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2011/11/07 22:18:09

九州場所

カテゴリー: 日記
月曜日から飲み会か。

博多の街は雪駄に着流しの

お相撲さんの姿が目につくようになった。

九州場所が終われば

急に寒くなって冬になるのが

いつもの気候である。

今年はまだ秋というよりも

日中は初夏の気温であるけれど。

月曜から呑むなんて

ちょっと次の日の事を

考えてないというのか

まだまだ一週間は長いのである。

しかるに、一生はもっと永いはずである。

しかるにヒトの死というのは

突然襲ってくるものであるし

かつての横綱も

還暦を待たずに三途の川を

渡ってしまった。

呑みながら言われたのは

財産は持っていても

死んでもあの世には持っていけない

ということである。

あと40年間生きるとしても

いくら必要だろうか。

一年で100万でも4000万である。

金はないのに使えと言われてもな。

この世の中は銭は使うように

仕向けられているから。

ケータイ代に、水道代に電気代に

それとどこまでの

線を引くのか。

それが今の生活ラインである。

いつ死ぬかわからないところが

お金を遣う苦しさである。

そんなにお金があっても

仕方がないと思うのであるが。

装飾というのか

ファッションにお金を

かけても仕方ないと

思っているのが

大阪人であるが

どうも

福岡のヒトは

身を飾りたがる。

一生ものと

いうけれども

そんなに

いいモノが

必要なのだろうか。

例えば

腕時計にしても

正確な時間がわかれば

それでいいのであるが

どうも、身を飾るというヒトは

機械式の腕時計やらを

はめたがる。

狂う時計なんかしても

どうしようもないと

思うのであるけれども

そこがこだわりだろうけれど

よくわからない価値に

お金をかけるなんて

よくわからない

精神構造である。

時計は正確な事が

一番なのに

狂っても

いいなんて。