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SOLILOQUY

ひとりごと

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September 21, 2012 18:04:31

反老

カテゴリー: 日記
今朝、カイロプラクティックの診療所に行った。治療時間は10分程度…。例のように運動の法則を利用した…第一頸椎に近い首の皮膚に、触れるか触れないかの圧をかけるだけという治療だが、これが前回よりまして嘘のように効果がある。
年会費を払いこんで年間を通じ、私の体のバランスを診てもらうことにした。

若い時は、若さはタダで、自分にいつまでもくっついているものだと思っていたが、老化という文字が頭にちらつき始めると、若さを保つためにはお金と努力が必要だと気が付く。
肌は、重力に逆らえなくなり垂れ、動かさない関節は固まり、骨はもろく折れやすくなり、体中に色素が沈着しはじめ、脳細胞を筆頭にすべての細胞は再生するより死滅する数が増えていく。

今を維持することの大切さに気が付き行動することが、先の人生で、どれだけ大きな差となって現れるか?

先日スポーツクラブの会員になった。水泳が苦手と言うコンプレックスから逃れたいというのが大きな理由だ。私のもう一つのコンプレックスは体が硬いという事だ。だから、ついでにおばさん方に交ってヨガにチャレンジしようかしら…。

私はまだ間に合うと信じ老化に抵抗していこうと思う。
カイロでも、水泳でも、ヨガでも、ロングブレスダイエットでも、何でもやってやる。

長生きするためではなく、楽しく生きていくために…。
September 22, 2012 10:32:24

傍観

カテゴリー: 日記
以前私の部下だった料理人が、昨年会社の近くでイタリア料理店を開業した。ときどき料理を食べに行ってみる。2週間前にランチに行った時、独立を果たしたシェフの同僚で、やはり私の部下だった…現在地元の山口に帰って田舎のレストランに勤めている料理人の話題をシェフがふってきた。“あいつが、地元での独立を前にもう一度都会で修行したいから、うちで働かせてほしいと言ってきたんですけど、どうしようか悩んでるんです。”と、私に問うた。私は、“この店の経営状態はわからないから、言いようがないなぁー。”と、素っ気ない返事を返した。

昨日、彼のレストランに行くと、“あいつ来年の初めから、来ることになったんです…。やっていけるでしょうかねー…俺?”とポツリと言った。
私は、“だいじょうぶ、やってけるよ!上手くいくよ!もう決めたんやろ…だったら後ろを振り向いても仕方ない。前だけ見たらええんや。チャンスやないか…。”と言った。
彼は、“あーっ、チャンスですか?”と料理をしながらつぶやいた。

私のささやかな彼へのエールである。
自分で決めたことを、始まる前に振り返ってはいけない。それは無駄な時間だ。どうすれば上手く運ぶか考えて、今を動けはいいのだと思う。

彼の肩にかぶさる荷が、彼の底力を育てることになるよう…傍観者の私は祈りたい。
September 23, 2012 17:21:42

印税

カテゴリー: 日記
私は新聞にサッと目をとおすくらい…、たまに郷土史を読む以外は普段あまり文字に慣れていない。そんな私の夢は小説を書くことである。以前ここに小説の書き出しを載せたことがある。頭のなかにはストーリーの構成はできているが、最近はなにも書いていない。

小説はちょっと置いておいて…今、作ろうとしているものは、私の町の居留地時代を背景にした絵本を作ることである。この絵本の絵の部分は当時に描かれた一枚の絵のなかのモチーフを分解して使用する。文章はその絵を一冊の歴史書のなかから引っ張り出し、スポットを当てた歴史研究家に書いてもらっている。
ほとんど、私は何もしない。
歴史研究家の顔を立てながらプロローグとエピローグは書くかも知れないが、構成と拡販ルートを確立するだけである。

私が、ここに毎日なにがしかの文章を投稿している理由は二つある。一つは…本を読まない私が、だいそれたことに小説を書きたいという夢をもっているため、思いを文章化することに馴染むためである。もう一つは、私が死んだ後に息子が私を少し理解するためである。

