昨日、駅前に“車椅子バスケ”の募金を募る高校生?と先生?の集団がいた。気になりながら通り過ぎたが、今年営業最終日の銀行から帰る途中に彼らの前で足を止めた。 今年は去年までと違い何度か募金をした。その募金がなんであれ、若い人たちが、世間の人たちが自分の叫びをどう受止めるかを試していると感じた時、こたえたく思った。 自分に今、1000円しかお金がないと思えば、募金はできない。100円のお金があると思えば、募金ができる。あると思うか、ないと思うか・・・募金を募る若い人の叫びが聞こえたとき、この瞬間に自分が“ある人生”を生きるか“ない人生”を生きることを選択するのかを試されているように思う今年の自分である。 ただ、毎日駅前を通ると思いが変わるかもしれない。 |