DVDで“悪人”を観た。昨年話題になった映画で、気になってはいたが、映画館で観そこねてしまい、やっと昨晩観ることができた。私の好きな女優の深津絵里が海外のコンペティションで賞を獲った作品だ。 明らかに受賞狙いの作品の匂いがする映画で、すべてに審査員受けの工夫を感じた。 先ず第一に、最近の傾向だと思うのだが、脚本の作り方が、一つのストーリーを分割して、小さなストーリーを重ねながら、主役級の役者が同じ場面に登場しない…というスタイル。これはいかにも脚本家が頑張っているように見える。 さらに、テーマ曲…これも私の尊敬する作曲家の久石譲が担当しており、文句のつけようがない。 脚本と音楽が、一級だとだいたい賞狙いだ。私の好きな深津絵里が軽い濡れ場シーンを承諾した理由がそこにあるように思う。案の定彼女だけ主演女優賞をいただいた。 深津理恵はよく頑張ったと思う。 殺された女性の演技もなかなか良かった。 残念ながら妻夫木君に関するコメントはなにもない。 映画評論家でない私が、ここで解説しても意味のないことだと思うが、もしご覧になっていなければ、軽い気持ちで鑑賞されることをお勧めする。 少し重たい映画だけれど… |
昨日、9月30日に行われる“ちょっと贅沢なピアノとギターのコンサート”の現場でのリハーサルを行った。 ギタリストは私のギターの先生でピアニストは先生のお気に入りの美人のピアニストだ。 1ケ月前にも一度練習をしたのだが、その際ピアニストはホールの音響とピアノの音色にいたく感激していた。しかし、昨日はどうも気に入らない様子だった。 髪の毛一本挟まった音…だとか、フェザータッチの時の鍵盤の下りが悪い…とか私には分からない研ぎ澄まされた感覚を口にする。 ピアノの位置を何度も変えてみては、より良い音の出る場所を探し続けた。 人間は訓練で、自分の能力の一部をどこまでも高く解放できるに違いない。 私のなかに、なにか研ぎ澄まされた感覚があるか、考えてみた。 なにも思い当たらない。 普通の人の平均より、ほとんどすべてに優れていると思うが、突出したものはない。 だから私は、凡人…。 これからも凡人という私の個性を生きていくのだろう。 最近の天候がピアノの音色に影響しているように思った。要するに湿度が楽器に悪影響を及ぼしている…このことは凡人の私にも推測できた。ピアニストもそう考えているようだ。天候が恨めしいということにおいて天才と凡人は意見が一致した。 はやく台風が過ぎ去ることを願う。 |
昨日は、東京から契約に関する詰めのため、先方の社長がやってくることになっていた。ただ来社時間が決まっていなかったため、私は面談を優先して、いつでも迎えられるように午前中から外出を控え会社で待機した。 10時半頃に台風が東海地方から関東に向かうと耳に入ったため、社長の携帯に電話を入れて、予定の変更がないか尋ねてみた。 ともかく、こちらに向かいたいが新幹線が動かないので動き始めたら連絡を入れるとのこと… ところが、待てども待てども、次の連絡がない。5時半頃になって、川の氾濫のため、まだ新幹線が動きそうにないので予定を変更してほしいとの電話が入った。 結局、来週改めて面談日時を設定することになった。 昨日は、久しぶりにオフにしてゆっくりしようと思っていたが…、 社長が来ると言うので出社したのに…待ちぼうけの一日だった。 休みたい時に休むことのできる私は、待ちぼうけを食らっても別に腹は立たない。 例えば、今から明日休もうと思って、休んでも大きな問題は起こらない。 だが…実際は休まない。 そう、私は各週で休みをとることがない。休みたい時に休めば良いと思っていて、逆にほとんど休まぬ日々を過ごしている。 たくさん休むことに不安を感じるようになっているのかもしれない。 おかげで、“ちょっと ぜいたくな ピアノとギターのコンサート”のプログラムのデザインができた。 なかなか、皆さんから好評である。 待ちぼうけは無駄ではなかった…と納得する。 |
