あなたには“ジンクス”ありますか? 私の知人で“街中で坊さんを見た日は、なにか悪いことが起こる。”と真剣に言う男がいた。なにかアクシデントが起こるたびに“今日は坊さんを見た。”と言うのだ。町でお坊さんを見かける確率は、通勤時だけでもかなり高く、毎日出会っていてもおかしくないはずじゃないかと諭しても、聞く耳を持たない。それって悪いことが起こるのはお坊さんが悪いといってるようなもので、経験の薄さとか、予測の甘さとか、備えの足らずとか、事後処理アレルギーみたいな自分の弱さの表れ・・・他者への責任転嫁で自戒からの逃避であると分からせようとしたが、結局彼の転職とともに今は会うことのない縁になった。イライラする実にやっかいな男だった。 ジンクスは、プラス思考のものだけにした方がいい。 私は、世の中が私を中心に回っていてイメージは実現化すると信じているので、絶対に悪いジンクスなどありえない。自己責任のなかで生きている。 因みに、今の私にはジンクスは存在しない。やってくる未来を自然に受け止める術を身につけたかのかも知れない。 |
あなたは“占い”信じますか? 相性占いで単に“お相手との相性がいいですか?” と訊ねることに私は疑問をもつ。人生と言うものは山あり谷あり・・・明日喧嘩することもあるし、半年後にもっと素敵な人が出現するかも知れないし、5年後にお相手が浮気しているかも知れないし、10年後にその人が死んで自分が12年後に再婚しているかも知れないし、二人で頑張って年月を重ねても定年後に離婚するかもしれない。年老いた愛する(もしくは愛の冷めた)人を病院で看取るかも知れない。それより明日自分が死ぬかも知れない。どこを指して相性の良さを判断するのだろうか? もし私が占い師であれば、あなたが望む答えを話すだろう。 もし私が未来が分かる超能力者だったなら、お相手が1年後に死んでしまうことを話せるだろうか・・・ 未来は自分で見つけたい。 |
あなたは“占い”を信じますか? 私は信じています。今までに、本物の占い師と超能力者に出会ったことがあるから・・・彼らに出会って私は、彼らに些細なことも相談するようになったんです。彼らに頼るようになると、そうするとね・・・自分の考えが無くなっていくんです。自分のものではない時間を生きるようになるんです。あるときふと気がつきました。自分のものでない時間を生きることも自分の選択だって・・・彼らは私の人生の大きな流れのなかで、私の気づきのために、つかの間現われた存在だって・・・ 今でも、私は“占い”を信じていますが、信じるから近寄らなくなりました。人生というものは“経験が生む経験”だと思っています。何が起こるか分かりませんが、何が起こるか分からない人生を出迎えたいと思います。こんなことを考えるのも経験のお陰でしょうか・・・ 今日の私は変ですか?危ないですか? 素晴らしい力を持った人たちに出会えたことに感謝しています。 |
今日は、戦時下(?)の国の駐日大使が来られるパーティーに出席していたんですが途中で抜けて来ました。結局大使は本国からの特使が急きょ来日しその応対のために来られなかったんです。その国では、毎日何人もの人が戦いで死んでいます。日本は平和な国ですね。人生の幕引きをする一発の銃弾が飛びかう国に生きる人に比べたら、私の目の前のストレスがどんなに小さいものか・・・世界的視野に立てば私もあなたも、今もっと幸せを感じていいんでしょうね。この世界には自分より、もっと幸せな人がいると同時に、もっと辛い人もいるんですよ。そしてその人たちは辛いと思う余裕さえなく精一杯生きてるかも知れませんね。さて、あなたの辛さはどのくらいですか・・・ |
昨日、二流の映画 を観た。最初から最後まで面白くなかったが、主人公が最後に話した言葉が記憶に残った。 「地面に置かれた幅の狭い5メートルの板、普通に歩けば向こうに行ける。二つのビルの屋上に渡された同じ板・・・怖くて渡れない。落ちるかも知れない恐怖が動けなくする。歩く距離は同じ、いつもの通り足を前に出すだけでいい。」 映画は、これで終わってしまう。だから二流なんだろうな。繰り返し練習して精神的な強さを身につけて自信をもって恐怖を克服する・・・ここのところがうまく表現できてないと観客に伝わらない。一流にはなれないんだろう。二流の映画を観てそこのところを教えられた。 分かっていても思いを伝えることは難しい。 一流の映画を作りたい。 |
