昨日、あるパーティーで実兄と同席した。その際、勤めた会社を3月末で辞めることになったと、ポツリと言った。62才である。60才だった定年年齢が伸びる傾向の昨今の定年事情だが、最後は関連会社の社長職まで上って62才まで働いたのだから、私の兄は優秀な勤め人だったに違いない。 兄は5年前に上場企業を一旦退職し、石川県のある関連会社に単身赴任で社長として勤めた。しかし1ヶ月前に本社から辞令が下り企業を去ることになったわけだ。 兄がポツリと言った。“せっかく、これから良くなる言う時に…。”悔しさがにじみ出ていた。 政権が自民党に移って、未来に明るい兆しが見えた矢先の辞令が残念なのだろう。 人それぞれに役目がある。厳しい時代に守りに徹して耐え抜く役、動きが出た時に一気に攻撃に打って出る役…。本社が、兄の適正をそこまで考えて配属したかどうかは分からないが、私は兄が自分の役目をしっかり果たしたのだと信じることができる。 62才…兄は白髪ではあるが、まだまだ若い。職を失ってこれから先どうするのだろう。退職を前にして、企業一筋に生きた勤め人の多くが感じる…これからの生活に対する不安が一気の湧いてきたに違いない。 兄のこれからの人生が、より楽しいものになるように、心から祈りたい。 |
3月20日パーティーに出席するので、クローゼットからタキシードを引っ張り出した。震災の年の秋にイベントでモデルをエスコートして舞台まで案内する役が回ってきたのであつらえた代物だ。それ以後ほとんどずっとハンガーに吊るされたままだった。 思ったより、ズボンが苦しくなっていた。思い出せば、あの当時は毎日よく歩いたし、食事にも気を付けていた。今より体がしまっていたに違いない。 それと最近…、インフルエンザや風邪やらで、ホテルに泊まることが多く、出歩けないからコンビニ弁当につまみにビールと言う日々が続いていた。この生活がウエスト拡張のダメ押しになった。 一昨日からダイエットモードに入り、糖質と酒を絶っている。なんとか水曜までに、もう少しスリムにならねばならない。一昨日の昼は、蕎麦。昨日はフォー。今日も蕎麦。明日も昼は蕎麦になりそうだ。 今から貸衣裳屋に泣きつくのも馬鹿らしい。水曜日にはすっきりした体でスポットライトを浴びたいものだ。 もう一頑張りするぞ。頑張るぞ。 |
昨日、私の年齢の半分くらいの青年に、仕事上のことで愚痴を話した。彼は目をそらさず私の話に相槌を打った。ちょうど愚痴も底を尽きかけた頃…、 彼から“他の話に話題を変えませんか?”と、言ってきた。 私が“どうしたんだい?”と聞き返したら、“他人に対する怒りや愚痴は、思ったり話したりする人の人生を捉えて、いつまでも虜にするからです。”と、答えてきた。 私は、彼に一本取られた…と、思った。きっと、彼の考えは経験から生まれたのではないだろう。人生を歩むうえで、とても重要な本に出会ったか、師と思える人に出会えたのだろう。 彼のこれからの人としての成長を見守りたい。 それにしても、私自身…未熟であると思い知った。 |
英語の先生が話してくれた。 昔、アメリカのお母さんがdough(パン生地)をこねてパンを作ろうとしていた。すると…、横で見ていた子供が、いたずらしてスプーンで真ん中をくり抜いた。そのまま焼いたら真ん中に穴が開いたパンができ、食べたら結構美味しかったので、以後その形で作られるパンのことを、形がナット(ボルトとナットの…)に似ているパンということで、doughのnutでdonutと、呼ばれるようになったと言う話だ。 本当かな? 本当かも知れんな…。 おもしろいな。 |
辛い事や、楽しいことを、いっぱい経験して、“いい、お顔ですね!”と、言われる人生を送りたいな…。 |
先日、居留地時代のことで調べたいことがあり、アメリカ合衆国大阪領事館に電話した。例によって、録音テープのアナウンスで日本語と英語のどちらで聞くかの選択があり、日本語を選択して、以後数回、質問の答えをプッシュした。しばらくして人間の肉声にたどり着いたが、そこでも英語でしゃべりかけられた。日本語で話すように頼んでから質問をはじめた。 ところが、どうも“居留地”と言う言葉が通じない。私にすれば、皆が知っていて当たり前のことなのだが…ここではたと気が付いた。アメリカ領事館だからという訳ではなく、居留地という言葉の意味は一般的ではないのだ。 居留地のあった町で育った私と、そうでない人とでは認識に大きな違いがあるのだろう。そこで英語も交えて時間をかけて説明した後、数分待たされ返ってきた答えは、あっさりと“現在資料庫の改装中で電話での答えができません。ウェブで問い合わせてください。”で、あった。 電話を切って言われるままに、ホームページから問合せしようとしたが、そのページが見つからない。仕方なく領事のフェイスブックのメッセ―ジ欄に日本語でメッセージを送ってみた。あれから1週間近く経つが音沙汰なしである。英語で質問するべきだったろうか?問題外と無視されたのだろうか?それとも、忙しくて誰の目にも入っていないのだろうか? ともかく、もうしばらく待つことにしよう。 35年前にも領事館に電話して、数日後に領事館を訪ねたことがあったが、ウェブの時代に変わり、問合せ数も格段に増えて、きっと回答に手が回らないのに違いない。 私は、アナログの時代のほうが好きやな…、YesもNoも、なんだかもっとはっきりしていたように思うんだが…。 と…言いながら、今日にでも返事があれば、すぐに前言を翻す私である。 |
昨日、マスクして町を歩いていたら、長い直線道路の向こうの方から、下向き加減で歩いてくる人物が目に入った。近づいてくると、多少オーラのある人物のように見えた。すれ違う寸前…彼の方から声をかけてきた。 “こんにちは、久しぶりです。” 見ると、近くの専門学校の学校長である。 “お元気そうですね!”と、続けてきた。 えっ…私は今…インフルエンザにかかっているんですが…とも言えず、笑いながら… “元気ありませんよ…。”と、言った。 彼はすれ違いざま“まぁーまぁーまぁー…”と言って通り過ぎた。 インフルエンザで町を歩いている私も、どうかと思うが、病気の私よりも、心配ごとがあるように見える歩き方の、校長の姿も問題だ。 思い過ごしかも知れないが、彼が今の悩みから、上手く抜け出せるように祈っておこう…。 私も…人前に出ないで、完治するまで、もっと大人しくしておこう。 |