私がクラシックギターを習い始めて1年4ケ月…長い間、眠っていたギターの弦を先生に変えてもらってから8ケ月目の今年の初めに弦が切れて張り替えた。それから、ちょうどまた8ケ月たった1週間前にまた弦が切れて張り替えた。私のギターは1974年スペイン生まれのハンドメイドだが、1級品ではない。だが当時はあまり量産していた時代ではないから先生に言わせると、国産のどのギターよりも音がいいらしい。 ギターを制作したり、新しい部品を作ったり、自分の理論をもとに自ら改造を加えることのできる先生は私のギターを改造した。いまのところ改造費で4万円ほどかかったから、新品のどの4万円のギターよりもいい楽器だと、私は信じている。 一流のギタリストになると弦を、切れなくても2週間ほどで張り替えるらしい。それ以上変えずにいると弦が伸びきっていきどんどん音が劣化するという。 どうも私のように8ケ月も張りっ放しの人間はギタリストとは言えないようだ。 ギターの弦を、この度初めて自分で張り替えようとした。ところが私の今までの知識ではどうもうまくいかない…。 そこで先生に聞いてみると、できなくて当然だと言われた。先生自身ですら私のギターの目に見えないところに手を入れて角度を合わせて装着しないといけない部品を付けたことを忘れていた。 ともかく、次回からは一人でできると思う。 先生はギターの弦は、張った二日後に音が落ち着いて一番良い音が鳴り、それからどんどん劣化していくと言った。だからコンサートの前の二日前にいつも張り替えるらしい。 先生は、弦が切れる直前にも、なぜかいい音がするとも言った。 すべてのものは燃え尽きる前に、輝く…ということだろうか? これから先に、私がもし輝きを放ったら、そろそろ終わり…という報せだろうか? |
マダムのお店のお客様のなかに、公共機関で定年まで勤め、数年前から趣味で水中写真撮影の虜になった60才半ばの独身女性がいる。彼女はこれまで何度か短期で海のきれいな海外のリゾート地に撮影旅行に出かけていたが、来月から半年間の予定でバリ島のヴィラで長期滞在することになった。 彼女がこれまでどんな人生を送ってきたかは知らないが、これからの余生を退職金と年金で気ままに生きていくのだろう。 将来東南アジアで年間の1/3を過ごしたいと考えている私は、彼女がバリ島にいる間に一度訪ねてみたい。シンガポールも気になるが、元阪神タイガースの新庄がバリ島に定住していると聞くし…、きっと人生に一区切りつけて新しい人生を歩むものには住みやすい土地なのかもしれない。 人生をリセットするためには、みんなが駆け足しながら先を急いでいる日本は住みにくそうだ。もっとゆっくりした時間が流れている…これからの私が定住できる場所をそろそろ探し始めようと思う。 その他に、よさそうなところがあれば、是非情報をいただきたい。 |
私は、5年半前に社会的にも肉体的にも死にかけた。社会的死の意味は事業の行き詰まりにより正常な経済活動ができなくなり社会的信用を失墜することであり、肉体的死の意味は社会的死によるストレスにより突然倒れ、救急車で運ばれ開胸手術での人工血管への付け替えという外科手術によって一命を取り留めたこと。 幸い、取引先その他周囲の方に迷惑をかけるようなことはなく窮地を乗り切った。 その前後、私は次のことを学んだ。 一つは、“感謝” 感謝とは、失敗や無礼を思い知ること。他人に迷惑をかけたことを心の底から悔いるというること。自分が失敗したこと、間違ったということを心から認めること。 一つは、“他にも道がある” 行き詰ったと思ってもなんらかの道がある…ということ。諦めてはいけない…ということ。 人は、生きているうちに、何度か自分が死んだと思う実感を得たほうが良いのかも知れない。 私は生まれ変わって、今の人生を生きている。 以前より自分のことが良くわかる。 以前より周囲のことが良くわかる。 自身を知り、感謝の意味を知る者が、新たな道をみつけることができるのだろう。 |
自分が人より優れたところがなにか考えてみると、 ・絵を描くことがうまい…かな 他にもあるかもしれないが、あまりたくさん書くのも恥ずかしいから今日はこのくらい…。 子供の頃、授業中に先生の話をあまり聞かずに、ガンマンの決闘シーンとか宇宙船の絵をよく描いた。漫画はあまり見なかったからヒーローやキャラクターは書いたことがない。 どちらかと言うと、すでにあるものを写すより、自分の頭のなかで想像するほうが楽しかった。 勉強は好きではなかったから、結局美術学校進んだけれど。あの頃は、入試の試験科目にあるから静物デッサンをいっぱいしたもんだ。すると、想像したものではなく、あるものを描くだけだから、あまり楽しくはなかったように思う。 静物デッサンなんて、他人と比較するために同じ物を描かせて、能力を比較するためにあるようなもんだ。ジミー大西が入試対応のデッサンがうまいとは思えない。 