連日の肉体酷使で、さすがに作日は筋肉痛及び脱力感に襲われ、甘いものをいっぱい食べた。 昨夕、名誉教授も加わって夕方から9時過ぎまで打ち合わせが続いた。彼女は私より10才以上年長だが頭脳明晰で体力も勝っている。 自分のやりたいと思う事を成し遂げる意志のある者に老化はないのだと思い知らされる。 彼女は、“年のせいで物忘れがひどくなって…”なんて言う言い訳は、絶対に口に出さなだろう。 体も頭もうまく使い続ければ長持ちするものだ。 記憶力の低下を防ぐために、私も今からなにか勉強しようと言う思いが湧いてきた。 |
今朝出社時に乗った電車の運転手は、今までに乗り合わせたどの運転手よりも熟練度の高い安定走行し、各駅への到着予定時間に寸分の狂いなくホームの定位置に停車させた。 終点のホームの端から100mほど手前まで来た時に、聞きなれないベルの音がこだまし、運転手はブレーキをかけ電車を停止させた。計器を確認しながら最後部車両の車掌と電話で話をし、また別の受話器で…おそらく運行管理室とも話をし始めた。聞き耳をたてていると、誰かが緊急停止ボタンを押したようだ 運転手は、運転室から飛び出し、扉を開けたままで後ろの車輛に走り始めた。この間、運転席へは誰もが座れる状態だった。しばらくして運転手が戻り、扉を閉めて運行管理室に電話した。 “後ろから3両目の車輛で乗客が倒れ、近くの人がボタンを押したようです。” その後、ベルの音は止まり、終点に向かって動き始めた。 到着後、ホームを歩いて、後部3両目の横を通ると、担架を持ち込んだ駅員4~5人が倒れた客を囲むように、しゃがみこんで看病しているように見えた。 この場合、緊急ボタンを押したがために電車が停車し、倒れた人への初期対応が遅れたように思う。できれば車掌に口頭で状況を説明したほうが賢明ではなかったかと思うのだが…、いざとなったらできないだろうな…。運転手もあれだけ慌てていたことだし…。やっぱり私が運転して駅までつけるべきだったろうか?扉がも開いていたことだし…。 でも、それやったら捕まるだろうな…。 |
今日は、朝早くから会社で仕事をしている。10時半から料理教室へ行き、昼からオリーブ苗の鉢植え作業をし、夜はフレンチレストランでスペイン産ミルク豚?の丸焼きを数8人で食す会に参加する。楽しい一日になるだろう。 例によって、私は連休とか関係なく普段と同じように過ごすつもりだ。世の中が休みのほうが訪ねてくる人や電話も少ないから物作りには良い環境となる。 そういう意味で、楽しい連休のはじまりである。 |
最近、毎日自分の仕事をほったらかして、炎天下ファーマーをしている。普段使っていない筋肉を酷使しているが、なんとか筋肉痛もなく過ごしている。それでも年齢が年齢だから急にダメージが襲ってくることが恐い。 下手に非営利団体の理事長役を引き受けるものではなかったと後悔するところではあるが、引き受けたからには愚痴は言うまい…私がやらねば誰がやる…と、思いつつ…自分の体を無理して壊さぬペースで頑張ろうと思う。 アーッ。 |
成功するか失敗するか? 決断が安全か危険か? 大きな人間になるか小さな人間で終わるか? 自分が言ったことで相手が気を悪くするかどうか? それが分かる人と、分からない人がいる。 分かっている人にとっては、すべてが当たり前…分からない人にとっては“何故だろう?” 知識・知恵・経験を豊かにし、すべて当たり前の人生を送りたいな… それとも、予期せぬことがいっぱい起こるほうが楽しいかな? |
昨日、町のボスの自宅のリビングルームで会議があった。ボスと言っても男ではない。自分の年齢を108歳と公言する…おそらく70歳くらいのゴッドマザーである。バチカンの戴冠式にも招待され、パリの名誉市民でもある彼女は、いつも溌溂としている。 家に内に入って私が一番気になるところは、壁にかかった絵画だ。 マチス・ピカソ・藤田嗣治・草間弥生等々…そうそうたる作家の作品が並ぶ。もちろんみんな本物だ。 おまけに選ぶ人の目が肥えているのだろう…作品が上品だ。 彼女自身が入れてくれたアップルティーに、目の前で缶を開け皿の上に盛られたバターたっぷりのクッキー…次に出された一椀のおかき…きっとこれも、どこか由一緒のある店の銘菓やと思いきや、一口サイズのパックに入ったどこにでも売っているおかきだった。 これだから、庶民は悲しいものだ。雰囲気に呑まれると物の良し悪しが分からなくなる。 きっと、この家に招かれた庶民は彼女の凄さを思い知って帰るのだろう。 私も、いつかこんな生活をしてみたいと思うが、この人生では無理だろう…と、諦めた。 |
今朝車で会社に来る途中、目の前の軽自動車がふらついてるのが確認できた。それで…少し車間を開けて走っていると、踏切で一旦停止したので近づいたら運転席の横の窓が開いてなにか食べ物の包装紙?が捨てられた。運転手の年恰好をみると、老年ではなく中年風である。 そのまま後ろを走っていたら、またふらつき始め歩道の路肩にタイヤがぶつかって反動でセンターラインのほうへ流された。 後ろに付くのは危険だと思い、次の交差点の手前でゆるやかにスピードを落とし、敢えて先頭で信号待ちをしてやり過ごした。 その後は、普段どおりに走って会社に入ったが、世の中には訳の分からない人が普通の人の顔をして自分の隣を歩いてるのだと考えさせられた。 生きていくうえで、どんなときでも油断しないにこしたことはない。自分の身は自分で守らないといけないのだ。 |
今日のランチに、会社の近くのイタリアンレストランに行った。11時半を少し回ったところだが、すでにかなりお客が入っていた。まだ空席があったがすでに予約があるらしく、席に通されるのに待たされた。 オープンキッチンのカウンター席に案内され、私の部下だったオーナーシェフとスーシェフのきびきびした動きを見ていて、私の今までやってきたことが、遺伝子として彼らが受け継いでくれたように思えて気分がよくなった。 一つ気になったことがある。サービスの男の子が、料理の説明をする時や皿を運んでくる時に、なんでもかんでも語尾に“…ねぇー…”と付けるのだ。シェフも注意しないようだけど、耳障りでしょうない。最近営業職の人でも“…ねぇー…”と、言う人がいるけれど、誰かが正しく美しい日本語の使い方を教えてほしいものだと常々思う。 シェフに“…ねぇー…と言う言い方はなんとかならんのかネ…”と言ってみようかな…? |