ギターには、他の楽器にはない“シラミの法則”というものがあって、その名の通りシとラとミの音を弾いて左手をギターのネックから外すと残音が発生するというのだ。やってみると私のギターでは第4弦2フレッドのミは残音があるのに、第1弦12フレッドのミの音は、ほとんど残音がない。先生曰く第1弦のミの残音がどのくらい聞こえるかがギターの良し悪しだとおっしゃる。先生のギターを弾かせてもらうと確かに違いが分かる。要するに先生のギターでは出ているけれど、私のギターではでないのだ。 私のギターでも残音を出す弾き方を教えてもらった。左手の指で押さえて爪弾き、更に指で強く押さえ、そして充分溜めを作って離す。やってみると先ほどより少し出るようになった。この指の使い方(押さえ方)を覚えて、演奏してみると、今までより音が洗練された。私の音に対する感性が広がった・・・と思った。今まで聞こえなかった音が聞こえるようになったのだ。 聞こえない音・・・しかし、聞こえないだけで・・・鳴っているのだ。 周囲の人の聞こえない声・・・しかし自分には聞こえないだけで・・・静かに叫んでいるのかもしれない。そんな音や声があるということを前提に、世界を受け入れたほうが、自分の可能性が広がり、加えて楽であるように思う。 Harry Jhon Griffiths氏は1882年8月20日にイングランドに生まれ、15歳の時に薬屋に勤めた。1906年にロンドン薬科大学を卒業し薬剤師の資格を得た。その後最果ての地、日本の港町でのJ.L.Thompson商会の薬剤師の求人公募をみつけ祖国を離れた。彼に関する情報はほとんど日本に残されていない。戦前戦後、我が町を描き続けた画家が、お気に入りの建物だったのであろうトンプソン商会の建物の絵を数枚残していることと、画家のエッセイのなかでグリフィス氏とのやりとりが僅かに残るだけで、第二次世界大戦をはさんで・・・特に彼のように一生独身を通し日本に身内のいない外国人の記録は、消滅する運命にあったのだろう。だから、何故単身極東の地に身をおき、何故戦前に英国に戻らず、抑留施設で生涯を終えた彼の人物像は、数少ない資料から推測する他ない。その謎の部分が、これから作ろうとする物語の大きなエッセンスになることは間違いない。ここしばらく、彼について現在残る記録を私自身の頭の整理を兼ね、ご紹介することにしたい。 |