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SOLILOQUY

ひとりごと

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June 20, 2010 15:48:10

程々

カテゴリー: 日記
先日、ラーメン屋でラーメンを食べた。普通ならそれがどうしたと言う話だが、私にとっては一大事であって・・・。腹が減った時、家で素のインスタントラーメンを食べることはあっても、この5年間外食でラーメン屋に入ったことがなかったのだから・・・。手術後、体重と血圧のコントロールが必要になり、こってりラーメンのカロリーを考えるとついつい店の前を避けて通っていたわけで・・・実際今でも朝食は、生野菜と果物だけを塩もドレッシングも全く掛けずに食するだけだし、昼は、一週間のうち5日は日本蕎麦だけの日々である。(夜は何でも食べるが、減塩は心がけている。)それが、この間はとんこつラーメンと焼き豚丼のセット定食を食べてしまった。さすがにラーメンの汁は少し残したが完食、身体に悪そうな食事はなんておいしいのだろう。昼から腹十分目の一日であった。節制も飽食も浸ってしまわないような生活習慣を心がけ、どちらもそこそこ楽しんだほうが生きてる・・・って言う感じだな。

おいしいものはほどほどに、楽しい事もほどほどに、辛いこともほどほどに、我慢するのもほどほどに、いろいろなことをバリエーション豊かに経験する人生が最高だな。
ラーメンを美味しく食べるために、しばらくラーメン屋には近よらないようにしようと思う。
June 19, 2010 16:07:09

低音

カテゴリー: 日記
今日、ギター教室に行って、右手親指の奏法について教わった。親指は主に第3弦から第6弦を弾くことが多く、高音部を弾くことは先ずない。親指で第4弦を弾く時には、軽く人差し指に当てるように弾き少し溜めを作った後に人差し指と中指の高音部はその反動で弦から手が離れる途中で弦を弾くというよりも当たるような感覚の奏法を教えられた。第5弦を弾く時は第4弦よりも、もっと溜めを作った後で高音部を弾く・・・第6弦は第5弦よりももっと大きな溜めを作る・・・自分で奏でる低音が身体の中心に響いてくる感覚を得た。先日の智内さんのピアノコンサートでの本人の自己紹介を思い出した。「自分は10本の指を使える人より情感のある音を出せる・・・。」と言うあの話だが、私はあれからずっと考えていることがあって、ピアノにおける自分の中心から左側は低音域の音が弾きやすい。だから彼の奏でる音は必然的に低音域が多い。智内さんのあの話の意味には、低音域が人間の情感に訴える音で、高音域が人間の脳に訴える音・・・という意味があるのではないかと感じていたもので、ギターの先生にその話をしてみた。すると先生の顔がにわかに微笑みに変わり、「なるほど!」と、刺激を受けてもらえた。そんなことを理解して楽器を演奏すると、より良い演奏ができるかも知れないと思った。

こんなことに気が付いた自分が、好きだ・・・。
June 18, 2010 12:21:05

彷徨

カテゴリー: 日記
“幸せのちから”と言う映画をレンタルして観た。ウィル・スミス主演のクリス・ガードナーと言う冴えないサラリーマンが不運続きで事業がうまくいかず奥さんは愛想をつかして家を出てしまい、我が子を愛している彼は二人で生活を始めると言う実話をもとにした物語だ。ウィル・スミスの実子が映画のなかでも子供役で出演しており、ハッピーエンドを予感させ、その通りのラストであったが、今日は映画の出来不出来の事ではなく、ホームレスになった二人が僅かな身の回り品を持って路上を彷徨うシーンで息子が父に語ったショートストーリーを書いておきたい。
「お父さんこんな話を知ってる?1人の男が海で溺れていて、近くを通った船が助け揚げようと近づいたが、男は『いえ結構です。私は神を信じているから・・・』と答えた。しばらくしてまた船が通りかかり、引き揚げようとしたが、また『いえ結構です。私は神を信じているから・・・』と答えた。そのうちにその男は死んでしまい天国に行ってしまう。そこで神がその男に言った。『私が二度も助けの船を出したのに、お前は言う事を聞かなかった。馬鹿者!!』と・・・。」

小さな子供が、親に分かったことを言い、親が真面目に聞いている・・・このシーンが面白く記憶に残った。私も、子供の話をまじめに、まともに聞けるだろうか、我が子から教えられることもあるんだろうな・・・我が子も神の言葉で語ることがあるのかな・・・
June 17, 2010 20:36:24

純粋

カテゴリー: 日記
先日、小学校の同級生とランチした。家は近いのだが、かれこれ10年振りの出会いであろうか・・・彼はテニスのレッスンプロである。日焼けした真っ黒な顔は見るからにスポーツマンだと分かる容姿・・・同年代の男性に比べて私自身若いと自負しているが彼には叶わない。先日3回目の結婚をしたらしく幸せそうであった。昔から彼は、あまり頭は切れるタイプではないが、気立てが良くて純粋だった。2回の離婚の相手にも、結婚生活でこんな素敵な女性といっしょになれて、なんて幸せなんだろうと心から思ったという彼の言葉に嘘はないように思う。
何度も恋ができるなんて羨ましい。私なんぞ1度の離婚で幾つものトラウマができて・・・フィルターをかけて女性を見るようになって、心をうまく晒せないような気がする。

