今日は、我が町で最高のリゾートホテルを目指すホテルに仕事で行った。“目指す”・・・と言うのは、そのホテルの目標であるから、(確かに従業員専用エレベターにその目標の標語が掲げられていたのだが・・・)一般顧客からみて、そのレベルにあるかどうかは別の話になる。仕事でホテルに入館する場合には、当然裏の搬出入口から出入りするわけだが、ホテルによってその入館時の管理体制には明らかな差がある。一流の名前を持つホテルは、館内の目的地に辿り着くまでに会社名や名前の記入と入館書を渡される。今日のホテルは、はっきり言って全くノーチェックだった。極端な話・・・誰でも入れると思った。表向きの豪華さや新しさではないホテルランクの基準が管理チェック体制と言える。今までの経験から言うとオークラはさすが・・・と思わせる体制をとっている。設備設計の段階で、どれだけ管理上のスペースをとっているか、どれだけ導線が考えられているかで管理の質が決まるから、今日のホテルは建前上大目標を掲げていても裏側を見てしまった私には空しく感じる。 だがしかし、表向きは豪華で綺麗で港を望む景色も良さそうなので、一度だけ全室に備わったジャグジーバスの一つに入って海を見ながらシャンパンでも飲んでみたい。できればこの秋までには宿泊したいと思っている。 |
私が社会人に成りたての頃、勤めていた会社の近くにあった丸ビルの2階の飲食店から外を眺めていると、公園(ビルの敷地内)の切り株の椅子を、突然4人の作業服を着た男たちが車に乗せて持ち去った。人通りの多い都会で、しかも真昼の出来事・・・現場に背広姿のビル関係者か現場監督風の人がいれば、なんの不思議もない日常の出来事の一齣である筈だが・・・ きっと彼らは、ビルの関係者から依頼を受けて作業していたに違いない。・・・でもひょっとすると彼らは白昼堂々の窃盗犯だったのではないか・・・。いや、そんなことはない。翌日の新聞には関西人が喜びそうな三面記事はなかったし、思い過ごしに違いない。 ここで、“堂々と生きれば疑われることはない。”という落ちをつけると、とんでもない話で・・・それは私にもよく分かっている。 世の中には、目立たないように周囲に気を使って生きている人が多いが、そんな人はかえって人目を引いていることが多いような気がする。すべての人には大なり小なり他人と比して優れた部分も劣るところもあり、優れた部分をひけらかすのはどうかと思うが、劣る部分を隠そうとするとかえって目立つことが多く、それよりも堂々と普通に、自然に振舞ったほうが人目につかない。・・・と言う事が言いたかった。 この論脈には、無理があるであろうか・・・・ 私は、目立たぬように、堂々と生きていたい。 |
ギター教室に通い始めて、もうすぐ3週間・・・いまだ曲を弾くなんて遠い未来の話のようで、毎回毎回右手で音をどのように出すか、指ではなく肩を使ってどのように左手で押さえるかばかりを繰り返している。今日は大きな音と小さな音の練習・・・楽譜でみれば同じ音であっても、譜面には表現されていない大きな音と小さな音があって、それは小さく弾こうと思って出てくる小さい音ではなく、しっかり弾いた小さな音・・・言葉でも音楽にも微妙な抑揚があるから人の心に響く。・・・と教えられた。以前から同じ楽譜を元に奏でられる曲が演奏家によってそれぞれ違う風に感じられるのは、音と音の間(溜め)や単に強弱の技術的な差位によって生まれると思っていたが、どうやらそう簡単なものではなく、演奏家の音への理解に対する感性の差ではないかと思い始めた。今のうちにこの試行錯誤を経験させてもらえることは、非常にあり難い。姿勢や感性を確立せずに技術を習得すれば、永久に自分のものにならなかったものがあるかもしれない。 こう言う極意は、音楽だけではなく、すべてのものに当てはまるのだろう。テキストに書かれていることは、物事の極めて一部のことであり、言葉では書かれていない感覚的なものをどれだけ自分が読み解くか・・・それが出来るか否かが本物とそうでない者との違い。 レッスンの最後に今後のスケジュールを告げられた。6・7月は、これまでと同じ繰り返し・・・8月に入って初めて曲を演奏する・・・とのこと。なんだか、もっとゆっくりでもいいみたい。自分のなかの眠っている感性が呼び覚まされていくような・・・わくわくする思いがある。ゆっくりでいい、ゆっくりで・・・本物を真似するためでなく、本物に近づくために。 |
