空高くそびえる常緑樹、小さな湖にボート、車の行き来のない道路、小鳥のさえずり・・・そしてオゾンを含んだこのあたりの環境は私の生まれ故郷、イングランドのシレンセスター郊外のそれに似ている。 日本で外国人墓地と呼ばれるこの墓地は、実に見事に日本人の手によって区画管理されており、日本人の我ら西欧人に対する敬意がみてとれ心地良い。 神戸を訪れて2日目に戦前の欧米人の日本での貴重な生活実態を記録したオーストラリア人、H・S・ウィリアムス氏の墓参に行くという美紗子さんの車に同乗させてもらいこの地に立った。そして今、長い旅の末極東の地にたどり着き故郷に帰ることなくこの地に眠る今は語ることのない先人の日本への思いをより自分のものにしたいと言う思いがこみ上げてくる。大きくオゾンを吸い込んだ・・・この爽やかな青空はきっと50年前も、100年前も、もっとそれ以上前に繋がり、木立を抜ける風は昔から同じように吹いていたのだろう。私の祖先の足跡を辿る旅の最初に彼らの終焉の地を訪ねたことは、今は亡き人々の思いに近づくうえで印象的な出来事であった。 日本でのこれからの私の動向も美紗子さんの力を借りることになるだろう。駐車場に一足先に向かった彼女の黒髪を遠目にみながら、彼女に出会えたことに改めて感謝した。 真っ赤な車が目の前に止まった。サングラスを手に持った彼女が手招きをした。私は、助手席に座った。彼女の運転で次の目的地に向かい紅葉の始まりかけた山の道へ車は滑り出した。 |
昨日は、“オーガニックライフのすすめ&「りんごの生き方」”というテーマで、映画「降りてゆく生き方」のプロデューサー森田さんの話を聞く場に参加した。主に奇跡のりんごの木村秋則さんの話が中心だった。私は木村さんを知らなかったが、茂木健一郎がNHKの“プロフェッショナル”の司会進行を任されていたころ紹介されたこともある・・・世界で初めて無農薬でりんご栽培に成功した人らしい。木村さんの作ったりんごは、腐らないと言う。木村さんのりんごを食べずに置いておくと腐らずドライフルーツになるという。 農薬を使用して摘み取られた物は、実はそれが不自然な物であって、自然のままに恵みをえたものは、本来それが正しいものだと言った。 腐るということは変色し腐敗臭を漂わせ液体化していくことだと彼は言った。腐敗するということは、ゼロにもどってやりなおすこと・・・正しい手順で出来上がった物は腐らない・・・。 人間も同じことだと言った。 すべての人は不完全で・・・それぞれの心に深い傷を持っていて・・・やり直すために死んでいく運命をもっているのだろう。 さて、もう少し生きたら、私もやり直さなければ・・・ |
小学生の頃、私は喘息に苦しむ少年だった。見かねた祖母が、ある時私を山のなかを走る電車に乗せて、祈とう師のところに連れて行った。二人が話をしている間、退屈だった私は外へ出て一人あぜ道を歩いていた。すると20mほど先の土の道の真ん中に白い塊を見つけた。10mの距離になって、その塊が白蛇であることが分かった。白蛇はとぐろを巻き、鎌首をもたげて私を見つめていた。あれは生物だった。誰かがいたずらで置いた人工的な物ではなく確かに生きた動物の動きをしていた。怖くなった私は走って祖母のもとへ駆け込んだ。 昨日、降り始めた雨のなかを、例によって車で山の中を抜けて帰宅の途についた。途中、道路を横切ろうとしていた小さな猪が慌てて山の中へ逃げ込んだ。それからしばらく行くと山の頂上付近の直線道路の真ん中に白い動物らしき影をみつけた。接近するとそれが大きな白い犬であることが分かった。さらにスピードを落とし近づいた。白い犬は私の目を見つめ動かなかった。私はさらにスピードを落とし、迂回し通り過ぎた。フロントミラーに白い犬が道の真ん中で頭だけ振り返り私を見ている姿が写っていた。 なにかのお告げだとは、思わない。動物の姿を借りた神さまだったとも思わない。 だがしかし、喘息は克服したし・・・ 悪いことのおこる予兆だとは思わない。良いことがおこる予感がする。 |
