私が新しいギターの曲を弾かずに、“アルハンブラの思い出”と“カバティーナ”ばかり弾いていると聞いて、ある人から“いろいろと違う曲を弾かないと上手くならないよ!料理でも、一つの料理しかできない人の料理より、バランスよくいろんな料理のできる人の料理のほうが、食べたいと思わない?”と、言われた。 カレー屋さんのカレーより日本料理やフランス料理の料理人が作ったカレーのほうが食べたくないか?と、問われたら、どうだろう。 私はどっちも食べたいな。その時々でおいしいと思えばそれでいいけど…。 あッ…彼女の言ってる事は、そういう意味じゃーないって? でも、私には沢山の本を読む人より一冊の本を一生読み続ける人のほうが感受性を育つと思うんだけど…。 あッ…彼女の言ってる事は、そういう意味じゃーないって? 彼女の言うことは分かるけれど…、だけど今は他の曲を弾く気になれないのだから…。 いつか、新しい曲が弾きたくなる時がやってくることを、私は分かっている。 それまでは、今の曲だけ弾き続けていようと思う。 |
私の父に、生きていくうえで、いざというときに支えとなってくれる弁護士と医者と僧侶を大切にするように教えられた。その教えを守ったと言うわけではないが、これまでに私の生物としての“命”、そして社会的な“命”を救ってくれた医者と弁護士に巡り合えた。しかし、未だに…生きる事、死ぬ事の“命”の真実を説く僧侶に巡り合えない。 それは三つの職の知人を大切にしろと言った父本人が、僧侶と大喧嘩して、仲を修復せずに逝ってしまったこともあるのだが…、それ以来私が僧侶の話を聞くのは誰かの法事の時しかなくなった。 本来…いつでも寺を訪ね、世間話の合間に仏の道について話が聞ければいいのだろうが、今のところ心当たりの僧侶がいない。 だからということでもないが、私は私の息子に、死んだら墓や仏壇に入れずに海に散骨し、私の骨の粉を混入して焼いた壺を作って、棚にでも飾っておけ!と普段から言っている。 それでは、僧侶の入る隙がない。 さて、私は死ぬまでに誰か良い僧侶に巡り合えるだろうか? 墓や仏壇の否定を認める僧侶に出会えるだろうか? それとも私に墓の大切さを教える僧侶が現れるだろうか? 自分の願いが叶わなかった父の教えを守って、目の前に尊敬できる僧侶が現れることを待ちたいと思う。 |
今日は、今月で店を閉める眼鏡店で眼鏡を購入した。店の顧客カードを見せてもらったら、30年前の日付があった。その間、幾つのメガネを買い求めたことか…。そして幾つのメガネを失くしたことか…。つい1週間前にも一つ失くした。 今日、この店で最後に選んだメガネはとてもオーソドックスな縁の太いものだ。 店主から、リストに記載された住所が今でも変わっていないか尋ねられた。おそらく閉店の案内状を送るつもりなのだろう。それで私の顧客リストの役目が終わると予感した。 いつもと同じようにやりとりした。ただ、昨年購入した時からあまり時間がたっていないのに、今日も検眼にたっぷり時間をかけた。その結果は顧客リストに記録されるのだろうか?いや、店主はきっと記録するに違いない。いつもと同じように…。 10日後、出来上がったメガネを受け取る時に、店主の労をねぎらいたい。 さて、次のメガネはどこで作ることになるのだろう? 終わりと始まりは、同時にやってくる。 |
私の家にはトイ・プードルがいる。毎朝彼といっしょに散歩することが私の日課である。彼が私の家に来て、もう17~18年になる。今でも散歩の途中で、小さな体を見て子犬だと思い…“かわいいわね!”と、よく言われるが、話をするうちに人間でいうと自分より年上なのでびっくりされる。そう…人間だと80才は越えている。 動物病院に行って診てもらうほどの老化の症状はなく、視力が落ちてきたこと以外は健康そうに見えるのだが、よく見ていると以前なら、らくらく飛び上がっていた石段に上ることを躊躇するようになった。確実に老化が進んでいる。 人間の寿命が延びるようには動物の寿命は延びないのだろう。それはそれで良いのだと思う。 医学や介護の進歩ありきの長寿が、果たして人間にとっての幸せかどうか…私にはよく分からない。細胞が再生しなくなるとか、死滅するという自然の摂理には、ほどほどの抵抗で良いのではなかろうか…? たかが人間ごときがそれ以上を願うなど、おこがましい。 そんなことを言いながらも、私のところのトイ・プードルが人間で言うところの100才くらいまでは生きていてほしいと思う。 70才を少し越えたところで死んでしまうと思っている私は、そんなことを考えている。 それとも、70才まで生きたら100才くらいまで生きたいと思うのだろうか? いや、やっぱり、それ以上は生きられないと思う。 そう思っていて明日死んでしまうことが無いように祈り、一生懸命生きていようと思う。 |
昨日、マスクして町を歩いていたら、長い直線道路の向こうの方から、下向き加減で歩いてくる人物が目に入った。近づいてくると、多少オーラのある人物のように見えた。すれ違う寸前…彼の方から声をかけてきた。 “こんにちは、久しぶりです。” 見ると、近くの専門学校の学校長である。 “お元気そうですね!”と、続けてきた。 えっ…私は今…インフルエンザにかかっているんですが…とも言えず、笑いながら… “元気ありませんよ…。”と、言った。 彼はすれ違いざま“まぁーまぁーまぁー…”と言って通り過ぎた。 インフルエンザで町を歩いている私も、どうかと思うが、病気の私よりも、心配ごとがあるように見える歩き方の、校長の姿も問題だ。 思い過ごしかも知れないが、彼が今の悩みから、上手く抜け出せるように祈っておこう…。 私も…人前に出ないで、完治するまで、もっと大人しくしておこう。 |
先日、居留地時代のことで調べたいことがあり、アメリカ合衆国大阪領事館に電話した。例によって、録音テープのアナウンスで日本語と英語のどちらで聞くかの選択があり、日本語を選択して、以後数回、質問の答えをプッシュした。しばらくして人間の肉声にたどり着いたが、そこでも英語でしゃべりかけられた。日本語で話すように頼んでから質問をはじめた。 ところが、どうも“居留地”と言う言葉が通じない。私にすれば、皆が知っていて当たり前のことなのだが…ここではたと気が付いた。アメリカ領事館だからという訳ではなく、居留地という言葉の意味は一般的ではないのだ。 居留地のあった町で育った私と、そうでない人とでは認識に大きな違いがあるのだろう。そこで英語も交えて時間をかけて説明した後、数分待たされ返ってきた答えは、あっさりと“現在資料庫の改装中で電話での答えができません。ウェブで問い合わせてください。”で、あった。 電話を切って言われるままに、ホームページから問合せしようとしたが、そのページが見つからない。仕方なく領事のフェイスブックのメッセ―ジ欄に日本語でメッセージを送ってみた。あれから1週間近く経つが音沙汰なしである。英語で質問するべきだったろうか?問題外と無視されたのだろうか?それとも、忙しくて誰の目にも入っていないのだろうか? ともかく、もうしばらく待つことにしよう。 35年前にも領事館に電話して、数日後に領事館を訪ねたことがあったが、ウェブの時代に変わり、問合せ数も格段に増えて、きっと回答に手が回らないのに違いない。 私は、アナログの時代のほうが好きやな…、YesもNoも、なんだかもっとはっきりしていたように思うんだが…。 と…言いながら、今日にでも返事があれば、すぐに前言を翻す私である。 |