絵本が完成すれば、おそらく私が誰か分かってしまう。
絵本ができたころ、私はこの日記から離れるつもりでいる。
それから…実名でブログをはじめるだろう。

周囲の人達には文章が下手だと言われているが、私を知っている人は誰もこの日記を見たことがない。
自分でも上手いとは思わないが、それなりにこれからも書き続けようと思う。
私には、印税生活を目指す下心?がある。

このページを訪ねていただく方々がいることが、私の大きな励みだ。
今日は、なんだか…私にお付き合いいただいている皆さんに感謝の気持ちを伝えたくなった…。
September 24, 2012 14:47:01

餌付

カテゴリー: 日記
私の仕事場は、結構都会だと思うが、数年前から車が盛んに行きかう道路に猪が出没するようになった。
先日、住人の会に県の農林水産局から担当者がやってきて“イノシシ防護柵のモデル設置について”と題した活動予定を住人に説明した。この柵は恒久的に設置するものではなく、防護柵がイノシシ出没阻止に効果があるかどうかを探るものだと説明を受けた。
そのなかで、県担当者は、イノシシ出没の原因は、決して山に食べ物がなくなったわけではなく、餌を与える人間がいるから人を恐れなくなり、安易に手に入る餌を求めて町を目指すようになったと言うのだ。

この話を聞いて、人間界でもよくある話だと思った。
その人のためになると思って…いろいろ手を差し伸べていることが、結局…その人に甘い人生を歩ませ、より多くの苦難を背負わせ、感謝の気持ちを薄れさす…そんなこと…まわりに一杯ありそうだ。
その人のために、厳しく突き放す…ライオンが子供を谷から突き落とし、生き残った生命力のある子供だけを育てる…なんて話を聞いたことがあるけれど、それに比べたら現代人は過保護過ぎる。人間界は弱肉強食の世界だ…なんて少しは学校や親が子供に教えたほうが、今巷を騒がしている問題もなくなるかもしれない。

さて、私自身の今の人生を振り返ってみた。私も周囲の人間をいっぱい甘やかしているかも知れんぞ。
私もダメ人間を製造しているぞ。

…とかなんとか言いながら、なかなか甘い人間を切り離せない自分がはがゆい。
September 25, 2012 14:33:45

見直

カテゴリー: 日記
私は、今…生命保険の見直しを考えている。
子供が学生だった頃に加入した保険は逓減定期生命保険という、時間の経過とともに保障額がだんだんと小さくなるものだった。子供が大きくなるにしたがって、独り立ちするまでにかかる費用も徐々に減少していくし、成人してしまえば私が死んでもそれほどお金が必要ないだろう…と言う考えで選んだ保険だ。その保険は70才になったとき保障が消える。

子供が成人した時に一度見直しを考えたことがあった。所謂保障額を思い切って減額し終身保険への変更を考えたが、その頃は大動脈解離の手術仕立てだったから、医師の審査が必要になる新しい保険に入り直すことは不可能だと考え、あきらめて、そのままにしておいた。
手術から6年が経過し、今日…思い切って新しい保険に入るために医師の審査を受けてみた。尿検査と血圧測定と問診という簡単なものだった。
気になることがあった。心拍数がやけに高かったのだ。美人の女医さんならともかく、禿げ頭で腹の出たおっさんにときめくはずはないし、毎朝計測していて確かに今朝も今までにないほど高かったから少し心配だ。

私は自分のことを傷モノだと思っているから、審査を通らなくてもがっかりはしない。なにせ胸には人工血管が入っているし、血圧のコントロールのために数種類の薬を服用している。これで審査を通せば保険会社がまるまる損するに違いない。
…とはいうものの、どんな試験でも、審査でも、できれば受かりたいと言うのが本音だから、今少しソワソワしている。

