バッタのうた おうち・やすゆき バッタ 草の色から ピョンと とびだす バッタ じっとしてれば はっぱと おんなじ バッタ ピョンと とばなきゃ みつからないのに バッタ バッタ 草の色から ピョンと とびだす バッタ じっとしてたら はっぱに なっちゃう バッタ バッタだからね ピョンと とびたい バッタ おうち・やすゆきの「バッタのうた」は、教科書にとりあげられた詩だ。 「あぶないから」という大人の声を聞かず、ピョンピョン遊びまわる、子どもの姿が目に浮かぶような詩だ。 1・2・3連と4・5・6六連が、それぞれに対応している。 1連と4連は、まったく同じことばでのくりかえしだ。 2連と5連は、同じことばもあり、ことばの組み合わせ方も同じなので、繰り返しのように思えるが、内容はかなり違っている。 これは、くりかえしというよりも、対比している、といったほうがいいだろう。 3連と6連も、2連と5連の場合と同じで、いやそれ以上に、はっきりとした対比になっている。 もうすこし、この詩の内容にたちいってみると、1連と4連も、ことばだけはまったく同じだからくりかえしのようだが、その内容は、対比というべきではないだろうか。 1連では、同じ色の草から飛び出したら、「見つかるよ」と心配している感じだが、4連は、見つかるかもしれないが、バッタだから「飛びたいよね」と言っている感じがする。 詩の楽しさは(詩に限らず、すべての文芸は)、読んで感じることに楽しさがあるのだから、私が書いているような「分析や解説」は不必要だ、いや邪魔でさえあると言われた。 よく古文の学習のとき、掛り詞や現代語との違いなどを、それこそ一語一語辞書で調べて読み進めることが行われている、いや古文だけでなく、いまの国語の授業は、傾向的には同じようなことだろう。 しかし私が述べているのは、そういう「分析」とは違い、詩を好きになり、詩を読んでいいなと思ったり、詩を書きたいと思ったときに、この詩はどんな構造になっているのかということがわかれば、より詩を楽しめるのではないかと思い、書き述べているのだ。 自分が書いていて矛盾したことを言うようだが、私の書いたものを読むまえに、紹介し詩をなんども読んでその詩をぜひ好きになってほしい。 そして、たくさんの詩を読んで、詩を好きになってほしい。 そのうえで、私の書いたことを読んで、詩の構造などにも関心をもってもらえればと思い、書き述べているのです。 |