私は月に一度、知人のヘアスタイリストがオーナーの美容院に行く。今日の午後もカットに行った。 この店はシャンプーがおそろしく丁寧で、途中気持ちよくていつも寝てしまう。今日も何度も自分の寝息(いびき)で目が覚めた。私のシャンプーはいつも決まった若い女性スタッフが担当する。シャンプーの後、オーナーにカットしてもらって、その後カットした髪の毛をもう一度洗い流してもらう…。 その時、彼女にこんな質問をしてみた。 “クリスマスプレゼントに現金を渡されたら、どう?”すると彼女は“いやーっ、私は、いやですね。それだったら、いっしょに買いに行ってもらいます。”もう一度尋ねた。“じゃー、いっしょに行って、そこで男が値切りはじめたらどうする。”すると彼女は“そっ、それは止めてほしいですね。悲しくなりますね!”と、言った。 私は、別れた妻に、はじめて贈ったプレゼントを気に入ってもらえず、以後彼女の希望でプレゼントはキャッシュに決めていた。私にはプレゼントに対するトラウマがある。いまだに女性の心がつかめない。 シャンプーしてくれている彼女に“いっしょにプレゼントを買いに行って、どれか決まったら、彼女を一人でカフェに行かせて、その間に値切ってもいいかな?” なんて質問をするのは止めることにした。いくらなんでも彼女の答えは想像がつく。 このように、私は今も、女心を少しづつ学んでいる。 |
自分のなかの他人より劣っている部分を、はやく把握し、足りていない部分をカバーする方法を見つけて手を打つことができれば、劣っていることが個性になっていく…と言う話を、私もいろいろな人にしたことがあったけれど、今年の春頃に偶然観たテレビ番組で、脳に極めて大きな障害のある女の子を持つアメリカで会社を経営する日本人のシングルマザーが、“周囲の人は、私を励まそうと思ってのことだろうけれど、私の子供にもなにか優れたところがあるに違いないと言うけれど、私の子供には他人より優れたところは一つもない。”と、話した映像が今でも私の頭から離れない。 世の中には、私の想像をはるかに超える貧困、暴力、無知、飢餓、悲しみ、痛み、障害があるのだろう。 それらのことを私は、まだ知らない。いや目を背けているのだ。 その世界に生きている人達に私は、どう声をかければいいのだろう。 答えが分からない。今は言葉がでてこない。 あの母親の言葉が私の胸に突き刺さっている年の瀬だ。 |
“ありがとう・すいません・おねがいします” 人とのコミュニケーショ、ンをとるために大切な言葉。 全く口に出せない人がいる。 口に出しても伝わってこない人がいる。 その人達は、心のなかで感謝している…心の底から申し訳なく思っている…と、口にするけれど… 本当に心から思えば、心に響く言葉になって体のなかから湧きだしてくると思うのだけれど、 伝わってこないということは、口先の言葉に違いない。 私は、体の内から湧き出してくる熱い言葉を吐いて生きていきたいと思う。 今朝、私の心に届かない“ありがとう”を聞いて、ふと、思った。 |
先日のコンサート“Mozart×Beethoven女にもてたのは、どっち?”の時のパネルディスカッションでパネラーの一人が男女の知性観について語った言葉が私の耳の奥に残っている。 “女性のなかには男性ホルモンがあり、男性のなかにも女性ホルモンがある。男女共に、うちに潜む女性ホルモンと男性ホルモンのバランスの違いで知性の滲み出し方が変わる。女性ホルモンだけが突出した女性は知性が欠けて見える。男性ホルモンだけが突出した男性も知性に欠けて見える。知性的な女性とは内に潜む男性的な面を匂わせながら、背景に女性らしさが見え隠れする人…、知性的な男性とは内に潜む女性的な面を匂わせながら、背景に男性らしさが見え隠れする人だ…。” 私は、納得したけれど…あなたはどうだろう? |