本日午後2時に我が町のスタバで歴史研究家との今月最初のミーティングを行った。彼は先月末から2週間に渡って長崎に出向いて再調査を行っていた。その間に私は彼から預かった画像資料に手を加え簡易製本できる状態に仕上げた。今日はそれを前に置いての打ち合わせである。研究家はほぼ満足したため、簡単な修正を加え1週間以内に製本に向かうことになる。それを携え彼は今月半ば過ぎから海外に飛ぶ。イギリスでの継続調査と研究対象のイギリス人が生まれた町、生活した町でこれまで調査に協力していただいた方に簡易本を贈呈するためである。その後居留地研究会の主な研究者にお披露目し、7月にさらに練り直した、しっかりと装丁を施した“本”にするため数回の打ち合わせを行うことになった。その間、7月13日にオーストラリア在住の歴史研究家が日本に戻ることもあり3人で郊外に散らばる史跡の探索を行う。今年の夏は面白くなりそうだ。私自身の調査、構想の展開は一時休止状態であるが、わが町の居留地時代を研究する今が旬の研究家からのお誘いを断る手はあるまい。ここまできたら2人の研究家の研究家魂をとことん見させていただこう。 音楽にしろ、歴史研究家にしろ・・・最近その道の今最も充実しているスペシャリストに出会う機会が増えてきた。今まで動いていなかった私の感性がより研ぎ済ませれていく快感を感じる今日この頃である。 |
私の人生で6月6日は、いろいろある日で・・・明日も、やはりいろんなことが重なった。一つはマダムの主催するイベントで、小型バスをチャーターし、あるご高齢の有名木版画家に会いに行くという催し。もう一つは、ギターの先生の年に1回(or2回の)コンサート。(初参加なので行きたかった。)そしてもう一つが、香川県で行われるイベントの音響の仕事。(仕事と言っても、それほど収入になるわけではないのだが、友人の音響の先生が今春に心筋梗塞になり、一人で遠征するのが心配で付き添うことが目的だ・・・)結局、四国行きを優先することにした。6月6日は23年前に記念日となったが今ではそうではない。オーメンと言う映画をご存知の方は、ダミアンの誕生日・・・この日は、今年も私にとって、いろいろ重なる日だ。 音響の先生とは明日6月6日6時に待ち合わせをしている。6の3並びはあまり深く考えずに明石海峡大橋を渡って、野山と海を眺めてドライブ日和の気持ちの良い一日にしたいと思う。 それにしても、木版画家との出会いと、ギターのコンサートも捨てがたい。今日は未練たらしい私である。 |
この四日間、通勤途中に毎朝・・・わが町の市街写真を撮るため、車での通勤で途中下車し、ある山の上から写真を撮っている。今日は四国行きのためいつもより早く朝6時前にその山に着いた。それまでの三日間は晴れていたので、手前の山はクリアに撮影できたが、市街は薄靄がかかり納得いく写真が撮れなかった。だが今日は山の木々の鮮やかな緑色と市街は90点・・・埋立地と空港は80点位・・・大阪湾は朝靄がかかっていたが、紀伊半島に拡がる山脈は90点・・・綜合点で85点位の得点かな・・・。ある意味合格点と納得する。 四日間、私のなかに毎日違うイメージの市街の画像がインプットされていく。60点の日もあれば85点の日もあり、毎日違う町が私のなかの記憶となって蓄積されていく。これからしばらく撮影を継続するつもりであるが、そのなかで私が人に見せるために選択するのは1枚の写真だけ・・・撮影した場所のオゾンいっぱいの空気感や塩分を少し含んだような海からの風も、私の体験として私の記憶のなかに仕舞うだけ・・・他人には私の感じた経験のほんの少しだけしか伝えられない。100点は望まなくとも95点くらいの写真を求めて、私は明日も山に登ろうと思う。自分以外の人には伝えられない多くの経験と記憶を増やしながら・・・ 人としての器を大きくするための自分のための継続を、これからもやっていきたい。今日は車で350km走ってきた。慣れない長距運転で疲れた・・・神戸の市街写真以外にも今日はいっぱいの記憶が私のなかに蓄えられた。“今日も一日有難う。“と、誰に伝えたい訳ではなく呟いた。 |
昨日の四国のイベントは、我が町に本社工場を持つ会社の季節行事である。香川県さぬき市と京都府綾部市と三箇所に工場を持つ主に車の部品を作っている会社である。昨日私が接触した社員の方の印象は、皆さんまじめで善人ばかりと言う感じ・・・私が社会人のスタートを切ったのも綾部市の工場であったから、工場での研修生活を懐かしく思い出した。工場での生活には都会では見かけない強いコミュニティー意識があり、団結力が存在する。昨日も綾部工場と本社工場から300名位の社員がバスを連ねて集結していた。工場では休みの日でも社内イベントが頻繁に行われる。多少参加意識も評価されるだろうが、この人たちを見ていると上から言われて参加しているのではなく、自分達で楽しんでいるように思えた。私が就職した会社の工場の人たちと、とても似た人種に思える。質が高く優秀なメーカーイメージを世界で勝ち取った日本製品を作り上げるためには、この勤勉で正直なコミュニティーの存在が必然だったのだろう。工場所在地の市長、副市長、政党幹部等のお歴々も顔を出す一企業の季節イベントは、地域との関連も太く強く(事業税の高額納付にもよるだろう)、強い組織力、政治力を感じずにはいられなかった。 今は一匹狼の私には、地方都市のコミュニティーが新鮮に感じられた。人が善人であることは刺激が少ないが、安心であることは間違いない。 昨日のスタッフために用意された弁当は、普通の幕の内弁当であったが、社員の司会者の女性がゲスト用の手打ちのさぬきうどんを差し入れてくれた。うどんはさすがに美味かった。来年も声をかけられたらお伺いしたい思う。うどんに釣られる私である。 |