日本人は、世界で一番お墓参りをする国民だ・・・と聞いた。ほとんどの国では、墓を定例に参る習慣などないらしい。私は、長らく墓参りをしていない。別に欧米的感覚だと言うわけではない。9年前に他界した父が生前に寺の住職と大喧嘩して、そのとばっちりが今でも住職から飛んでくるので煩わしくなった・・・と言うのが本当のところ(お坊さんと喧嘩なんかするもんじゃないよなぁー)。先祖への感謝は毎朝かかさず、心のなかで思っています。 阪神大震災のあった1月のある日、先祖の墓に参って驚いた。墓石が倒れ、その下の穴から遺骨が見えていた。その時から自分が死んだら、墓や仏壇になんかに絶対入りたくないと思うようになった。あんな狭い、暗い、寂しい場所にじっとしてるなんて考えただけでぞっとする。 それ以来、死んだら散骨してほしい・・・と希望している。そして一部の骨を砕いて陶器(ボーンチャイナ)の壷にしてほしい・・・と願っている。実用で使用するかどうかは別にして、私がこの世で生きた証としては、ずっと気が利いていると思うがな・・・。 そして、もう一つ私がこの世に生きた証として、絵本や写真集や小説や映画という形にして残したいとも思っている。 絵本(画文集)は27才の時に出版した。写真集は37才で出版した。次は小説… |
家で酒を飲まなくなって50日あまり経過した。昨晩は、久しぶりに街に繰り出した。野菜をふんだんに使用したメニューで有名なカェレストランにしけこみ、二人でいつものようにワインのフルボトル2本を飲みほした。そのあとシャンパンバーとショットバーと、止めのビールを飲みにパブ・・・を梯子した。私もその人もバブル時代を彷彿させる飲みっぷり。同じペースで飲み続けられるこの人は私にとって貴重な存在だ。どこからみても二人とも大酒飲み。ひょっとするとその人は私より強いかもしれない。私たちはレストランに行ってもコースをオーダーしない。その理由は二人ともデザートを食べたいと思わないし、前菜だけで十分満足できて、パスタやメイン料理は別に食べなくてもかまわない。ともかく酒を飲み続けていたいわけだ。知ったレストランでは、ボトルを一本頼んで、もう一本は持込させてもらうこともある。 おいしいお酒を腹いっぱい飲むために晩酌をやめたというのが本音かもしれない。 それこそ毎日切らさず飲み続けたら、きっと体の内に傷をかかえる私は死んでしまうに違いない。今朝いつものように体重計に乗ってみた。昨日よりも減っていた。さすがに野菜メニュー?血圧は少し高め・・・心拍数も早め・・・今日はいつもより無理せず仕事をこなしている。私にはこの体調管理ができるから、もう少し長生きできそう??? それにしても、節制・・・継続・・・があるあるからこそ、おいしい酒が飲め、会話が弾む。我ながら、この精神力を誉めてやりたい。と・・・言っても、一般的には、たまに飲む酒をもう少し控えろよ!という話になるんだろうなぁ・・・ |
『雪のひとひらの重さ』 真冬のある日、丘の斜面に雪が降っていました。 小さなネズミが長い冬眠の合い間に、巣穴からチョロチョロと出てきました。小ネズミは眠そうにまわりを見まわし、頬ひげをブルッとふるわせて、もう一度、穴の中にもどって寝ようとしたのですが、真っ白な冬景色のどこかから小さな声が呼びかけたのです。 「こんにちは、ネズミさん!眠れないの?」 小ネズミの頭のすぐ上のはだかの小枝に一羽の小鳥が寒そうにふるえていました。 「やあ、ミソサザイさんか!」と小ネズミは話し相手ができたと、うれしそうに答えました。あたりの寒々とした風景にゆううつになっていたのです。「ちょっと息抜きに出てきたのさ。もどって、これから冬中、一眠りするつもりだよ。」 話し相手がいるのはいいものです。小ネズミとミソサザイはマツの木の低い枝の下にうずくまって、おしゃべりを楽しむことにしました。 