いろいろ考えすぎるようになると人は純粋とは言わなくなくなるのだろう。かといって経験を重ねた人間に馬鹿になれ、考えるな!と言っても、なかなか難しいだろうし・・・自分は出来ない。

考えすぎずに、少しは衝動的行動が恋するには必要なんだろうな。
自然に、そんな風に振舞えたらいいな・・・なんて思うが、やはりなかなか難しい。
自分の未来が経験の積み重ねに制限されることは他にもあるんだろうな。考えても仕方ないな。もう他の事を考えよう・・・

June 16, 2010 22:17:03

勝敗

カテゴリー: 日記
スポーツの祭典“オリンピック”よりも、多くの人が観戦すると言われる“ワールドカップ”・・・スポーツの王様と言われるサッカーの試合がテレビで毎日放映されているから、サッカー好きでない私も最近観る機会がある。不思議に思うことに、接触プレーで後ろから突いたり、足を掛けて倒したりするラフプレーでのファウル・・・良く見ていると10回に1回くらいは、倒された方が接触していないのに地に伏して相手が悪いと審判にアピールしているように見える。自分のチームが敵陣近くで有利なフリーキックの権利を得るためだと動機は分かるが、何万人もの(テレビやネットで観る人のことを考えたら何億人)観客証人の面前で嘘(演技している)をついているわけで、選手も審判も観衆も、それを公然と容認している。その証拠に嘘の演技をした者が制裁を課されたところを見たことがない。かえって味方は嘘が通れば倒れ方が上手かったと小気味良く喜ぶ。スポーツがフェアプレー精神が基本だとするとサッカーはスポーツではない。サッカー好きの人たちはワールドカップがあるからオリンピック種目にサッカーが入る必要はないと言うが、私には入れない理由があるように思う。軽い意味でなんでもありのゲーム、ルールにない曖昧なところが沢山あるゲーム、演技力が勝敗を握るゲーム・・・サッカーはスポーツというより“ゲーム”と考えた方が正しいように思う。

私はサッカーをけなすつもりは全くない。ただ世の中の多くの人々はフェアプレーの精神よりも、求めているものは演技ありの勝敗であって、興奮できるゲームが好きで、興奮するためにフェアプレーは返って邪魔なんだと思う。今日は私の“サッカー感”を整理して明日からは、勝つためなら少しなんでもありのグリーン上で繰り広げられるサッカーゲームを楽しもうと思う。

(翌日確かめてみたら、あまりにもひどい芝居にはペナルティーがあるらしい。そりゃそうやろうな・・・)
June 15, 2010 21:13:57

睡魔

カテゴリー: 日記
ロケットは、第二次世界中のドイツでミサイル兵器として実用化され、その研究開発の実績を持つヴェルナール・フォン・ブラウンが戦後アメリカに移住し進化発展させる。同じようにドイツの技術がソ連に渡り米ソのロケット開発競争へと続いて行ったと聞く。世界のロケット開発・・・その起源はドイツと言って間違いない。唯一違う流れで開発を進めたのが日本の科学者糸川英夫であり、彼のチームはペンシル型ロケットという独自の推進姿勢制御の技術開発を進め大型ロケットの開発へと経験を積み重ねた。昨晩、我が国はサッカーの日本代表の戦いに一喜一憂していたが、もう一つ我が国の未来にとってとても重要な出来事が起こっていた。日本のロケット開発の祖・・・糸川博士の名前をとった小惑星“イトカワ”から帰還した惑星探査衛星ハヤブサ(糸川博士は日本の名戦闘機“隼”の開発にも関わっていた。)から放たれたカプセルが無事地球に帰って来た。想像力に富み、夢のある、日本人にしかできない発想が成し得たミッションの成功である。比較できないことかも知れないが私にとって、サッカーでの勝利よりも日本と言う国の勝利として誇らしく思えた。おそらく世界中・・・サッカー好きの科学者でも、そう賞賛したに違いない。

昨日は、日本に生まれて良かった・・・と思う一日であった。深夜までサッカー観戦して、今睡魔に襲われている私はそう思う。
June 14, 2010 21:45:59

結末

カテゴリー: 日記
今日も午前中、歴史研究家と打ち合わせをした。研究家がイギリスへ持っていく資料の最終校正をするためだ。前回の打ち合わせで修正ポイントが沢山あり、研究家が想定していた第一段階の校正(イギリスへ旅立つ前にコピー程度の製本)の予定から、第二段階の印刷用の校正に近づく大きな変更があった。この変更は私にとって予想外の展開で、前回の打ち合わせで一段落できると思ったが、研究家の意欲は思ったより奥深かった。より良いものを作りたいと思う気持ちがギアを一つ上げさせたようだ。彼の心意気に答えるのが私の役目・・・ここまで来たらとことん付き合うつもりだ。同じ結末をむかえるなら、相手を気持ちよくさせて終わりたい。少しでもくもりを残せば今までの努力が無駄になる。気持ちよく結末をむかえるためには、自分の努力を相手に充分知らしめること。引きどころを間違えたら今までの努力が水の泡となる。それが私の人生経験・・・
戦う・・引く・・どちらにせよ相手に自分を認めさせて終わりたい。

