先日、テレビの“たけし”の番組でボケ防止のための七つのポイントというテーマの番組があったらしい。今日、知人からその内容を教えてもらった。 1) 散歩する 2) 文章を声を出して読む 3) 料理を作る 4) 社会と交わる 5) 出かけるときに電車・バスを利用する 6) 日記をつける 7) 恋心を持つ との事であった。いわゆる“ボケなく”生きるためには、適当な刺激が必要だということだろう。 自分に当てはめてみると、5番以外はすべて実行できている。まだボケの心配をする年ではなかろうが、これらを実行していれば少しは明るい老後が過ごせるだろうか・・・ たまには、電車に乗るようにしよう・・・ |
予想通りの朝がきた。 肩から首にかけての筋肉のはり、首の前の胸鎖乳突筋?の痛み・・・こけ方の悪さからかなり体に負担をかけたようだ。出かける前に「骨折らんように!」と多くの人に言われたが、骨が無事なだけ良かったと思うべきなのか・・・昨日周りを見渡しても私の年齢に近い人はスキーを履いていてスノーボードをやってる人はいなかった。この年で新しいことをやるのは無謀であったと一瞬思ったが、すぐに悔しさが勝ってきて再チャレンジしたい気持ちが湧いた。 昨日言ったように先ず立ち上がるために股関節がもう少し開くように訓練し、さらに前屈と胸への足の引きつけが難なくできるようになりたい。先ずはそれからやね・・・ 夕方、整骨鍼灸に行ったが、筋肉が熱を持っていて、今は触れないと言われアイスバッグで冷やすだけの処置だった。症状は重症か・・・ 少し休憩するが、次のシーズンには必ず滑れるようになるぞ・・・と心に誓う。 当たり前の話だが、メダルを取れなくても、オリンピックに出場していることだけで凄いことだとリアルタイムで思った。 |
現在体中が痛く、気力も少し低下気味。自分の年齢を思い知らされた。夢を実現させることは素晴らしいことだと自分でも思うけど、体が硬くてやり終えた充実感を得るどころではなかった。毎朝ストレッチと柔軟体操を行っているが全く効果がなかったのだ。明日から運動方法の見直しを始めようと思う。体の柔軟性を高めて来年再度チャレンジしたい。 ともかくボードを履いたら、体が硬くて立ち上がれないのだから、こんなに不細工で情けないことはない。 “スノーボードをする”という今年の夢の一つは、このような問題点を残し達成された。今年の末にまた雪が降るまで・・・次の目標“クラッシクのフルオーケストラを聴く”を目指そうと思う。 あつ そうそう・・・必死で立ち上がった後は、少しは滑れたことも申し添えておこう。吹雪の雪原のなかで達成した“夢”の報告である。 明日の朝が恐ろしい。 |
私は この世界のなかで、とてもちっぽけな存在です 私の周りには私と同じような小さな存在がいっぱいあって その幾つかが集まって、少し大きな存在になって その存在が、集まってまた少し大きな存在になって それを繰り返し、繰り返し・・・ どこまでも、どこまでも大きくなって・・・ 最後に“この世界”になるのです 私は 一つの細胞です 私は 吸盤の一つの細胞です 私は 海に住む動物の足の細胞です 私は 足が8本ある・・・ 大きな頭のようなお腹を持った蛸の足の細胞です 私は 蛸の全てではありませんが 私は 蛸の一部です 私は 小さな生き物です 私の周りには、 もっと弱くて小さな生き物や もっと大きく・・・ 賢くてずるい生き物もいます 私は そんな生き物たちと この世界で暮らしています 私は この世界のなかの、本当に小さな生き物です しかし 私は この世界の一部です 私は 蛸の足の一部です 私は 小さな存在です 私は 大きな神ではないけれど しかし 私は 大きな神の一部です |
朝の7時半に仕事場に着く日が数日続いている。いつもより早く5時過ぎに起きて散歩に出るのだが、表はまだ街灯の光が届かぬ所は真っ暗で、鳥の囀りが始まるにはいましばらく早く静寂の世界が広がっている。寒さで首を竦め足元を確かめながら歩を進める。 日課の“感謝”をする。今までに出会った人達を思い出す。そして頭に浮かんだことを心に刻む・・・ 風のない朝は埃が道に沈み、常緑樹が吐く新鮮な空気が満ちている。宇宙の始まりもこんな感じかなと・・・ふと思う。そのとき私は宣言する。私は“・・・・・”である・・・と この世界の創造主と最も近くにあるとき、私は宣言する。 今の季節・・・明け方5時過ぎが、とてもとても神聖な時間に思える。 この時間を心に刻むために、夜は早く眠らなければ・・・ |
今日、心筋梗塞で入院していた年上の友人が退院し、迎えに行った。退院したと言っても完治ではない。最初のカテーテル手術の後、予定された退院日の朝に胸の痛みを覚え延期となり、結局3週間の入院のうち4回のカテーテル手術をおこなった。しかしまだ不明の病巣があると予想され、しばらくは病状の急変はなく続けての手術に負担があると判断され、家での安静を守ることを条件に来月10日の再入院までの間帰ることが許されたわけだ。面会謝絶のために久しぶりで会う彼は、入院前より顔の血色が良くなっており、目力もあった。病室での睡眠と管理された食事が良かったのだろう・・・それまでの睡眠不足と偏った食生活がいかに体を酷使していたかが伺い知れる。ともかく、良かった・・・ 昨日、彼の仕事のパートナーである声楽家の女性から電話があり、全く自分に連絡してこないと愚痴を聞かされた。