人の話を、普通の人はどのように聞いているのだろうか?一字一句発せられた言葉の意味を理解し、表情や仕草から裏に隠された本心を見抜こうとし、その人がなにをいいたいか完璧に理解できる人なんてめったにいない。 先日会議に出ていて、ある人の発表で聞いたことがない頭文字のローマ字があって、意味不明だったものだから、会議のあとで出席者10名ほどに尋ねてみた。そうしたら誰からも答えが返らなかった。その場で自分が分かっていないということを知られるのが恥ずかしいという気持ちもあるだろうが、分かっていなくても、私も含めそういう場で質問せずにやり過ごす人が大半に違いない。 サバーンのように経験した全てを記憶できる人なんて極稀にしかいないから、一言二言…言葉の意味が分からなくても、ほとんどの人はなんとなく感じとって都合よく理解するのだろう。 考えてみたら、芸術の評価と同じだと思った。同じ作品を見ても気に入る人、全く興味のない人それぞれだ。私は細かいところを観察しすぎないで、理解しようとする前にたっぷり、ぼんやり…と眺めていられる人になりたいな…。そのほうが全体のバランスや本質がわかるような気がする。 |
息子の車に乗せてもらって、移動中…車内に私の好きな曲がかかっていた。ビル・エバンスのアルバム‘Waltz for Debby’である。思わず音源がラジオかどうか確かめた。それはハードディスクに録音されたものだった。 十代の頃、私はブルーノートのレコードを集めていて、この手の音源は大好きなジャンルだった。しかし、そのことを、いままで息子に話したことは無かった。 私が若かりし頃に聴いていたアルバムを、今息子が聴いているとは、なんという不思議…。 彼に私の集めたレコードを渡す日がくると確信した。 年末ジャンボ?の販売最終日…いつものように半年前に買った…まだ番号を確かめていない宝くじをもって売場に行った。10枚で3,300円返ってきた。そこで私は新たに20枚買って帰った。 結局徳した感はない。宝くじは儲からないようにできている。夢を買うものだと納得する。 |
今朝早くから、まち造りコンサルタントから電話が入った。今晩行われる会議での私の発表内容を変更したほうが良いとの提案だった。それを受け会議の長である町のゴッドマザーに電話すると、本日の議題が多種多様で、しかもメンバーのなかに感情的になっている人がいて、時間がかかりそうだから、発表を早く切り上げてほしいと告げられた。 せっかく今日から事業のスタートだと思っていたのだが、かなり縮小気味の船出になりそうだ。 その後…ゴッドマザーは、話をややこしく言いふらしている会議のメンバーの愚痴を私にぶちまけた。冷静な彼女にしては珍しいことだ。よほど腹が立っているに違いない。 私は返す言葉が見つからず、‘私には何も言えませんが、今晩の会議ではいつものように冷静に対応してください。’とだけ言っておいた。 心の中では、自分の発表時間が短くなったことと、携帯で話をしている時間が長くなっていくことの方が気がかりだった。 |
一昨日、息子と久しぶりに会って話をしていたら、一本の電話がかかってきた。ディスプレーを見ると、15年前にお世話になった超能力者からであった。当時息子が小学生だったと思う。家族3人で月に一度はご自宅を訪ねた。 超能力者と言っても予言やらスプーン曲げができる訳ではない。一度も入ったことのない私たちの住まいの間取りを透視したり、突然聞こえてきた得体の知れない鈴の音を電話の向こうから止めてみたり…そのくらいの力は見せてもらった。しかし、それが私たちにとってどれだけの助けであったかは分からない。それよりも最初に話を聞いてもらったあとに、背中にまわって両手をかざし、パワーを入れてくれて‘だいじょうぶや!’と言ってくれることが、有難かった。 その後、超能力者との交流は途絶え10年のブランクがあった。その間一度も訪ねることも話をすることもなかった。3年ほど前にどうしても当時の御礼が言いたくて久しぶりにご自宅を訪ね、それ以来盆暮れにはささやかな品を贈り続けている。 このたび贈った歳暮の御礼の電話がかかってきた時に、そばにいた息子に電話を渡し、話をさせた。息子は、最初びっくりしたが、そのうちに‘あーのおじちゃん’を思い出して懐かしそうに話を続けた。 一度…お世話になった方、助けてもらった方への、父の感謝とお礼の気持ちが息子に伝われば嬉しく思う。 |
昨晩、私が子供の頃からお世話になっている老婆を車に乗せて動物病院に行った。彼女の犬(トイプードル)が足を引きずるようになり診てもらいに行ったのだ。思っていた病院ではなく診察室が並びカットやリハビリ施設もある…人間で言うところの総合病院風であった。人間並みの対応である。 レントゲンを見せてもらうと背骨の圧迫骨折で明らかに骨がへしゃげていた。 実は…飼い主の老婆も4年ほど前に、やはり同じ圧迫骨折で手術をした。まったく同じ症状である。 飼い主とその犬が良く似ると言うが、病気まで同じという話はあまり聞いたことがない。 私は、彼女もその犬もどちらも腰のレントゲンを見たけれど、S字に曲がった彼女のほうがやっかいに思えた。 さて人間でも年老いた病人どうしが、いたわり合うことはお互いの負担になると言うけれど、この関係ではどうだろう? 身よりのない老婆の境遇を考えると、どちらか一方が死を迎えると残ったものも影響を受けるような気がする。 どちらも、長生きしてほしいと思った。私の出来ることは手を貸そうと思った。 |
