洋画を観ていると、サービススタッフが、ドリンクや手でつまめる軽食をトレイの上に乗せて、会場内を持ってまわっているパーティーを見かけるが、残念ながら私はそんなパーティーに参加したことがない。きっと東京都心あたりでは毎夜どこかで催されているのだろうが、私の住む田舎町では、洗練されたパーティーに対応できる文化度の人間が少ないから、ビュッフェ止まりになるのだろう。 そもそも欧米スタイルのパーティーに参加して楽しく過ごすためには、誰とでも話ができる社交性が必要だ。食べてばかりや、一人でポツンと孤立するような人には向いていない。 実は、私は数年前までパーティーが苦手で…、真っ先に会場を出ていたものだ。以前は東京で外国の公館で皇室の出席するパーティーにも参加したが、皇室が公館を出るのを見送って、後を追うように会場を後にした。 そんな私が来月…、自分の会場で欧米スタイルのパーティーを開くことになった。さて今度は今までのようにはいかないぞ…。名のあるバイオリニストやジャズバンドの演奏というエンターテイメントも入れているが、特にスピーチもなく、ともかく私が、みなさんをもてなさないといけない。 そして、宴の最後にアカデミー賞受賞者のスピーチにあるように、名前を呼んで“有難うございました。”と感謝を述べる…さて思った通りにことが運ぶだろうか? 今までのように、最初に会場を去ることだけは避けたいものだ。 |
昨日の夕食後、少し前かがみで洗い物をしていた。急に肝臓の裏?あたりに軽い痛みがはしり、少し休めば治ると思い椅子に座った。しかし、痛みはさらに増し続け座っていることができなくなり床にひれ伏した。喉元が苦しくなりセーターを脱ごうとするが、痛みは爪で床を掻くほどになり、脱ぐという簡単な行為さへできない。 一瞬、このまま死ぬかも知れないという、予感が脳裏をはしる。いっしょに食事を楽しんだ人は、ついさっきまで楽しく会話していた相手が急に苦しみだし、右往左往している。自分で電話をかけられる状態ではなく、救急車を呼んでくれ!と頼みかけた寸前…痛みが少し和らぎ、数分後に嘘のように元に戻った。 1ヶ月前に行った造影剤を入れてのCT検査でも、2週間前に行った血液検査でも異常は一切認められなかった。昨日の痛みがどこの痛みなのか分からない。体の内部の痛みは自分ではよく分からない。 7年前に私が大動脈解離で倒れた時の痛みに似ている。その1年後に、やはり夕食後に自分の死をイメージする同じ痛みに襲われ、直後に検査したが、まったく異常をみつけることができず、昨晩まで、あの痛みの実感を忘れていた。 明日病院にいき、診察を受けるつもりだが、多分原因はわからないような気がする。 きっと、なにものかが、私に突然やってくる死を意識して生きるようにとの警告に違いない。 この日記の更新が、突然ストップしたら、今日の出来事を思い出し、納得していただきたい。 あなたにも、自分死が突然やってくることがある…という事を頭の片隅にい置いて生きてかれることをお勧めしたい。 |
私は、いまだにアイパッドを持っていない。スマートフォンと4年前に購入した重たい旧型のノートパソコンをWiFiに接続して持ち歩いている。昨晩、急にネットが繋がらなくなり、復旧を試みたがうまくいかない。今朝になって試しても変わらないものだから、私の知識ではではどうしようもないと諦め…、WiFiの契約先のソフトバンクの代理店を訪ねて相談した。ところが、いろいろ試したが、WiFiの異常は認められず、パソコン本体に問題があるのではないかと言うことになり、IT機器に弱い私に変わってソフトバンクの社員にパソコンメーカーに電話で問い合わせてもらった。 1時間ほどやりとりしてもらって、やっと復旧できた。なぜかわからないが、パソコンの元の設定がWiFi接続がOFFに変更されたらしい。昨晩特に変わった設定・動作をしたつもりはないのだが…。 急に、こんなことが起こるんだ。 今朝、会社の近くの病院に行って、先日の背中の痛みについて相談した。結局、明日…総合病院で造影剤を使ったCT検査を行うことになった。パソコンと同じで、どうしてそうなったか分からなくても、普通ですよ…と言う診断が出てほしいものだ。検査後、即入院なんてことになったらたまらない。 原因が分からなくて復旧したパソコンも、そろそろ変え時かもしれない。私の体も、新しいのに変えられたらいいのに…無理なことは言わずに、せいぜい大事に使っていきたいものだ。 |