自分が保険金を受けとるわけではないが、私が70才を越えても生存している姿を、自分で想像できるようになってきた。
未来を見つめることのできる今の環境に感謝したい。

ダメだしされても、がっかりしないように腹括って結果を待つことにしよう…。
September 26, 2012 21:37:47

静湖

カテゴリー: 日記
誰にでもあるのだろうけど、私にも好きな場所がある。
そのうちの一つが会社への行き帰りの途中にある、国内で最も管理状態の良い外人墓地である。
その近くに湖があり、小学生の頃には何度か校外活動で連れて行かれ、また休みの日に友達といっしょに裏山から獣道を通って山中の公園を目指した。成人してからも何度か女性と二人で訪れたものだ。


数十年前に新幹線のトンネル工事のため近隣山中の地下水脈が影響を受け、附近一帯の池や湖が干上がったことがあった。その湖も例にもれず、枯渇した湖に訪れる人が減少し、貸しボート場が閉鎖された。それでもヒッチハイカーやオゾンを求める都会人を癒してくれる食堂が一軒営業を続けていたが、主人が年老いたためか昨秋店を閉め、今年も一度も扉の開くことなく秋を迎えた。



昨日、湖を訪ねると、楽器の練習をする若者や犬の散歩に来た年配の人達の姿があった。私やその人達にとっては、贅沢な空間だと言えないこともないが、もう少し、このオゾン溢れる湖が賑わってほしい。そうしたら食堂も復活するに違いない…と、思った。
もう一度、湖に向かう2階の窓越しに、おばあちゃんの作る普通のきつねうどんが食べてみたい。


みんな自分の好きな場所は秘密にするのだろうか?


今年は例年になく湖には水が満ちていた。
September 27, 2012 14:56:11

墓碑

カテゴリー: 日記
昨日触れた湖の近くにある外人墓地は、生まれ故郷を離れ極東の港町で一生を終えた外国人が葬られた墓地であるが、もちろん多くの外国人が母国に戻って余生を送った。

我が町の居留地の設計者(区画・道路・設備等)で知られるJ.W.Hart氏は極東で優れた仕事を残して英国に帰った。
私の友人の歴史研究家のこの度の英国調査旅行の目的の一つにHart氏の墓碑を訪ねることにあった。
歴史研究家にとって、墓碑に刻まれた文字は亡くなった人の事実を語る重要な資料となる。これまでに私は研究家と共に横浜・長崎・神戸の外人墓地を訪ねたことがある。


歴史研究家は、調査の報告と題して、ロンドン郊外のハムステッド墓地の画像を送ってきた。あなたが墓地の写真に興味があるかどうか分からないが、ご紹介しておくことにする。おそらくあなたは、J.W.Hart氏の現在の墓碑の状態を知る世界中の数人のうちの一人になるだろう。

研究家は墓守といっしょに藪の中に傷だらけになりながら分け入って、やっとのことで見つけたそうだ。
研究家は発見の状況をこう語った。

彼、彼の夫人と息子さんの3人分の墓碑ですが、碑銘はもはや判読不能。
埋葬記録によると、
John William Hart 1900年12月8日没 63歳
住所:26, Russell Road, Kensington, London

研究家は、最後に一言メッセージを添えていた。

我が町で骨を埋めた人々。母国に帰った人々。
こと墓に限れば、我が町で亡くなった人々が一番幸せです。
(貴人と軍人の場合を除いて)修法ケ原ほど丁寧に維持されている外国人墓地は、他にありません。

訳あって我が町で一生を終えた異国の人達、訳あって母国に戻った異国の人達…
その御霊の安らかならんことを…。
September 28, 2012 12:11:11

嫌味

カテゴリー: 日記
私が他人に対して手を差し伸べた時に、私が黙っていると…、そのことが当たり前のように何も言わずに通り過ぎる人がいる。気が付いていないのか、気が付いているけれど敢えて礼を言うのが面映ゆいのか、それともそれくらい当たり前だと思っているのか、いろいろあるだろうが…。