今日は、大病院での初診療の身内の付添で半日過ごした。私もその病院の診察券を持っており、半年に一度は定期検査で訪れる…親しみのある病院だ。 検査の結果、身内の腹部には腫瘍ができていることが判明し、年明けには幾つか考えられる切除方法を絞り込んで手術することになった。。 身内は、ショックを受けたようだ。私の若かった頃は、本人への告知は一般的ではなかった。私の父が二度目の癌手術をした時も私達家族は黙っていたしな…。 今では、病名を隠すと言う罪悪感から身内や担当医は逃れることができるようになったが、それにしてもあっさり告知するようになったものだ。一には癌=死という方程式が崩れてきたんだろう…医学の進歩なのだろうが、その進歩が高齢化社会を生んでいるに違いない。 自分の寿命を70才過ぎと踏まえている私は、75才以上は延命治療のないホスピスへ…なんて国があったら行ってもいいと思うなー。 身内を出汁に言うのもなんだが…なかなか、あっさりとは死ねん世の中になったものだ。 なんてことを言いつつ…母にはもう少し生きていてほしいと祈る。 |
私はピアノの調律を眺めていることが好きだ。私自身が弾けるわけではないが、奥行きの長いピアノと短いピアノでは低音の響きに大きな差がでる事や、常に和音で音を合わせるとか、鍵盤の動きをスムースにそして均等にしておかないと上手いピアニストの連打に鍵盤の動きが付いて行かないとか、また音色を変えるためにフェルトを削ったりする…いろいろなことを調律師から教わった。知識が増えた分…少し耳が肥えたかも知れない。 昨日のコンサートのピアニストは、予想通り素晴らしかった。リハーサルもたっぷりと時間をとっていたが、ピアニストは前日調律に少し気がかりなことがあったかも知れない。しかしその微妙な音色やタッチの違いの分かる聴衆はめったにいないだろう。ひょっとすると演奏家は昨日の客を見切っていたかも知れない。 昨日のコンサートは今回初めて開催されたモーツァルトクラブとベートベンクラブの合同イベントだった。其々の作曲家の代表曲を一曲づつピアニストによるデモ演奏を聴いた後、評論家や研究家達によって“Mozart×Beethoven女にもてたのは、どっち?”と言うテーマでパネルディスカッションが行われた。 世界では知られていないが自分の研究では…と、前置きして、同性愛であったとか、兄弟と関係があったとか、結構好き勝手に面白おかしく話が盛り上がり、会の最後に聴衆の拍手の大きさで、どちらが女にもてたかを決めた。 その結果を報告しておこうと思う。 軍配はモーツァルトにあがった。 だからと言ってどおってことないけれど、レベルの高い大人のお遊びを楽しく見させていただいた。 |
昨日は、仕事場の近くの神社の集会所で町の活性化について話し合う会議があり私も参加した。奇しくも市の都市計画課に在籍する私の姪も出席しており、珍しい名前の同性の参加者が二人という事で分からない他の参加者から私の妻にしては若すぎるし…どういう関係かと質問を受けた。 私の姪は、阪大工学部大学院卒で都市計画を学んだ才女である。私とは頭のできが違う。ゆくゆく助役くらいには昇進するのではなかろうか?彼女を見ていると、ひょっとすると私も頭が良いと思われた方もおられたに違いない。しかし残念だが誰もその逆は考えないだろう。 参加者のなかに、私が以前からお会いしたいと思っていた歴史研究家の方が出席されていた。いつか私の方からお訪ねして教えを請いたいと思っていたところ…、会議中に意見交換し閉会したのち、研究家からご挨拶に近づいてこられた。 その方は、オーストラリアの国立図書館に所蔵されている…日本に在住したオーストラリア人が1910年代から1970年代かけて日本に在住した欧米人の生活実態を丹念に記録した文献を完全日本語訳された方である。 私にとっては雲の上の研究家であるわけだが、この巡りあわせは、思い続ければ叶うということだろうか…。 私との名刺交換の後で、私の姪とも名刺交換されていた。そこでも姪との関係が話題になった。尊敬する大先生も私が頭が良いと勘違いされたに違いない。 まぁー悪い事ではあるまい。近いうちにまたお話しする機会があるだろう。その時に予想を裏切らないように…、賢い話をさせていただきたいものだ。 |
