私の山の家には小さな庭(30坪ほど)があるが、夏場に水撒きをすることはあったが、私は特に植木の世話をするということはしなかった。年に何回か植木屋が肥料やりや刈込のためにやってきて、間…父が少し触ることはあったが、死んでからはほったらかしになっている。従って私は、植物の育て方はあまり詳しくない。 最近町のほうの家のテラスで5本のオリーブの樹を育てはじめた。引っ越ししてきた今年のはじめ、ほったらかしにしていたら元気がなく花を付けないものだから、今年の夏は朝晩たっぷり水をやった。幸いすくすくと成長をはじめたが、このことをオリーブの専門家に話してみると、“オリーブは植え替えた後2か月ほどたっぷり水が必要だけれど、その後はあまり頻繁にやらないほうがいい。やり過ぎると根を張らない。水を求めて根が成長するのだから”と、言われた。 植物も、人間も育て方は全く同じだと思い当たった。子供に与えすぎたら、自立するのが遅くなる。与えすぎて根腐れしないように、水はけの良い土壌を作って、水は多少不足気味…を心掛けたほうが、たくましい実を付けるのだろう。 私が子供を育てる時期に、このことを知っていたら、彼はもっと逞しい男になっただろうか? 自分が子供の頃はどうであったかとか…いろいろ考えはじめたが、いまさら遅いからやめておくことにした。 |
感覚というものは、人それぞれ違うものだと言うことは、分かっているつもりだけれど、私と似ている感覚だと思っていた人が、私には許せないバランスのデザインを、よしとしてもってきた。 まさかと思う…見ていて落ち着かないバランスである。一瞬これもありかな…と、納得しようとしたが、やはりおさまらない。 さて、どうしよう? 私は彼の仕事に口出しする立場ではない。ましてや私がデザインしてあげようかと言うのも大きな筋違いである。 ともかく黙って見過ごすことにした。 自分の感覚と全く同じ人なんていないんだ…と、いう事は肝に銘じよう。 |
今日は、朝から半年に一度の検診にでかけた。主治医との面談の前に、血液検査・CT検査・ABI検査をいつものように済ませ、診察室に呼ばれた。 すべて異常なし、一言…“血管の大きさが48㎜で安定しているので大丈夫だけど50㎜~55㎜に近くなると手術やけど、まぁーいまのところ大丈夫…”と言われた。 毎回言われていることだ。 だけど今日はCTで自分の大動脈をじっくり見てみた。やけに大きい。おそらく一般人だと30~35㎜くらいではなかろうか?8年前に大動脈解離になった私の血管の幅は、その時以来、拡張したままなのである。 主治医から“8年(術後)経って、それだけ元気やったら言う事ないね…なにか言いたいことある?”と言われ“まぁーまぁー幸せです。”と答えて診察室をでた。 もう一言、“あと10年くらいは生きていようと思うのですが?”と聞きたい気持ちもあったけれど、返事が返ってこなかったら悲しいから聞けなかった。 今が、幸せ…を大切に生きていたい。 |
通勤で満員電車に乗ることは私が20才代の前半からとんとなかった。今年の3月に町なかに引っ越ししてきてから週に4~5日ほど乗るようになった。その間一度も座れたためしはないし、吊革を掴めない日も多い。 電車の揺れへの対策で、どのように立てば良いか探っているが、まだ極め付けの立ち位置が決まらない。 今朝電車に乗っていたら吊革に摑まっていた男が、口を手で覆って咳込始めた。男はたまに手に痰がついていないか確かめるように自分の手のひらを見つめ、その手でまた吊革に摑まるという動作を繰り返しいた。 この光景を見ていて、電車のなかは病原菌だらけだと、しっかり認識した。 電車のなかでこんなことを考えながら、満員電車での初めてのインフルエンザシーズンをむかえることになりそうだ |
ご主人は常識のない人だけれど、奥さんはとても常識的だ…なんて話をよく聞くけれど、私の経験から言うと、二人とも結構考え方の根本は似通っているケースが多い。 それぞれ違うように見えて、分かってくれそうな方に思いを伝えても、結局時間を要しただけで実りのないことが多かった。 だから、夫婦というものは考え方が似ていて、それぞれの人生経験から顔に出すか出さないかくらい…に思って接するほうが無難である。 そう考えると、そんな夫婦に対した時は顔に出さない方は要注意だ。顔に出す方の考え方が二人の考えだと思ったほうがよかろう。 “似たもの夫婦”とはよく言ったものだ。 その言葉を忘れて、私は何度も失敗した。もう繰り返したくないものだ。 |