朝から総合病院で検査を受けた。血液検査・動脈硬化の状態を見るABI検査・レントゲン検査・胸部腹部の造影剤を入れたCT検査…今まで一度にこんなに沢山の検査をしたことがない。最近の総合病院では1時間ほどで全ての結果が診察室で分かる。結果は全てに異常なしであった。結局…原因は不明…。尿道結石の可能性が考えられるが今日時点で、すでに流れてしまったのか痕跡がない。 6年前と同じだ。もやっとした感は残るが、一安心だ。数年間は、あの痛みから離れていられるだろうか? 私を診察中に主治医に電話がかかってきた。地域予約センターからだろうか?どうも、先生による重病患者の緊急手術を指名してきた他の病院からの依頼のようだった。耳に入ってきた先生の答えは、午後から東京の学会での講演のために出張するので、症状の重さから同病院の若い医師だけには任せられないので他の病院に回すしかない…とのことであった。 電話が終わり、私の診察に戻った先生は、“病院じゃなくて私の名前で患者が来るので、申し訳ないけど仕方がないんだよね…。今年は3月に入ってからアメリカや東南アジア等での講演会や研究発表の海外出張が入っていて、手術の件数がどうしても減るんだ。” 名医と縁のある患者、縁のない患者…いろいろあるようだ。 私は素晴らしい名医と巡り合うことができた。 先生に“今日の先生は、今まで以上に貫禄があるよう見えます。”と、言った。 すると先生は“そう、有難う。講演するから昨日散髪したんだ。いつもボサボサでしょ?” そう答える先生が、いままで以上にかっこよく見えた。 今日先生に手術を受けられなかった方が、無事であるように祈りたい。 |
人生を終えると…自分の一生がどうであったか振り返る。 そして、死を予感する突然の痛みや、友人の不慮の死や、事業の失敗や、子供の頃にいじめられ死のうと思ったことなど....。結婚相手との出会いや、宝くじにあたったことや、自分が入学試験に合格しことや、憧れた車を手に入れたことと同じように、自分が自分の人生のすべて最初から知っていたことを思い出す。 それは生まれる前からすべて分かっていたこと…。肉体を持って生きるということを経験するために忘れなければならなかったことを思い出す。すでに幾つもの人生を経験したことを思い出す。 そのことを思い出した瞬間に、自分が自分として旅した人生が終わり、肉体を待たない自分へと戻っていく。 それが、このステージで繰り返される…人生の真実だと、私は信じている。 |
実は最近、山の中の家とは別に都会の高層マンションにも住まいを設けた。最近はその二か所を行ったり来たりしている。 海・山・町を一望する眺望はなかなかのものである。近くに同じ高さの建物がないのが、いい…。特に夜景は絶景である。 ただ部屋には、今のところ机一つ以外に家具がない。最近のマンションには結構収納スペースが多いから、机とベッドさへあれば、生活には困らないのだが…。実は引っ越してきて2週間経過したのにまだカーテンの手配もしていないし…また、ベッドがないから床に布団をじか引きして寝ている。そんな状態だから、まだ来客は一人もない。 私にはこだわりの机がある。25年前バブル時代に特注で作った厚さが40mmで、2750mm×900mmの大きさの天板を持つ木のテーブルだ。 数年前から木工団地のなかにある、ある建築業者に預けている。今度のマンションに持っていくつもりだったが、大きすぎてエレベーターに乗りきらない可能性があり移動を躊躇している。取り敢えず来月初旬に、他の家具(ソファー・椅子・スタンド)を、先に運ぶことを考えいて、その時に斜めに突っ込めばエレベーターに入るかどうか引っ越し業者に相談してみるつもりだ。高層階まで階段で運び上げてくれとは、私には言えないから、その時は今のマンションでの使用は諦めるつもりだ。 このビッグテーブルを日常使いすることが、私の夢である。 この机の入る家に住みたいと思う。 私は、まだバブルを引きずっているのかも知れない。 |