「ねえ、雪のひとひらって、どのくらいの重さだろう?」とだしぬけに小ネズミが聞きました。 「雪のひとひらなんて、重さがあってないようなものだと思うわ」とミソサザイは答えました。「ほとんど意味がないんですもの。重さだってほとんどありゃしないのよ。第一、雪のひとひらなんて、重さをはかろうにも、はかれやしないわ。そうでしょ?」 「それはちがうよ」と小ネズミは言いました。「去年の冬の、ちょうど今ごろのことだった。ぼくは冬眠の途中でめをさまして、新鮮な空気をちょっと吸おうと穴からでてきたんだ。仲間もいないし、ほかにすることもなかったから、ぼくはここにすわって、落ちてくる雪びらを数えはじめた。雪びらはこの木の枝に乗っかって真っ白な毛布で松葉をおおっていた。二百四十九万二千まで数えたときだった。その次のひとひらが枝の上にのった。そうしたらどうだろう?枝が地面にグッと垂れ下がって、上に積もっていた雪もいっしょに滑り落ちたんだよ。だから雪のひとひらの重さだって、ばかにできないじゃないかい?まったく意味がないわけじゃないのさ。」 ミソサザイ自身、ごく小さな鳥で、こんなちっぽけな自分がまわりのひろい世界に影響をおよぼすなんて、考えたこともありませんでしたから、小ネズミの言葉におどろいて、長いこと考え込みました。「もしかしたら」とミソサザイは胸のうちでつぶやきました。「あたしの小さな歌声にも意味があるのかもしれないわ。そのために何かが変わることだって、ないとは言えないんじゃないかしら。」 (出典不詳) 《世界中から集めた深い知恵の話100(女子パウロ会)より》 今宵・・・やすらかにおやすみください。 |
一月ほど前…芸術文化センターでのリサイタルに向けてのリハーサルの際にギターの先生の演奏風景を撮影した。その時の写真を先生がいたく気に入ったものだから、翌日リサイタルのプログラムのデザインを依頼された。それも気に入っていただいたようで…、とうとう録音も私の知人の録音技師を紹介することになった。先生は私の感覚・感性・交友関係まで信用なさったようだ。昨日私の管理下にあるホールで録音が行われた。私は先生と録音技師のやりとりを一部始終見ていた。先生は、はじめて会う録音技師の能力を量って少し距離をとりながら接しはじめた。弾き始めの先生は、いつもと違う雰囲気のなか、少し緊張しているせいか、思うように音が出ていない。演奏場所を変えたり技師に細かな注文を浴びせた。技師はマイクの位置、角度を触り、本数を調整し、ギタリストの希望する音の録音体制を整えていく。3曲目くらいから音が滑らかに前へ出るようになり、技師に対する注文は消え、奏者は演奏のみに集中し、以後の録音はテイク数も少なくあっという間に終了した。仕事を終えた二人はやり遂げた充実感を共有していた。プロ同士が短時間で信頼関係を築いていく様子をまじかで客観的に観察でき、考えるところの多い昼下がりのひとときであった。私にとってギター演奏を聴くことよりも、信頼関係の構築のほうが気になるようだ。 どうも私にはギターのプロにはなる資質はなさそうだ。 私が初めての結婚をした時、今から考えれば、世間知らずのまだ子供で、教科書のなかの結婚概念しかなかったように思う。人生のアマチュア同士が結婚という人生ゲームで遊んでいた…って感じ。 伴侶への心からの思いやりを持ったプロの男として、信頼関係を築きあげた結婚という時間を、まだ巡り会えない女性とともに過ごしてみたい…と、最近切に思う。 |