大切な話をメールで送った人がいて、送られた方が、えらく怒った。“こんな大事なことをメールで知らせてくるのか!”と言う理由だったらしい。 メールを送った方から相談を受けて、私の考えを言った。 “私が思う…丁寧な伝え方の順番は… 1)直接会って話をする 2)手紙を送る 3)電話をかける 4)FAXで送る 5)メールを送る …ですね。伝えたい内容によってかわるかもしれないけれど、メールは軽い伝達方法だと思います。” こう答えたけれど、こんな順位をつける人なんて、これからいなくなるのだと…話しながら思った。 それでも、大切な話は、会って話をするべきだと思うけれど…、そうしないと思いは伝わらないと思うけれど…。本当の自分を伝えたい時は、自分の表情やら話し方やら声の高さなどの情報量も多く伝えたいものだ。 |
“写真のような絵”ですね…という評価は、評価した方が誉め言葉として用いても描いた作家から言わせると、あまり嬉しくはない。 写真はシャッターを押す一瞬で作品になるが、精根込め時間をかけて描いた絵がそれと同じだと言われると作家は空しくなるのだ。 ところが素晴らしい描写力ですね…と言われると描いた作家は喜ぶ。 今までの作家は自分の絵のなかに写真とは違う筆のタッチとか構図を用いて写真とは違う作品性を主張しようとしてきた。近年そんな時代があった。 ところが最近の画像変換ソフトは、写真を絵画のようにどんな風にでも加工することができるようになったから、精緻な絵画を描く画家の居場所がなくなってきたように思う。 従って、将来写真のような絵を描く作家はいなくなるだろうと予想する。 私が写真のような絵を描かなくなった理由の一つがここにある。 |
私の息子と昼食を共にした後、コーヒーを飲みに行った際、彼の視線が下向き加減なことに気が付き、悩みを抱えているように見えたので…“なにか考えることがあるの?”そうすると彼は“分かるの?”と答えた。 “分かるよ。悩んでいる時は顔に出ているからね。お父さんになにかできることがあったら言ってみ…。”と言うと“でも、お父さんに言うのは筋が違うと思うから…。”と、返してきた。 “ともかく話してみたら…、自分一人で抱え込むのは苦しいことや、悩みを自分の外に出して、進むか進まないか結果を待ったほうがいい…。お父さんだって、手を差し出せるかどうか、はっきり言うし…、目の前の道を一つ一つ潰していったほうが先に進んでいけるぞ。”と言うと、彼は“なんだか気が楽になった。”と言った。 その場は時間がなかったので、来週にでもまた出会った時に話の続きをすることになった。 とは言うものの、彼はいったい何を悩んでいるのだろう?私の力ではどうすることもできないことだったり、私が聞かないほうが良かったりした話だったら悲しくなるだろう。 ええかっこをしてみたが、じつは話をした時からずっと気になっている。 他人にはこんな救いの手は出さないのだが、まさにこれを親馬鹿と言うのだろう。 私はちっちゃい父親である。 |
大学病院の精神神経科の教授が書いた“いじめ”の過程を分析した本を開いた。 第1段階 孤立化 第2段階 無力化 第3段階 透明化 これを見た瞬間になるほど…と、思った。 |
今日は、山道を運転して会社にやってきた。タイヤで粉砕された落ち葉が粉になって道を覆っている。小雨が降り始めて、とても滑りやすいコンディションだ。 もともと通行量の少ない道だが、私の後ろについた2台の車を、そのたびごとに路肩に寄せて追い越してもらった。 追い越されないように、スピードを上げて逃げたりはしない。前の車を追って接近し過ぎて煽ったりもしない。私はマイペースでいいんだ。 人生のなかで本当に必要な時にだけ勝負すればいいんだ…という思いが、最近やっと身に付いてきたように思う。私のペースでいいんだ…とハンドルを握る。 |