明日、午前中にもう一度研究家との打ち合わせがある。さて、次は何を言ってくるか・・・なんでも受けて立つ。彼に私を認めさせて終えるつもりだ。
June 13, 2010 19:22:24

服装

カテゴリー: 日記
先日のチャリティーパーティーのコンサート後の話であるが・・・、階を移してビュッフェ料理の食事タイムとなった。実は私は、非常にラフなスタイルで参加したのだが、ほとんどの男性がジャケットを着ており、女性はドレスアップしていたものだから、自分で自分のことを場違いに思えて居ずらかった。そのため少しだけ食事をとり、体調を気遣って早めに退散しようとした薔薇の先生と一緒に会場を後にした。食事会の後、準主役のカメラマンがプロジェクターで静止画を投影しながら、ある国(アフガニスタン)の平和な時代の様子を解説したらしいのだが・・・、酔っ払っていて、とんでもなくお粗末であったらしく・・・、おまけに写真集や生プリントの販売会(チャリティー)の際には酔いが回ってサインも満足にできなかったらしい。私は以前からそのカメラマンに好感が持てず、近寄りたくない人間として認知しており、その醜態を聞いて、やっぱりな・・・と思った。主役級の人間がその程度のレベルでは、どれだけ素晴らしいエンターテイメントを企画しようとチャリティーパーティーとしては三流に思う。もし大使が出席していたらどうするんつもりだったんだろう。場の分別もつかずに酒に溺れるカメラマンは、どれだけ会の発足に関わりがあろうと、次回には出席してほしくないと個人的に願う。

私は私で、次に参加する時には、服装を考えなければ・・・人のことは言ってられない・・・
June 12, 2010 21:50:22

片手

カテゴリー: 日記
昨日、昨年の暮に続き第二回目のある発展途上国支援のチャリテーィーパーティーがあった。相変わらず大使は来られず、代わりに送られてきた英語のメッセージが代読された。続いて、ピアニスト 智内 威雄 氏のミニコンサートがあった。 智内氏と言えばドイツ留学中に右手に筋ジストロフィーが発症し、ピアニストの道を諦めかけたが、左手だけで演奏する曲に巡り合い練習の結果、今では“左手のピアニスト”としてテレビでドキュメンタリー番組も作られるほど有名になった人である。チャリティーそのものについては、その会の開催の発端となる動機について裏の話を知っているので、あまり参加意識は持てなかったが、智内氏のコンサートは予想以上に素晴らしかった。彼は演奏の合間にこんなことを語った。「私の演奏では普通の人に比べ、音が五つ少ないというハンディキャップがあるが、逆に10本の指がある人より情感に勝る演奏ができる。」・・・と、正に彼はマイナスの自覚によって、マイナスをプラスに転化し、普通の人以上の演奏評価を世間から勝ち取ったと言えよう。この度のコンサートでは、チャリティーということもありアップライトでの演奏であったが、その音域の幅と抑揚は、確かにハンディキャップを感じさせず、あくまでも一人のピアニストとして賞賛できるものであった。自分が大切なものを無くした時、その悲しみ苦しみに押しつぶされてしまう人と、時間がかかっても乗り越えより強く生まれ変わる人がいる。私にとって4年前に病になった時が人生の岐路であったように思う。あの痛み苦しみを咀嚼できた私は、以後新しい人生を歩み始めた。

今苦しみ涙する君へ、その痛みが未来の糧になるように祈る・・・・。

June 11, 2010 14:49:22

直感

カテゴリー: 日記
“それは分かっている。”という返事は大変曲者であり、おそらくこの答えをもらった場合、そう言った本人は分かっていないと思ったほうが良い。“それは分かっている。”と返事する人の多くは、返事だけして次の一歩が出てこない。そんな人は何でも考える習慣がついていて、人の言うことをよく聞いたふりして、結局聞き過ぎる理由で自分の本心が見えなくなってしまうか、何も信じれなくて結局何も進まなくなる結末になる。自分自身に芯がないうちは他からの話は何も身につかない。それなのに“それは分かっている。”というものだから、分かっているつもりで進んでいくと、取り返しのつかない大きな壁にぶつかる。仕事において“それは分かっている。”と答える人とは距離をとった方が賢明だ。分かっている人は、分かっているとは言わずに、黙って実行し成果を出していくものだと思う。
“それは分かりません。”と間髪入れずに答えたり、ある種衝動的に自分の信じることに向かっていく人の方が、信頼できるように思う。

自分のことを“考えるタイプ”だとか、“人の話をよく聞く”なんて言う人には近寄らないほうが賢明だ。
考えたって答えは、見つからない。直感と信念を大切に人の話は適当に聞いて、人を説得して導いていける人間でありたい。
今日と同じようなことを、以前も書いたような気がするが・・・まぁー・・いいか・・・
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