨日の夕方の豪雨で彼の店が気になった私は、店を覗いてみた。すると案の定、店内に水が落ちており店主が一人で雨漏りと格闘していた。ほっておく訳にもいかず、私は彼を手伝った。 雨トユの昨年の教訓が活かされていなかったのは残念だが、それにしても雨はしばらくして止み、従業員も店に帰ってきて片付けを手伝ったので6時から予約で満席だった店は、何事もなかったように、ぎりぎりでオープンした。 これは、雨の季節に入る前の単純な点検ミスだ。 もし…と考えてみた。 もし、誰もいない夜中にゲリラ豪雨が降っていたら…下の階まで浸水していたに違いない。 もし、私が店を覗かなかったら…店主一人では、追いつかなかっただろう。 もし、営業中にゲリラ豪雨が降っていたら…食事中のお客に店から出てもらうことになっただろう。 もし、5時から予約が入っていたら…お客に失態を気づかれたに違いない。 このタイミングで降るなんて、正に警鐘としか思えない。 店主に根本的な改善をしなさいと、天が囁いたに違いない。 “油断するな”“やるべきことをやっておけ”…と私も肝に銘じた。 |
これからの私の人生は、会社のためではなく…町のためではなく…国のためではなく…家族や友人のためにあるのではない。すべては私が下した結論の下…私自身のためにある。 やっと、そう思えるところまで人生を経験できた。 さて、これからどんな経験ができ、何に気付くだろう? 言い訳なく、後悔なく、恨みなく、妬みなく、心からの感謝をいだいて、生きていきたい。 そうしたら、もっともっと、いっぱいのことを知ることができるに違いない。 |
私は、初めての人と話をする時、理解できないことがあると…途中で“私は頭が良くないので…”と、言う。それは英語しかしゃべれない人と話をする際に“英語は、あまり得意でないので…”と前置きするケースに似ている。英語がしゃべれると思われ、まくし立てられると何を言っているか分からなくなるが、不得手だと認識されればゆっくりしゃべってくれる…それに似ている。 初めての人と話をするとき、相手がどの程度の知識と理解力を持っているか互いに計りながらしゃべる。それを自分のペースに合せてもらう手だてが“私は頭が良くないので…”と言う言葉である。たいていの場合、この言葉を聞くとしゃべっている人はほっとしたような顔になる。 相手と真っ向から話し合いたいという気持ちは私にもあるが、本当に知識と理解力が劣るので、私はこれからの人生でも多用するだろう。 “私は頭が良くないので…”は、話のペースを私に合わせてもらうための、とっておきの言葉だ。 |
昨日、昼食をとるためマダムの店に行くと、町で有名なフレンチレストランのオーナーシェフがカウンターでコーヒーを頼んでいた。私は軽い挨拶を交わし持っていた本を読み始めた。すると狭い店名なのでマダムとシェフの会話が耳に入ってきた。“最近グランフロント等の新しい商業施設から出店を持ちかけられているが、条件が厳しく二の足を踏んでいる。それより大阪の路面に高級フレンチのレストランを出したい。”と夢を語った。“若い時にホテルのグランドオープンのシェフを任されたことがあったが、あの時の充実感が忘れられない。チャンスがあればまたやりたい。”とも言っていた。 そして“昔のように、レベルの高い料理の分かる人が増えてほしい。今の人は安くて、そこそこの料理で満足してしまうし…。”と嘆いた。 話を聞いていて、私はシェフが疲れているのだと思った。 夜に、知り合いシェフのフレンチの店が企画するブルゴーニュ産オマールを食べる会に出席した。完全予約制で小さな店に10人の客が集った。シェフの店は今回のようなイベントがないとディナーは静かである。見渡すと客の年齢はとても高く、私がまだ若造だった。 手抜きのないシェフの料理の素晴らしさを分かる人が、毎回同じ顔ぶれの年よりしかいないと嘆くべきか、それでもこれだけの人達が集まったと喜ぶべきなのかと、ふと考えた。 昔、名声を得たフレンチのシェフ達が、今…もがき苦しんでいるように思えた。 |