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SOLILOQUY

ひとりごと

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April 11, 2014 15:18:18

予感

カテゴリー: 日記
私の周りで、気になっていたことが、糸をほぐすようにほぐれていく。じつは、最近…長年引きずっていた問題が露出してきて、息の詰まる瞬間もあったのだが、そんな暗雲に切れ目ができて、もうすぐ晴間が訪れそうな予感がする。
この予感を自分のなかでもっと広げて行けば、きっと早く思いどおり進むのだろう。

悪い事はずっとは続かない。良いこともずっとは続かない。変化するから面白い。変わっていくのが私の人生。

予感を広げて、ちょっとだけ幸せの訪れを早くしよう。
今、私の近くにいる人も、ちょっとだけ幸せがはやくやってきますように!
April 10, 2014 10:21:07

保険

カテゴリー: 日記
 1ヶ月前に、私のいるビルの飲食店から水漏れ事故があった。飲食店のグリストラップ(浄化槽)に直接ホースを突っ込んで数時間無人放置したため逆流し、階下の器屋の天井から水が漏れたものだ。一般的には飲食店の設備工事は床に防水工事をしてから配管するのだが、そこは最初に工事した飲食店が防水工事をせずに直接床下に配管したものだから、原因を究明するには床をめくる工事をやらねばならず、以前も漏水があってのこのたびの結果を見る限りでは結局大元の不具合は改善できていなかったように思う。
 この場合、貸主の責任か使用者の責任か判断が分かれるところだが、前回の事故はビル側で保険処理した。その際、今後のメンテナンスも含め、使用者側が保険(以前は未加入だった)をかけ、対応することを約束していたのでその方向でこのたび保険会社も対応し、器屋の請求額のほぼ満額が支払われることになり、保険会社の担当者から飲食店オーナーに報告したら、支払われる金額が大きすぎて自分のところだけではなくビル側の責任もあるから保険請求の判は押さないと言い始めた。

 そのため器屋は、水がかかった骨董家具の修理をストップした。

 保険会社が支払う金額が高すぎると言って、数週間の時間を振り出しに戻す感覚が、私にはどうも理解できない。保険金が被害者の希望近くおりたことは素直に喜んでから、責任の問題の話をすれば良いと思うのだが…、世の中いろいろな人、いろいろな考え方があるのだろうが、この話を聞いて、まだ進化できない私がいる。
April 09, 2014 14:59:02

金回

カテゴリー: 日記
知人のレストランオーナーが愚痴をこぼした。“4月になってから全くお客さんが来ない。”と…。そう言えば昨晩駅近くのこじゃれた和風居酒屋に行ってみたのだが…、夕方6時過ぎに入店したら、かろうじて二階に団体客(新歓コンパか?)の声が聞こえるだけで一般客がまったくいなかった。平日だという事を差し引いてもあり得ない静かさだ。消費税率変更の影響だろうか?

お金は回り巡る物、自分が動きをとめたら自分に入ってこなくなる。簡単な論理だが、実践するのは、ちょっと難しい。

自分が豊かではないと思ったらお金のまわりが悪くなりそうだ。大金持ちではないけれど、そこそこ豊かだと思ったほうがお金がやってきそうだな。

知り合いのところからお金を回していこうではありませんか?先ずは自分からですかね…。
April 08, 2014 11:16:40

五星

カテゴリー: 日記
マダムはフランス・イタリアの映画がお好きなようで、昨日ブログに‘はじまりは五つ星ホテルから’と言うイタリア映画を観に行ったと書いていた。
私が子供の頃、映画と言えばなんとなくフランス・イタリア…で、テレビ番組はアメリカ…と言うイメージだったけれど、いつの頃からかテレビも映画もアメリカが主流に変わっていった。今ではヨーロッパ産の映画は10本に1本観るかどうか…、私はまんまとハリウッド映画の勧善懲悪・スーパーヒーロー・アクション・SFの虜になってしまっている。

マダムの好きな映画は、マイナーな映画館で上映されるものが多く、要するに製作費をあまりかけずストーリー重視の映画だ。それに私の知る限り女性が強く一人で生きているという類のものが多い。
したがって、誘われたことないけれど、私は誘われても観には行かない。映画館で必要以上に頭を使うのは苦手である。

