ギター教室に通い始めて、もうすぐ3週間・・・いまだ曲を弾くなんて遠い未来の話のようで、毎回毎回右手で音をどのように出すか、指ではなく肩を使ってどのように左手で押さえるかばかりを繰り返している。今日は大きな音と小さな音の練習・・・楽譜でみれば同じ音であっても、譜面には表現されていない大きな音と小さな音があって、それは小さく弾こうと思って出てくる小さい音ではなく、しっかり弾いた小さな音・・・言葉でも音楽にも微妙な抑揚があるから人の心に響く。・・・と教えられた。以前から同じ楽譜を元に奏でられる曲が演奏家によってそれぞれ違う風に感じられるのは、音と音の間(溜め)や単に強弱の技術的な差位によって生まれると思っていたが、どうやらそう簡単なものではなく、演奏家の音への理解に対する感性の差ではないかと思い始めた。今のうちにこの試行錯誤を経験させてもらえることは、非常にあり難い。姿勢や感性を確立せずに技術を習得すれば、永久に自分のものにならなかったものがあるかもしれない。 こう言う極意は、音楽だけではなく、すべてのものに当てはまるのだろう。テキストに書かれていることは、物事の極めて一部のことであり、言葉では書かれていない感覚的なものをどれだけ自分が読み解くか・・・それが出来るか否かが本物とそうでない者との違い。 レッスンの最後に今後のスケジュールを告げられた。6・7月は、これまでと同じ繰り返し・・・8月に入って初めて曲を演奏する・・・とのこと。なんだか、もっとゆっくりでもいいみたい。自分のなかの眠っている感性が呼び覚まされていくような・・・わくわくする思いがある。ゆっくりでいい、ゆっくりで・・・本物を真似するためでなく、本物に近づくために。 |