先週の火曜日に1年に一度の造影剤投与のCT検査、血液検査(前立腺検査も含む)、血圧脈波検査を行い、今朝その結果を聞きに5年前の執刀医に会いに行った。私の身体に異常がなければ先生が病院を退職するまで、もしくは私が死ぬまで、この命の恩人とは半年毎に会い続けるご縁をつないだ。もし、異常が見つかれば、同じ先生の手に私の命を委ねたいと思っている。さて、検査の結果はと言うと、すべて異常なし・・・ただし厳密に言うと私の下降大動脈は5年前にすでに拡張しており、今も健常者の数倍の太さをもっている。ここでの異常なし・・・とは、前回の検査と比べて肥大していない・・・という意味であって、ひらたく言えば異常はあるが、今は大丈夫ということである。そう、私の体は傷物である。そう思うことは、普段の私が節制する・・・、欲望を抑える・・・、無理しない・・・、ストレスを貯めない・・・等のためには、とても良いことだと思う。それらが鬱積すれば、肉体的な支障があって当たり前の体なのだから・・・。どなたか分からない方に、どうしてここまで私の欠陥を話しているのだろう。 自身の弱いところ、悪いところ、隠したいところを晒すということは、猫で言えば飼い主に腹を見せるようなもの・・・さて、今、わたしはどんな人に腹をさらしているのか?麗しき乙女か・・・妖艶な熟女か・・・はたまた男性か・・・(男性だったら書くのは止めようかな・・・) |
目の前にいる人の気持ちを変えようと思った。その人の本来進むべき道に戻してあげたいと思った。彼女の支えになりたいと思った。私が一番良き理解者だと思った。自分がその人に振り回されていると・・・思った。 しかし、私は私が中心の人生を生き・・・彼女は彼女が中心の人生を生きている。中心が違っていた。私が人生で気づくべきことと、彼女のそれとは似ているけれど違っていた。 以前にも、同じ切ない思いをした。二度と繰り返すことのないよう・・・そんな出会いを避け続けた。しかし、数十年後に似た人に出会ってしまった。 私が出会いを避けることが、この人生で学ぶべきことではなく、そんな出会いが巡ってきた時に、以前には手を伸ばさなかった結論を選択することが大切な学びではなかったのか・・・ 逃げてはいけない・・・と思った。逃げれば、年老い、疲れ、いつか追いつかれる。まだ、体力と知力の残る間に、私も彼女も立ち向かわなければならない・・・と思った。 人は、自分の意思で自分の世界を変えられる。自分以外に自分を変えられる存在はない。 そう考えた私のなかに、彼女をそっと見守ろうという気持ちが芽生えた。 彼女の心の内を変えることが、私の役目ではないと気がついた。 立ち向かって、次の人生を歩んでほしいと願いながら・・・目を閉じた。 |
今朝体重計に乗ってみたら、仔羊を食べたせいか(前後4食外食が続いた)1kg増加していた。今日の昼も外食・・・。普段の私の食生活から考えると、暴食が続いている。(外食といっても、そばだけのこともあったけれど・・・)私は、毎日、血圧降下剤とワーファリンを服用しているが、ご存知かと思うが、体重が増加すると薬の効き目が低下すると言うので、薬の増量を強いられる。今でも朝晩併せて11錠・健康食品3錠を服用している。もうこれが限界だと言うのに花粉症時期になるとまだ数錠増加する。薬の量を減らせるように、食事にも気をつけているし、カイロプラクティック等も試してみたが、まだこれという成果が得られない。だから、一昨日の“根昆布”の話は、非常に興味深かったわけで・・・、女医さんのことが気になっていたのに、謎のおじさんの話に聞き入った・・・というわけだ。二兎追いかけて一兎を逃したというところだろうか・・・まぁ、女医さんには、今日電話して、また会うことになったけれど・・・ 私は、5年前に突発的な病気で死にかけた。生存率12.5%という狭き門をくぐり抜けて、今がある。体内には心臓の近くの動脈に人工血管が装着されている。そしていまだに開胸時の胸の傷が生々しく残る。要するに傷物の身体ということだ。ストレスを貯めずに生きていかななければならなくなったわけで・・・それまでとは変わって結構のんびりと生きている。最近、こんな私の人生、結構長い道のりかもしれない・・・と思えるほど体調が良い。くれぐれも調子に乗り過ぎず、また高揚しすぎない人生を歩んでいきたい。 |