先日、今一番の評判だと聞いてディズニー映画‘アナと雪の女王’を観に行った。字幕3Dのためか日曜日の昼で満席だが子供の姿はなかった。昼からビールを飲んで入ったものだから前半の三分の一は寝てしまい、観終えてフラストレーションが残った。私はディズニー映画にもあまり興味がないのだろう。

‘はじまりは五つ星ホテルから’と言う映画には、実在する最高級のホテルが登場するらしい。ストーリーはさておきホテルの素晴らしさだけは見てみたい気がする。
なんだかんだと言いながら、マダムの興味のあるものに、少しは魅かれる私である。
April 07, 2014 14:23:45

届物

カテゴリー: 日記
今朝、隣町にある病院に届け物を持って行った。9時半頃に知人から電話があり、午後からのオペに間に合うようにある物を持ってきて欲しいと頼まれ慌てて電車に乗った。ネットの乗換案内を見ると、乗換3回…初めて行く場所だから途中で迷ったら間に合わなくなるかも知れないと不安がよぎった。
頼りはネットの地図と乗換案内と、電話で教えられた“次の乗換駅まで少しあるいて…と言う‘少し’というニュアンス、それに電車の行先表示の駅名、何番出口とう番号、コンビニの2階。”ということだけだ。

迷った時に、少し歩くスピードを遅くしたり、立ち止まってみると、案内地図や行先表示板がみつかる。都会というものはうまくできている。おそらく日本では東京オリンピックあたりから公共表示が進化してきたのだろう。私が学生の頃には公共看板のデザインの授業があったことを思いだした。

おかげで11時20分に到着することができ痛く感謝された。
それにしても便利な世の中になったものだ。迷った時に、探せば必ずなにか手がかりになるものがある。見ようと思えば見えてくる。都会というものはそんなものだ。
よほどの方向音痴でなければ、道を間違えることはできないと思うのだ。私の周りにも方向音痴はいるけれど…。

必ず手がかりがあると言う信念、見ようとする意志、そして自分が道を決めると言う自己責任の論理やね…やっぱり!
April 06, 2014 11:28:16

引際

カテゴリー: 日記
5年前、私が行っていた事業を止めるにあたり、そのすべて(受注していた予約も含め)を無償で譲り渡した。引き継いだ先は同業であるが、私よりも手広く商っていたやり手のプロだった。その後2年ほどは採算がとれていたが、徐々に先細って、今ではかなり苦戦していると聞いていた。
先日その社長と話をする機会があり直接話をしてみたが、噂通りかなり苦しい状態だと聞かされた。

私が事業を止めるきっかけは、事業を任せることのできる部下を育てられなかったことを痛感し、十数年やってきた仕事の将来像を描けなかったことにあった。

世の中は常に変化し、また自分自身も変わっていく。10年前の世の中の常識が今は通らないし、当然今のビジネスのあり方は10年後には通用しない。私の事業を引き継いだ社長は、今、この変化の壁にぶつかっているに違いない。

アドバイスしようと声に出かけたが、ぐっと堪えた。時代の変化に対応できなかった私の考えなど話さないほうがいいに違いない。それと、今から手を打っても遅いだろうし…。

社長には頑張ってほしいと思いつつ、引き際を間違えないように…と、心の中で祈るだけにしようと思った。
April 05, 2014 11:52:38

批評

カテゴリー: 日記
先日、私が絵を買い求めた絵本作家の子供(小学校低学年)は、20才代半ばで私が描いた画文集の絵を見て“この絵…、写真みたい!”と、声をあげた。
私が若い頃(つい数年前まで、同じだったかも知れない)に、誰かにそう評されたら、悪意がないものと分かっていても、それが大人であれ子供であれ、心のなかで“そんな言い方はいやだな。この作品は絵が中心ではなく、絵は物語の挿絵だから、ストーリーを見てほしいのだけれど…。”と、つぶやいた。確かに作品全体を見て批評する人は、ごく少ないけれど確かにいて、その人達の言葉は私にとって心地良いものだった。

