勉強のできる人のことを、人は「頭の良い・・・賢い人」と言い褒める。人間離れしたおそろしく頭の良い人のことを、人は「天才、神童」と言い、やはり褒め敬う。勉強ができる人のことを、人はあまり悪く言わない。勉強のできない人のことを、どれだけ愛に満ちていようとも、人はあまり良く言わない。この世界は、学校の勉強が多少できれば、有利に生きて行けるようにできている。理解力が劣っていて一般の子供たちに勉強がついていけない人たちのことを、発達障害者と呼ぶことがある。そう呼ばれる人たちのなかには芸術の分野やや記憶力ですぐれた才能をもつ人もいる。 一般に頭が良い人たちが、大企業に固まって働いているが、発達障害という言い方が差別用語でないと考えたら、彼らは一般人より頭が良すぎるという発達障害者ではないだろうか・・・と私は考える。 生きているということは、何か足らないものを持っていると言うこと・・・。人は完全ではない。不完全だからこそ人であり、経験という旅ができる。足らないところの多い私は・・・そう考える。 私は、恋愛の発達障害のような気がする。若いときの経験が不足している。それは決して嘆くべきことではなく、どうしようもないことでもない。私は、発達障害であるが、まだまだ自らの経験を重ねながら改善の余地がある。と理解、分析する。 |