この文章は、2010年4月29日に挿入した文章です。 2009年12月6日・・・この日、書き込み出来ませんでした。1ヶ月連続投稿が出来なかった後悔の念を和らげるために、本日書き込みました。ただ、あまりに過去のことのため、内容をこのような告白として書き込みます。今の文体は、当時と比べてかなり違っていると思います。こんな過去の文章を、果たして読まれる方がおられるのでしょうか・・・きっと自己満足で終わるでしょうね。もしどなたか、この文章を読んでいただいた方は、是非連絡ください。 |
最後の10ページほどを読み残していた本を今日読み上げた。“余韻”があった・・・目の前の現実とは違う異空間から現実の世界にもどるまでの時間が私にとっての“余韻”なのだ。いい小説を読んだ時、いい絵を見たとき、いい映画を観たとき、いい音楽を聴いた時に私の感性は成長する。現実の世界に生きているだけでも、空想の世界に浸っているだけでも私は成長しない・・・と思う。その両方の世界を何度も往復することで、限界が壊れ、夢が現実のものになり、少し大きくなって次のフィールドに立つことができる・・・と思う。 刺激になる本に出会いたい、心を震わす音楽に触れたい。“余韻”を感じて一歩進んで行きたい。 |
あなたは、、初対面の人と話をするとき、その人のどこを見て話をしますか? 私は、これまでいつもその人の右目を見ていたんです。その人がちゃんと私の目を見て話をしているかだけでなく、目の微妙な動きから話の内容には表れないその人の本音を知ろうとしたのかもしれません。ひょっとすると右脳とか左脳とかいう脳の働きによって右目なのかな・・・その見方をすると分かれた後に、その人の顔の印象が残らないことが何度もあったんです。でも今日、初対面の人と話をして、ちゃんと顔が思いだせるんです。これって自分的には大きな変化で・・・自分のなにかが変わったからなのか、それともその人が私の警戒心を解く不思議な力を持っていたからのか分かりませんがね。兎も角今、そういう変化に気がついた自分自身に満足してるんです。なんの答えもないのにね・・・ あなたも、こういう自己満足って、分かりますよね! 今日は、いい一日でした。 |
私が今までに読んだ印象に残った本のことを考えた。 一冊も頭に浮かばない。 あまり多くの本を読んだことがないせいだろうか・・・ 無理やり探してみた。 小学校3年の夏休み読書感想文全国指定図書? 確か“水つき学校” 雨が降ったらいつも洪水にさ見舞われる小学校の話? それ以外思い出せない。 当時、この本を何度も何度も、来る日も来る日も読み返した。 他の本を読まないものだから母が心配して ある日その本を隠した。 悲しかった。 それからしばらく何も読まなかったような気がする。 今でも、ふと思うことがある。 あの時もしあの本がずっと手元にあって 自分が飽きるまで読み続けていたら 私に違う感性が生まれたかも知れない・・・と もう一冊思い出した。 7年前に読んだ本 この本も何度も何度も読み返した。 この本は 今の私の血と肉になった。 この本のタイトルは、秘密・・・ あなたが興味をもってその本を読んだとしても 私と同じようには感じないだろう。 あなたも、あなたの好きな本をもう一度読み直してみたら・・・ |
今日の夕方、前回買ったジャンボ宝くじの換金に行った。\3,200.受け取った。計算の得意な人は、私が何枚持っていたか分かるかな・・・ その後、ジュンク堂で文庫本を手に入れた。谷崎潤一郎と稲垣足穂、足穂をタルホと読める人どれだけいるかな・・・ その後、通りで声をかけられた。すれ違って後ろから“----さん”って・・・15年振りに会う友人。15年前に私が作った「本を引越しの時に無くしてしまって、まだありますか?」と聞かれた。自宅に送りますよ・・・と住所を聞いた。彼は、会わない間に極度の欝病になって「やってはいけないことをやってしまった。」と言った。私は詳しく聞かなかった。私を覚えていてくれた事、私の本を覚えていてくれたことが嬉しかった。 その後、駅前で信号待ちをしていると、後ろから介護犬のための募金を募る少女の叫びが聞こえた。信号が青になった。私は振り返って少女に近づき募金した。少女に「あなたの声が聞こえたから」と言った。少女は微笑んだ。 今日の夕方の私のひと時・・・ 私は“経験のための経験”をする旅人・・・今日の経験が、これからどんな経験を生むのだろう。 |