今日の退院のことも全く知らないらしく・・・今朝もまた電話があり「ねえーどう思う。電話しても返事は返ってこないし、どうして私に連絡ないんでしょうか。昨日の夜も腹が立って眠れなかったの。」と聞かされた。私は「連絡できない理由があるんだろうし、病人に腹立てても仕方ないでしょ。元気になってから少し怒ればいいじゃないですか。イライラしても自分にストレス溜まって体に悪いだけですよ。」と言った。 心配し過ぎて、相手が恨めしく思えることがあるんだと思った。 最近、私にはそのような感覚がない。相手に対して必要以上に期待をしないし、期待を裏切られる事も想定内であるし・・・終始自分のペースを守れている。 経験で身につけた、自分にストレスをかけないテクニックだ。 それが相手に対してもストレスをかけないことになるのだろう・・・と思う。 |
“隙に入り込む”・・・と、“懐に入れる”・・・は、どちらも内に入れることに違いないが、“隙に入り込む”の場合、入るほうも入られるほうも、どちらも無意識のうちに、いつのまにかその関係になってしまっていることがあり・・・その場合は厄介だ。お互い気がつかないうちに精神的にも物質的にも消耗して、場合によっては共倒れすることもある。この隙は同じ弱点を持つ人同士の間で生まれやすい。 入られるのは自分であるから、自分が隙を作らないように心がけなければならないわけだが、なにせ自分の隙は、自分には自覚が薄いから“隙”であるわけで・・・分かっている人には隙ではない。だから、はっきりとは掴めないが隙が自分にあると自覚している人には信頼できる第三者が必要で、判断を下す前に客観的な指摘を受ける必要があると思う。 “懐に入れる”は、相手の力量が全て分かっていて、内に入れて遊ばせる・・・ということだが、この場合の関係は、互いの力量の差が余程開いてないと成立しない。 私はそこまでの力量がないと自覚している。だから、なかなか“懐に入れる”関係を持つことがない。 そこで、相手が悪人ではないということを前提に、自分が相手より劣っているということを自ら媚びてみるのも良いのではないか・・・と考える。隙というものが力量の僅差のなかで生まれるのなら、相手より自分が劣っていると宣言してしまうことで差を作り出すと言う・・・こんな方法もありかも知れない。適当な第三者が近くに見あたらない場合は、この手もあると思う。 自分の弱さを晒すことには少し勇気がいるけれど・・・ |
「死んだら、灰を海に撒いてな。」と息子に言った。「えっ・・・」と息子は答える。 「お父さんが死んだら、灰を海に撒いてな。」と・・・繰り返す。「えっ・・・」と息子は答える。 「骨付きの肉撒いたら、問題やろ。山に骨撒いて犬が掘り返したら事件になるやろ。」 息子は言った。「あぁ、その灰か・・・。」 「肺・・・撒くなよ!」と唖然とした。そんな私の息子である。 最近、死んだ後の事を考えることがある。ドナー登録して・・・検体に使ってもらって・・・灰は海に撒いてもらって・・・どうも骨壷のような小さくて暗いところに私の体の一部を閉じ込めることに抵抗を感じる。私の体が、死んでから誰かの役に立てばと思う。その代わり、私の生きていた証を、作品を作ることで残したいと思う。 次回5月の定期検診の時に、主治医に相談してみよう。 |
辛いことがことが起った時、また続いてた辛いことが起こりそうな気がするって気持ちは私にも分かるけれど・・・もし、この世界が自分が中心で、深層心理のなかで思ったことが、多少変化しながら実現化していくと考えれば、『起こりそうな予感』は、また辛い思いを経験したいと宇宙に宣言しているような気がして、私には危険なことのように思う。だから、まだまだ未熟な私は、悪い予感は意識して打ち消すようにしている。 だがしかし、それでも打ち消しきれない予感もあり・・・ 自分の生きている理由が新しい経験をするために経験をすることだと思うと・・・ 経験と経験の間には、次の経験に備える時間が少しほしいと思う。 私は、まだ自分が世界の中心であると言う自覚が本物ではなく・・・。 だがしかし、心の底からそう思えて、自分の思うとおりに世界が動きはじめたら・・・ひょっとすると『面白くない人生』かも知れない。 『思い通りの人生』と『面白い人生』とを、どっちを選ぶかと問われれば『面白い人生』を選びたい。 だから、経験するすべてのことが、面白いと思えたらいいのに・・・と思う。 |
今日は、年上の友人の葬儀があった。昨年暮れからの病状の一進一退を繰り返しながら・・・よく頑張った。奥さんと笑顔で会話した。主治医からの“家族召集の指示”を何度も受け、夫の死は覚悟済みだったのだろう。そんな奥さんに私は明るく振舞った。彼女には、その方が良いと思った。 いつもの葬儀よりも悲しかった。 私と20歳違いの享年75の友人には、やはり来賓は少なかった。 仕事の上では私が上司であったが、今は友人だと思っている。いろんな話を聞いてくれた。いろんな話を教えてくれた。いつも互いの気持ちを推し量ることができた。 感謝の気持ちが湧き上がった。 心のなかで“ありがとう”“ありがとう”“ありがとう”“ありがとう”と・・・何度も繰り返した。 “ありがとう”“ありがとう”・・・以外の言葉は、頭に浮かばなかった。 友よ安らかに眠りたまえ・・・ |