予定通りスマートフォンを止めてガラ系の携帯電話にもどした。ガラ系を2年間使っていなかったら、すっかり使い方を忘れてしまっていた。 足にピタッと合って、よく履いていた靴の紐が切れ、半年ほどほっておいた。昨日靴ひもを買ってきて結び直し、久しぶりに足を入れてみると、妙な違和感があった。 長い時間をかけて身に付いたものも、一瞬にして忘れてしまうのだ。 でも、少し前から、なんとなく…ガラ系電話の使い方が蘇ってきた。靴もそのうちまたフィットしてくるのだろう。身に付いたものは、そんな簡単に離れはしないと思うのだが…。 さて、アイパッドミニなるものを手に入れたが、いまだ使いこなせない。 昔に戻ったり、新しいものにチャレンジしたり…、企業の策略に翻弄されている自分の姿を思い浮かべて、妙に笑えてくる。 |
今日は父の13回忌の法要があり寺に行った。葬儀以来会う事のなかった方々とも久しぶりにお話しさせていただいた。 最近…昔のことを知る人とよく話をする。 二日前にも、8年前に私の会社の経営が傾いた時に手を差し伸べてくれた金融関係の担当者が突然訪ねて来た。今は転職して建築機材のリースの仕事をしているらしい。近くに来たので私の顔を見て帰ろうと立ち寄ってくれたようだ。 彼がしみじみ語った。 “あなたは運がいい。あの時から2年も経たないうちに同じ案件では融資ができなくなったし、当時あなたの周囲にはあなたを助けようと優秀な人達が集まっていました。それにあなたの決断も早かった。欲を出して決めかねて全てを失った人は多かったですから…。” “父が“苦しかった時のことを忘れるな!いつも周りの人に助けて頂いているという事を忘れるな!”と、叱咤激励してくれているように感じながら、法事の後の挨拶をした。 |
マダムの出版記念食事会には、挿絵を描いた画家の女性も来ていた。その彼女は現在陶器店の販売責任者(…と言っても店員は一人だけの店だが)をしており、家にいる時に好きな絵を描いている。 以前イタリアで個展をしたことがあるそうで、その際には高い評価を得たと言うが日本ではまだ認められていない。食事会の時に彼女は自分が絵を描きはじめる時の話をした。なにを描くか全く考えずに画面に向かい自分のなかから湧き出すものを感じて描くというのだ。 彼女の絵を見ていると、普通の絵描きのように、上手く描きたいとか、高い評価を得たい等の下心がないことが私には伝わってくる。あくまでも自分が描きたいものを描くだけなのだ。 考えてみると、美術学校なんぞに入学すると、どう描けば高い評価を得られるか…ということを教わるわけだから、彼女には百害がって一利なしというものだ。 案の定、彼女もそして磁器の絵付師として国宝級の腕を持つ彼女の父親も、すべて独学で絵を描いている。 昨年だったか、日本では馴染のないアール・ブリュット(アウトサイダー・アート)の展覧会に行ったことがあった。画家の女性もこの部類のアーティストだろうと思う。 彼女の作品が日本で受け入れられるのはまだまだ先だ…と、年齢の割に妙に子供らしさを残す純粋な彼女の笑顔見ていて、そう思った。 |
最近のマダムのブログには、先月に出版した自分の詩集に対する、周囲の人からの感想が続けて書かれている。みなさん好意的なコメントばかりだ。 先日…出版を記念した食事会にも出席した私は、数冊購入して知人に渡したりしているが、これと言って詩集の評価は返ってこない。そもそも私も、全編は読んでおらず、マダムのことは好意的に見ているけれど、主に恋愛をうたうマダムの女心を知りたいとは思わないから、これからも読むことはないと思う。 マダムの詩集にダメだしする人がでてきて、そのうち…ブログのなかに、そんな悪い批評もマダム自身が書く日があればいいな…と思う。 みんな、作った人には一生けん命、いいこと言うんだろう。そんななかで自分の作品対して、厳しい批評をしてくれる人は大切にしたいものだ。 |
仕事のことで、イタリア人のバイオリニストに電話した。いつものように彼は“チャオ”と言って電話にでた。 以前は日本人の奥さんと打ち合わせしていたが、最近二人に初めての子供が生まれ窓口が彼に変わったのである。 彼の日本語はうまくない。私はイタリア語が分からない。だから私は彼のたどたどしい日本語を聞いてやりとりする。いつものようにちょっとしたことを決めるのに時間をかけていたら… “それは…ちょっと今分からないね…イタリアだから…”と言ってきた。 当然彼は日本にいると思って話をしていた私は、電話代が気がかりで、日本に戻ってから話そう…と、結論を出さずに電話を切った。 それにしても、あまりにもスムースに、そしてクリアーに海外と繋がるようになったものだ。 次回の電話代が、少々心配である。 |