それでも最近では私の物作りに対する感覚が世の中からすれば少数派なのだという認識が確かなものになり、写真みたい…と言う評価を聞いても心が騒ぐことがなくなった。

だからと言うわけではなく、最近たまに描く絵は、タッチ(ペンの勢いや筆跡が分かる)を残す描き方をするようになった。写真のように描くより、そのほうが周囲のうけがいい。しかも短時間で描けるし、画商の商材としても扱いやすい。
私はこれまで絵を描くことを生業にしなかったが、どんな絵が一般受けするか客観的に分かるようになった今ならできるかも知れない。

などと…、画家の仕事を軽く見たようなことを言ったけれど、どんなことでも極めればどこまでも奥深いものだと思ったら、今画家ではない私は口を慎もうと思い返した。

子供の批評に、いちいち動じないでいたいと思うのだ。
April 04, 2014 18:53:27

進化

カテゴリー: 日記
世の中には自分とは違う考えを持つ人がいる。全く逆の発想を常とし、自分が正しいと思う事を、そうは思わない人がいる。
自分と違う種類の人に出会った時に、無視し、消し去ろうとすることもできるが、目の前の事実を新しい経験として、自分の血と肉とすることもできる。
その選択の違いは、人生の経験を重ねるなかで、他人と接する際の対応力の大きな差になるだろう。

一度経験したことを忘れ去ろうとする努力は、大きくなろうとする自分の人としての成長の妨げ以外のなにのもでもない。

なにごとも、大きく深呼吸して、違いがあるということも粛々と認めること…それを進化というような気がする。
April 03, 2014 10:27:15

訃報

カテゴリー: 日記
訃報というものは続くもので、今年になってから知人が何人も亡くなった。

昨日は町造りの活動を行っている元大学教授の母上の訃報が届いた。年齢が95才である。2か月前にアルツハイマ―の病状が進行し入院したが、ココナツオイルを服用して回復し、一時退院し家にもどられたと聞いていたが、やはり難しかったのだと思った。打ち合わせの途中で看病していた教授の姿が思い浮かんだ。
通夜も葬儀もなし…、本日荼毘に付しそのまま故郷の東京にもどり、あちらで親族がささやかに集って別れを惜しむようだ。昨日、元大学教授から私が依頼していた原稿の執筆が遅れることを詫びる電話がかかってきた。母を見送ったら力を入れて書くから待ってくれと告げられた。先生らしい律儀な電話だった。

先月は元仕事関係の49才の女性社長が亡くなった。現役だから別れを惜しむ人達が大勢集まった。母子家庭…身寄りのない社長の高校生の長女は泣き崩れた。

1月には35年前の初めて社会人となった会社の研修で10日間ほど一緒だっただけ…、以後一度も出会わなかった同期が57歳で逝った。奥様から報せを受け仏前に飾る花を贈った。先日奥様から、食べることの好きだった主人の代わりにいっぱい食べてください…一言添えて“箸”が一膳贈られてきた。

私には悲しむこと以外に何もない。
しばらくは知人の‘死の報せ’がないことを祈った。
April 02, 2014 11:35:59

舞台

カテゴリー: 日記
私は、小学校の時に越境入学したが、体が弱く他人と同じことができなかったので競争原理を幹とする人生から外れた。以後公立の中高を卒業した後、進学するかどうか悩んだ末に一般教養の試験では一流の学校には合格できそうになく、学科試験だけでなく実技試験の出来が問われる美術学校を受験した。美術が好きと言うわけではなく、ただ勉強が苦手だっただけなのだ。
ずっと少数派のステージで生きている。
それでも経験から、様々なステージが世の中に存在し、まだ覗いたことのないステージが存在していることを理解しながら、それぞれのステージにはそれなりの思考・志向・嗜好があることが分かってきた。
そしてこの年齢になって、様々なステージの人達と意見を交わす機会が増えてきた。

これからは、今までとは違うステージにも顔を出してみようと思っている。まだまだ多くのことを経験しながら私の人生のステージをもう少し広げていこうか…と、今思っている。
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