私は絵を描くことがうまい…と言ったけれど、実のところ絵を描くことは好きではない 絵がうまい…と言うことと、絵が好き…ということは全く意味が違う。 私は、絵が好きではないのに、他人が見て上手く見えるように描けるのだ。 要するに、私は感性で描くのではなく、頭で描くタイプ…。 絵を描くことが好きではない私は、描く必要にせまられないと、全くいつまでも描かない。 ここまで書いて、自分が人より優れているところを、言い換えたいと思う。 絵を描くことではなく、真っ白なところに新しいものを生み出すこと…。 ここに気が付くまでに、実に長い時間が必要だった。 私は、これから、今思う自分の得意なところを伸ばしていきたいと思う。 まだ、遅くはないと思う。 |
小説を書いて映画化したい…なんて、大それたことを他人に言って回っている私は普段、本はあまり読まないし、文章を書くと言えば、この日記くらい…。 幸せな私は、宝くじの3億円は絶対当たるものと信じている。小説なんて、それに近い私の実現しない“夢”の話だと思われるのであろうか…。 私のように絶対絶命のピンチを切り抜けたことのある人なら、信じれば願いが叶うということを知っているに違いない。 死に向かい合って生き残れた人なら… 良しも悪しきも“人生何が起こるか分からない。”と言うことを知っているに違いない。 私の人生訓 “いつまでも同じ幸せは続かない。いつまでも同じ不幸は続かない。人生、何が起こるか分からない。人生、何が起こるか分からない”は、このようにして私の身に着いた。 それにしても、どうも最近、小説に向かう気力が落ちている。 与えられた余命を大切に生きていきたい… 生きている幸せを噛み締めて、自分を奮い立たせるために、今日この日記を書いてみた。 |
頸椎が固まりつつあると認識した私は、整形外科的には対処できないと言われたものだから、ささやかな抵抗として姿勢の矯正によって痛みを和らげようと努力している。と、言っても実に簡単なことなのだが…、顎を引いて首筋を伸ばすだけなのだ。 そうすると、確かに第7頸椎と第6頸椎あたりに軽い痛みを感じ、しばらくその姿勢を保つと気持ち良くなってくる。 自分の姿勢が気になりはじめると、歩いている人のそれも気になってくる。町で見かけるほとんどの人は頭が前に出ていて、理想的な姿勢を保っている人などほとんどいない。 昔から進化論の説明で猿から猿人、類人猿、人へと進化する様子をパノラマ的に見せる図があるが、猿に近いところでは、首が前に突き出ていて、人間に近くなると首筋が直立していき、背筋がS字型に変化していく…。あの図の人類のところの骨格(プロポーション)が理想的な人間の姿だったはずなのだろうが、現代人は本を読みパソコンを食い入るようにみるから、姿勢が猿のそれに向かって逆進化していっているのかもしれない。 “猿の惑星・創世記”が、10月7日封切りだけど、猿の姿勢だけ観に行こうかしら… 私は、これからも姿勢を自己矯正して、美しい人類として余生を過ごせるように、最後のあがきをしていこうと思う。 皆さんも、美しい姿勢をいつまでも保ってくださいね…。 きっといいことありますよ…。 |
明日は、私のビルのホールで“ちょっとぜいたくなピアノとギターのコンサート”が開かれる。私のギターの先生がお気に入りの女性ピアニストと組んでの初めてのコンサートで、明日を含め来年5月までに全4回開催の予定がすでに組まれている。 そもそもピアノとクラシックギターは音量の差もあるし、二つの楽器だけのコンサートなんて先ずあり得ないようだ。 また、ピアノの作曲家はギターと言う楽器を少し軽く見ているらしく(私の先生が言うには)ギターのための曲なんて、逆立ちしても書かないらしい。明日、先生と彼女は必至で探し出したピアノとチェロの合奏のために書かれた曲も無理やり演奏するらしく、初めて聞く演目に興味がつのる。 私の先生は話好きで良くしゃべる。どうやら明日はピアノとギターの奏でる本来の音の違いを実演を交え解説するようで、マニアには必見だろう。 だけど私はマニアではない。ただの酒好きのおっさんだ。 さて、明後日の朝は早くからホールには別の予約が入っている。だから私は朝6時から掃除をするため明日の晩はビジネスホテルを予約しているのだ。 と…言う事は…明日は帰りに車に乗らないから、お酒をたらふく飲むことができる。 先生のコンサートより、コンサートの後で酒を飲むことに幸せを見い出している不謹慎な掃除人の生徒である。 |