彫刻と塑像の違いを一言で言うと、彫刻は削る刻む彫るというマイナスの作業のみを繰り返した後で残ったものが形として残る。塑像は最初に芯(骨格)を作り(芯のない場合もあるが)その芯に別に用意した素材を付けて行くというプラス作業を繰り返して形を作る。二つの作品はプラスとマイナスという相反する作業によって形が作られるわけだ。完成作品を見ると一見どちらも同じような形に見えるが、よくよく見てみると作品の放つ緊迫感の違いに気がつく。彫刻は削りすぎると、もとにもどせない。常に真剣勝負で作品に向かわなければならない。塑像が真剣に作られていないというわけではないが、付けすぎれば外せばよいわけだから、幾分緊張感が緩和されるように思う。 今日、マダムが先の日曜日にバスをチャーターして会いに行った木版画家の小品を自宅から持ってきた。眺めていると、緊迫感を感じる。木版も彫刻の分類に入るのだろう。マイナスすることで形が出来上がる。削り過ぎれば、修正すなわち誤魔化しとなる。 自分の人生に置き換えてみた。私の人生は足らないものを付けて行く人生か・・・それとも持っているものを削る人生か・・・若いうちは、何でも吸収するプラスの人生を生きたように思う。しかし今、人生の残りが少ないと思えば、見てくれを気にせず、間違えることなく余分なものは脱ぎ捨て、持ちすぎたものは振り落とさなければならない歳になった。後戻りする時間は年をとるともったいない。自分が緊迫感のある作品を残さなければならない誤魔化しの利かない年代に入ったと思った。 |
今から3週間ほど前、友人と酒を飲みに町に出た。こじゃれた日本料理の店で赤ワインを飲んで・・・魚には白ワインのマッチングが普通であるが、結構赤でも相性のいい肴を選んで、話が弾み楽しい時間が過ぎていった。次に行きつけのショットバーに行き、隣に座っていた知り合いのタウン誌の編集長と町の歴史の話で盛り上り、気分が良くてもう一軒はしごすることにした。その店は30年前に一度だけ行ったきりの店・・・昭和初期に我が町を徘徊していた画家、小説家、その他学者等多くの文化人が訪れ、その際酒の勢いにまかせて筆をとったのであろう、店の西壁面に彼らの落書きやサインが今でも残る。以前訪れた時も同じ二代目の主人であったと思うのだが、当時私は若かったし、主人も男盛りの40歳で、私は子供扱いされたような記憶が残る。30年という年月は二人の年齢差を近づけた。主人は丸くなり私は大人になっていた。気分が良くなった私は「一月以内にまた来ます。」と言って店を出た。 昨日、アメリカ帰りの友人と飲みに出て、分かれた後で一人で例の主人の店に足を向けた。店に入ると、接待ゴルフ帰りのサラリーマン一行が小さな店の客席に溢れていた。前回と全く違う空気を吸いながらウォッカトニックを注文した。ほとんど一気に飲み干して主人に勘定を申し出た。店の扉を閉めるとき主人の“申し訳ない”と言う笑顔が見えた。 私は、決して店の雰囲気を悪く思ったのではない。扉が閉まる瞬間、『約束を守れた。』と呟いた。 |
私の住んでいる家の近くには、一つの中学校と二つの小学校と一つの幼稚園がある。正確に言えば幼稚園は“あった”と言う過去形で・・・私の町に子供が少なくなったせいか今年の4月に隣町に引っ越して行った。そのうち小学校も統合するようになるのだろうか。家の南側の窓からは岡の上にある中学校が見えて、夕方窓を開けていると、コンクールでも優秀な成績をとるブラスバンド部の楽器の音が聞こえる。北側にあるコープのさらに北側にある小学校方面へはあまり行く機会がなく、私にとってこの学校の存在感は極めて薄い。西側にあるもう一つの小学校は、毎朝の散歩のコースで校門の前を通っているし通学する学生達の姿も見慣れているため親近感がある。今日の夕方、私は玄関に佇み目の前をボーッと眺めていた。すると西側の民家の屋根越しにコンクリートの低層階の建物が目に入った。一瞬何の建物か分からなかったのだが、よくよく考えてみると、その方角には小学校がある筈で・・・数秒後に納得した。今日、家から小学校が見えることを始めて知った。それにしても私がこの家に引っ越して来てもう5年になるが、いったい目の前に何を見ていたのだろう。家族にも訊ねてみたが、やはり誰も見えることを知らなかった。 私は、目の前の人のどこを見ているのだろう。正面を向いていても、実はその人の数%しか見ていないかも知れない。“ちゃんと見ている”なんておこがましくて、まだ分からないから、“もっと見よう”と向かったほうが賢明に思えた。 一度見えた小学校は、明日もその方角に見え続けているだろう。念のため明日の朝、確かめておこうと思う。 |