最近、私は黙っている人に対して、自分から手を差し伸べたと言う話題を敢えて持ちかけることにしている。
人生経験上、嫌味なく、しつこくなく…である。

黙って通り過ぎることは、決してそのひとのためにプラスにはならない…と、最近強く感じる。

人間というものは、思いを主張するだけでなく他人の思いを察し、感謝や謝罪の気持ちを、適当な表現方法で伝えなければならない生き物だ。
そのことに慣れていない人には、その人のためだと思って、少し時間を費やし考える時間をあげたほうが良い。

感謝や謝罪の気持ちがスムースにできれば、その人の人生を周囲の人が応援してくれる。

もう一度言うが、嫌味なく、しつこくなく…である。
しかし、よく考えてみると人生経験がなければ、やはり難しいかも知れない。
他人はあなたの気持ちを、そこまで察してくれないかもしれない。
今日の話を、あなたにおすすめすることは、止めておく。
September 29, 2012 14:31:30

余命

カテゴリー: 日記
最近私は、よく“幸せそうだね。”と言われる。
確かに私の人生でなかで、今が一番幸せに違いない。

若い時からのコンプレックスを解消するため、今…多くの時間を費やしている。何年も行ったことのなかった美術館や映画館や温泉や海外旅行に頻繁に出かけるようになり、精神状態が安定している。

これも、6年前に突然大動脈が避け緊急手術をしたおかげに違いない。
ストレスは、人生を変えてしまうことを知った。
どんなに頑張っても倒れたら人生終わり…。すべてのものは一瞬にして崩れ去るということを知った。

入院するまでの数年間、道を歩いていて声をかけられないほど暗かったと言われた。その時には自分でストレスをコントロールできなかったから、溜まりに溜まって爆発したんだ。

もう少し生きてもいいんだ…と声が聞こえ、私は何者かに生かされていると感じた。そして、この世のすべ八百万の神に感謝するようになった。

今、もう少し生きていたいと思う。
まだ、この人生を楽しんでいたいと願う。
そう感じるようになると、もう人生終わってもいいよ…と声が聞こえるような気がする。

自分が、幸せだと、もっとみんなに伝えたい。
あなたは、幸せをそうだと、もっとみんなに言われたい。

これから先も、なにが起こるか分からない…と、肝に銘じて生きるから、もう少し生きていたい。
September 30, 2012 13:54:00

宝物

カテゴリー: 日記
私の家には、それほど多くないが…、なんでも鑑定団に持っていくと希望額に一桁足らない金額を提示されそうなお宝がいくつかある。警察に届けていない刀や書画や茶道具等である。父が9年前に逝って、品の謂れを聞いていなかったから、其々何故手元に残っているのか理由が分からない。
おそらく祖父母が集めたものだと思うのだが、今では誰もその価値が分からない。

以前家の建て替えで、引っ越しするときに、父は少し身軽になろうと思い、骨董屋をよんで値踏みをしてもらった。なかにはそこそこの値段のついたものもあったが、ほとんどの品は掛け軸1本が500円とか言われ、それなら誰かにあげたほうが、まだましだと…結局処分し損ね多くの品が残って、捨てるに捨てられずにいる。

結局、自分に興味のない…また品物の謂れの分からないものは、なんの価値もないのだと思う。
つくづく、父が存命のうちに、いろいろ話を聞いておくべきだったと、今になって思う。

私自身にも宝物があって…、その一つはスウェーデンの作家が作ったガラス作品である。ただそれは、震災で粉々に割れてしまい、今から考えれば雑なことをしたと少し悔やまれるのだが…。破片を拾い集め自分でガラス専用接着材を買ってきて復元したサンドブラストの装飾の入ったガラスボウルだ。
こうなっては、どこに出してもガラクタ扱いに違いないのだが…、バブルの終わりかけた頃、東京の麻布工芸美術館に展示されていた作品を、作家に勧められて買い求めたもので、その時の思い出が詰まっいて、私にとっては大切な品となったのである。

さて、私が死んだら息子は、割れたガラスをどうするだろう?
どうでもしてくれ!
謂れを教えても、どうせ割れたガラスやしな…。

私が生きている間の、私だけの宝物でいい。捨ててもいいよ…と、今のうちに言っておこう。
宝物って、そんなもんでいいと思う。
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