なにを触って、平仮名返還になったのか分からず、またなにを触ってローマ字返還にもどったのか分からないのだが、ともかく書き込みができるようになった。 会社のために頑張って働く…とか、町のためを思って動いている…とか、言う人がいるけれど、その言い方に私は疑問を感じる。私が頑張るのは、自分と家族の幸せのためだけである。決して自分を裏切らないもののためだけに頑張るのだ。 会社も町も、頑張っても私を裏切ることがある。そうなった時に会社のために頑張ったのに…なんて愚痴っても始まらない。 そして私が頑張る理由は、自分の立てた目標や予想したことに向かって、将来その通りに実現していくために惜しまぬ努力をし…、そして結果を見届けるためなのだ。 その努力が報われて、結果…会社のためになり、町のためになればいい…。 会社のために頑張る人は、組織のなかの駒だ。私はそれ以上の価値を自分に見出したい。 …なんてことを言いながら、会社が苦しい時に私の妻はさっさと私の元を去って言った。 家族にも見放されることもあるのだから、自分のためだけに、頑張るって言っておいたほうがいいかも知れない。 |
作成していた絵本(絵解き本)の原寸モデル(装丁・文書の案)ができたので、一昨日研究者で著者となる先生にお見せした。かなりの部分先生の文章を私の感性で書き直したものだ。嫌な顔はされなかったが、内容についていくつもの指摘を受けた。 やはり先生は、予想どおり事実ではない想像の入った部分に敏感に反応した。事実だけを先に述べ、物語は最後にもってくる…と言う構成を説明しているのに…。 研究者と小説家の違いを今まで以上に感じた。研究者は小説家にはなれず、小説家は研究者にはなれないのだ。だから研究者の研究をもとに私が物語にしようと申し出たのだが…、先生は頭の良い人だから、きっと頭では理解していると思う。しかし、いざ私の案を目の前で見せられると、プライドと研究者魂が頭をもたげるに違いない。 先生は“もし、私が訂正する文章が気に入らなければ、私の名前を外して出版してもいいよ。”と、言ってくれた。 私は“私の構成を先生が納得できなければ出版は諦めても良いと思っています。”と、答えた。 お互い、これからぶつかり合いが始まるのだと予感した。 互いの主張を述べあい、相手の思いを察し、お互いが納得する着地点を見つけていく…。 お互い馬鹿ではないから、いっしょに進めると信じたい。 ただ、思っていたよりも出版までに時間がかかりそうだ。 |
知人のパン屋のAが突然店を閉めて2ケ月が経った。4日ほど前にAから、元…私の部下のYへ電話をかけたら不通になっているが事情はしらないかと問い合わせて来た。一旦電話を切り私もYに電話してみたが繋がらない。そのことでAに電話をかけ“Yは、一度に多くのことを抱え込み過ぎて、自らつぶれてしまうタイプなのです。今までその繰り返しでした。しばらく様子をみてください。”と、言って電話を切った。 熱しやすいYがAの窮地を救おうとして手を差し伸べたが、その重さに精神的ダメージを受けた…それだけではないかもしれないが、Yが電話に出ない理由の数パーセントはAの窮地に関係あると察した。 しばらくして、もしやと思ってYのfacebookに問合せてみた。するとfacebook上に返信があり“事情があって、電話番号を変えました。後ほど新しい番号を連絡します。”と書かれていた。 翌日今度はYから電話があり、先ず電話番号を変えた理由を聞かされた。話の最後に“新しい電話番号は私からはAに教えないから、落ち着いたらあなたから電話してあげてくれ…。”と、伝えた。 彼は、黙って電話を切った。 一昨日、久しぶりに出会った知人が、会うなり… “朝、突然知らない男から電話がありAの居場所を知らないか?あんたも仲間か…隠し立てしたら同罪やで…と、凄味のある声で脅されたんやけど、Aさんどこにいるか知っている?えらい迷惑や…。”と、ぼやかれた。 私はAから電話があったことを伏せた。 思っていたよりAが大きな問題をかかえていると悟った。Yはかなり詳しい内情を知っているに違いない。 私は、Aから電話があっても、今までと同じ態度で接しようと思う。 人それぞれに事情がある。追われるものにも…追うものにも…。 私の力の及ばない話には、深入りせずにいようと思った。 |
夢を抱く力・夢に向かう力・夢を維持する力・夢を捨てる力 経営者と呼ばれるには、すべて必要な能力だ。 特に夢を捨てられない人は経営者と呼べない。 そんな人をいっぱい見てきた。 いい時があっても、ずっとは続かない。必ず悪い時がやってくる。 同じ夢を見続けて苦しんだ人をいっぱい見てきた。 私の周りには、経営者はあまり多くない。 個人的には、経営者でない人の方が好きだ。 ぬるい湯の内が好きだ。 次に生まれ変わった時には、私も経営者の道を歩んでみたい。 |
昨日、尊敬する事業家と4時間あまり話をした。大企業ではない…食品販売の中小企業である。彼の話の多くは、ええかっこなしのべたな商売の話である。 子供の頃に父親に言われたこと、やらされたこと、それに対して愚痴ったこと。父親が死んでしばらくして母親と夜逃げしたこと。若い頃単身で、貨物船に乗ってアメリカに渡り、つてなしに2年間生活したこと。私も若い頃(1ドル360円の頃)アメリカ一周やヨーロッパを巡る旅をしたことがあるけれど…彼の話はどれを聞いても新鮮にうつる。 若い頃に、出会いたかった人物である。 彼が、ぽつりと言った。“自分が死んでから、会社がつぶれるより、自分が生きているうちに整理したい。”…と…。 彼には娘がいる。最近ご主人とアメリカから帰ってきて夫婦で彼の仕事を手伝っているようだが、たたき上げの人生を送った彼には、どうも娘夫婦の仕事の姿勢が気に入らないようだ。 子供への甘さが見え隠れする。 私から彼に“自分の子供を信用して、突き放すしかありませんね!”と、言っていいものかどうか悩んでいる。 尊敬する事業家として、彼にはそうあってほしいと思うのだ。 |
知人の器屋の主人はいつも笑っている。正確に言うと笑っているようにみえる。 彼は若い時に町興し事業で成功し、日本中を飛び回っていたと聞く。日本中の水族館の館長と世界中の名だたる水族館を見学して回ったこともあったと言う。館のリニューアルによる集客向上のためである。 社員も60人以上かかえる事業家だったようだが、私はその時の彼のことをあまり知らない。 どうして、事業が上手くいかなくなったか聞いてみた。“騙されたんですよ。”と、彼は笑いながら答えた。“それも、何度も…。”と続けた。 人生の経験が、その人の顔に刻まれるというが…、彼の笑みは苦い経験から身についたものなのか? それとも、いかにも人の良さそうな微笑みをしているから騙されたのだろうか? 私には分からない。 さて、私の顔は他人にどのようにうつっているだろう? 自分のなかで他人に騙されたという覚えはない。実は、自分で気が付いていないだけで何度か騙されているのだろうか? 類は類を呼ぶというけれど…私は、彼に輪をかけたお人よしかもしれない…。 でも、騙されたことないと思える人生は幸せだと思う。 |