風邪もほぼ全快だ。昨晩3週間ぶりに水泳教室に行った。もちろんその間プールに入ることも一度もなく過ごしたから、バタ足も呼吸法もすっかり忘れていたらどうしよう…と言う不安も少しあったが、レッスンが始まると、そんな心配は無用だったと気が付いた。 むしろ続けて通っていた時より、何と言うか…感じがつかめている。いい感じなのだ。おそらくこの感覚は、先生も他の生徒も分からないと思うのだが、以前どれだけ頑張ってもできなかったことができかけていると感じたのだ。 近いうちに私のクロールは一皮むけそうである。年内にクロールをマスターするという目標だが、あと2回のレッスンで結果を出さなければならない。まさにタイムリミットまで残り僅かとなった。 昨晩は呼吸法のレッスンとして水中で鼻から息を吐き、空中に口が出きった時に“パッー!”と声を出せと言われた。そうしたら自然に必要量の空気を吸い込むことができると言うのだ。しかし周りを見渡しても誰も声をあげていない。私も最初は恥ずかしくて声が出なかったが、思い切って大きな声を出してみた。プール中に響き渡る“パッー!”である。 おそらく、自由に泳いでいる人達は(いや、レッスン中の他の生徒も)苦笑いしていただろう。おまけに他の生徒の指導に気を取られている先生までビクッとしている。 それが、また面白くて余計に“パッー!”を大きくした。羞恥心を忘れた私は呼吸法もほぼマスターできたように思う。 さて、“パッー!”と言うのを、いつ止めればいいだろう。 それとも私が、ずっと言い続けていたら、他の人もみんな叫ぶようになるだろうか? あちこちで“パッー!”“パッー!”と聞こえ出したら、きっとうるさいだろうな…。 照れとか、かっこ悪いとか、恥ずかしい…とかあるけれど、指導を受ける立場になれば、先ずは言われるままに素直に実行するのが得策かも知れない。 |
昨晩、偶然流れていたテレビ番組を観た。妻子に見守られての…心臓の大動脈弁の復旧手術と大動脈瑠切除と人口血管への付け替え手術のドキュメンタリーであった。 番組の途中手術の解説のため映し出されたホース状の人工血管は、おそらく私の体のなかに入っているダクロンと言うポリエステルの繊維とフィラメントと同じものだと思い当たった。ダクロンの耐久年数について主治医に問うたことがあった。ダクロンは人間の血管よりもずっと丈夫だから半永久的に取り換えることはないと説明を受けたが、私が半年ごとにレントゲンや造影剤を使ってのCT検査を行っているのはなんのためだろう?すでに術後7年が経過するが、まだまだ私自身が主治医の思惑で知り得ていない未来があるに違いない。 私と同じ病名で手術した患者が数年後…自分の血管と人口血管の接合部から血液が漏れ、その改善手術を、全国で複数の心臓血管外科の医師を集めた会場を結んで、モデルケースとしてライブオペを行うドキュメンタリー番組がテレビで放映され、その最中に患者が死んでしまうという結末をみた。 いずれにせよ解離がそのまま残っている私は、今でもやっかいな病気を抱えている。 私が救急車で運ばれたあの日…連れて行かれた病院で正しい病名の判定が行われず、私は、家人に心配をかけまいと当日の見舞いを控えるように指示した。そして痛みのために一睡もできない夜を一人個室で過ごしたことを思い出す。10日後退院日を予告された数時間後、大動脈解離と判定され緊急手術が必要だと説明を受けた。最初の病院の主治医が救急車に同乗して転院し、直後に新たな病院の執刀医に説明を受けたことには発症後6時間以内に手術が行われなければ死亡する確率が87.5%だったと説明を受けた。 私は生存確率12.5%を切り抜けて生きている。 誰にも看取られずに死んでいた可能性も限りなく高かったのだろう。 結局私の手術には、家人も立ち会った。昨晩の患者が妻子に見守られ手術を乗り越えた様子を観て、家人の支えの大切さを改めて思う。 私は、生死の瀬戸際をさまよった運の悪い人間だろうか?いや、死の瀬戸際から戻ってこれた幸運な人間だと思って、これからも生きていきたい。 |